『君は笑うかな・裏』(照×ニョタ雪)





5年前、暇になると当たり前のようにあの店に行った。
高校生の癖に、ちょっと背伸びをしたくって、通を気取ってみたかった。
国道沿いのジーンズショップの二階にあった小じゃれた喫茶店。今は違う名前の、オープンカフェになっている。
指定席は国道がよく見える窓際。いつ行っても、お客はいなくて無口なマスターが一人だけだった。



「ユキ、これ教えて」
「……それ昨日習ったばっかりじゃない」
「悪ぃ、寝てたからさ」
「もう……照の野球馬鹿」
宿題もテスト勉強も部の日誌も、殆どをその店のその指定席でやったっけ。
大神は授業中、寝てるか早弁してるか漫画読んでるかのどれかだった。体育以外。
だから宿題はいつもボクが二人分をやった。
「英語ちゃんとやらないと、大リーグ挑戦するとき困るよ」
「いいんだよ、ユキがアメリカについていってくれんだろ? 通訳兼奥さんで」
「うっわ、人任せ……」
でも、悪い気はしなかった。
遠まわしな大神のプロポーズに、ちょっと頬が染まるのを感じた。
甲子園で優勝、そしていずれは大リーグなんて大きなことを言うくせに、大神は英語が苦手だった。
明るい笑顔、曇りの欠片もない態度、大きな夢に暖かな手。
誰も彼もに平等で、誰も彼もに慕われた。
そんな大神の何もかもが好きだった……。
冴えない眼鏡の大人しい女の子だったボクは、まさか彼女になれるだなんて思ってもいなかった。
高校二年のバレンタイン、思い切って告白して大正解だった。




夢のような日々だった。




その癖、キスもエッチも、まだだった。
何度か求められたけど、拒否したのはボクの方。
『―――キスもエッチも、野球部が甲子園で優勝できたらね』なんて、あんなけち臭い事言わなきゃよかった。
痛いとか泣いちゃうとか失神しちゃうとか耐えられないとか、先に済ませた友達に聞いて怖かったから。
大神は『わかった、絶対甲子園で優勝だ!』って、妙に張り切ってたっけ。
今思えば、ボクに優しくしなくてもよかったのに。無理にでもやっちゃってくれれば……ううん、大神の性格上それはできなかっただろうな。





ああ、あんなけち臭い事、言わなきゃよかった。




夢のような日々は短かった。
あの店での指定席は国道が良く見える窓際。
国道。
国道。
地方予選を前に、大神はお店の丁度目の前の国道で、トラックに跳ねられた。





大神のお葬式の日、声を上げて泣いていた小学生の男の子三人。
大神を慕ってた、この近くの団地に住んでる男の子達。大神はあの子達によく野球を教えてたっけ。
あの子を庇ったんだよ。女友達が、耳打ちした。三人のうち、一番大声で泣いていた子。
みやなぎっていうんだってあの子……ほら、団地の入り口にある印刷屋さんの子。
教えられて、でもボクはうん、って生返事しかできなかった。
その子を責める気持ちにはなれなかった。
責めたところで大神は帰ってこないんだって、わかっていたから。
幸せな日々の終わりと入れ替わりに、ボクは道を踏み外した。
野球部のマネージャーを辞め、寂しい心をもてあましていた。
あのお店に行くことももうなくなった。
一日も休まなかった学校はサボりがちになり、当てもなく繁華街をふらついて遅く帰っては親と喧嘩した。
『君、一人?』
駅前で声をかけられたのは、夏休み前のこと。学校に行かなかった日。
大学生くらいの男の人。
『……うん、一人』
『その制服、十二支だね』
人懐っこい笑顔が、ぽっかり明いた心の穴にすとんと来た。
誘われるままに、脚を開いた。



けち臭いこと、言わなきゃよかった。




思ったほど、痛くなかった……。



それを皮切りに、ボクは坂道を転がり落ちていった。
寂しいと思ったら、男の人に縋った。相手は誰でもいいんだ。上目遣いで誘ったら、大体の人は堕ちた。
お金をもらったこともあった。服を買ってもらったりもした。
悪い女だと、悪態をつかれたこともあった。そういう自覚もあった。悪い女で上等だと思った。
心にもないことを言って、相手を喜ばせることも覚えた。
名前を知っている人、知らない人、年上の人同じ年の人……いろんな人と寝た。
そんな生活を何年か過ごしていたある夏の日、新聞で偶然見かけた。
『高校野球・都道府県選抜対抗』の記事。早い話が高校野球の都道府県別オールスター戦。
監督募集中の五文字に、荒れていたはずのボクの心は揺れた。



大神の夢。甲子園優勝。





指導者としてなら、ボクは大神の夢を代わりに果たせるんじゃないだろうか。
大神の夢を……。



今更と思われるかもしれない。
大神はあの世で愛想を尽かしているかもしれない。こんなボクに。
でも……いてもたってもいられなかった。
ボクは、大神の夢を果たしたかった。




胸の膨らみと腰のくびれはさらしを捲いて、目立たぬようにする。
ちょっと苦しいけど、我慢しなけりゃ何も始まらない。
化粧なんてもってのほか。
男物のスーツを着て、禁煙パイポを咥えて、男物の革靴を履く。眼鏡も勿論変えたんだ。
女の子にしては元々背は高いほうだから、スーツは結構決まってる。
歩き方もしゃべり方も振る舞いも、これでも結構勉強したつもり。
「練習始めるよ! ほら、そこ私語は慎む!」
数十人の高校生達を前に、ボクは埼玉選抜監督・白雪静山として振舞う。
女性のままで監督というのは無理だった。前例がいないから、高野連の見解はと、野球の世界は相変わらず古臭い。
結局男の振りをして、ボクは埼玉選抜の監督に就くことができた。
荒れた生活を送っていた頃に意図せず作ったつてが、こんなところで役に立つなんて思っても見なかったけれど。
選手達の前で、ボクは若いけれど怖い監督として振舞っている。
幸い、ボクが女だということはまだばれてはいない……一人を除いて。





大神、君は笑うかな。
こんなボクを、君は笑うだろうか。
笑われてもいいんだ、ううん君はあの世でボクに愛想つかしてるかな。
でもボクは君が好きだから。今でもずっと。
だから、君の夢を叶えたい……君の代わりに。


君はもう、ボクを嫌いかな?




(END)
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