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『雨の日の出来事』
……昨日から降り出した雨のせいで、今日の試合は流れた。明日も多分駄目だろう。
屋内練習場は早々と他県チームに抑えられてしまった。
選手達は身体を鍛えることと同じくらい、休めることも大事な成長期。今日は一日フリーということにした。
”白雪静山”の格好をして、ボクは今日もまた男の振りをする。
「止みそうにないね」
ホテルの廊下を歩きながら、窓の外を見てひとりごちた。
マーブル模様の雲。雨音は優しく、西宮の街は濡れていた。
雨の日は嫌い。
あの日を思い出すから。
5年前、大神のお葬式の日も雨だった。やっぱり前の日から雨が降り続いていて、空は朝からマーブル模様だった。
『大神君……!』『大神ぃ!!』誰彼にも慕われた大神のお葬式。沢山の同級生達が泣いていた。
野球部の一団はそれこそ大声を上げて泣いていた。
女子マネだったボクはその中にいた。
『甲子園連れて行ってくれるって言ってたじゃないですか! 大神キャプテン!』
大神が目標だといつも言ってた一年生が泣き崩れ、二年生に両脇を支えられた。
監督は一晩ですっかりやつれ、年をとってしまったように見えた。
『大神ぃ、何で死んじまうんだ……』大神の玉を受けていたキャッチャーの声はしゃがれていた。
ボクは泣かなかった。否、泣けなかった。流す涙はとっくに枯れ果てていたから。
ボクの頬を、雨が伝って涙の代わりをしてくれた。
『大神の彼女の女子マネだよ』誰かが後ろの方でボクのことを言うのが聞こえた。
恋人だった期間は短かった。短すぎた。
大神はいつも優しくて、楽しくて幸せな思い出ばっかりで。
だから余計に、大神の死が辛かった。
『ユキ、あの子だよ』
同じ女子マネをしてた子が、泣きながらボクの肩を叩いた。
『ほら、あの子。みやなぎっていう子……』
祭壇の前で、わんわん泣いてた小学生の男の子三人。
大神がいつも可愛がってるって言ってた子たちだ。
一番泣いてる子……あの子がみやなぎって言う子で、大神はあの子を庇って死んだんだと、教えてくれた。
『……そう、なんだ……』
ボクはその子に話しかけることもしなかったし、責める気持ちさえなかった。それは違う気がしたから。
ううん、もうそんなことを考える気力もなかったのかもしれない。
雨の日は嫌いだ。あの日のことを思い出すから。
ボクが向かったのは、ホテルの三階にある会議室。
各校の監督が集まっての、日程の調整についての話し合いのためだった。
初めての大会ということもあり、集まりは殆ど毎日のようにある。
「失礼します」
会議室に入ると、先に大阪選抜の雉子村監督が窓の外を眺めていた。
「これはこれは……埼玉のお若い監督さんか」
雉子村監督のステッキが絨毯を叩く軽い音がした。
「ど、どうも……」
この人は苦手だった。往年のプロ、それもスター選手だったというけれど、どうもいけ好かない。
腹の底で何を考えているか分からないし、何かというとすぐに日本の野球を否定する方へと話を持っていく。
「他の県の監督さんはまだなんですね」
ああ、嫌だな。早く誰か来ないかな。
「フン、どいつもこいつも時間にルーズでな……」
―――嫌な人と二人になってしまった。
そんなボクの心の中を知ってか知らずか、雉子村監督はボクの前まで歩いてくると、節くれだった大きな手をボクの肩に置いた。
「……何度見ても勿体無いな」
「何がです?」
雉子村監督の手は、ボクの肩をスーツ越しに撫で回した。
何が、だって。我ながらわざとらしい。
「自分でも分かっているだろう? 君のような美しい女性が、何を思って男の格好など……」
「………あなたには関係のない話です」
ボクが女だということを知っているのは、高野連関係者の中でもごく一部だ。
雉子村監督は、その数少ないうちの一人だった。
「フン……強がりを」
「あ、」
強く抱き寄せられる。雉子村監督が身に纏った男性用の香料が鼻を突く。
「やめてください、雉子村監督」
父親くらいの歳だとはいえ、男と女。力の差は歴然だ。
腕の中でもがいても、離してはくれない。
「かたいことを言うな。どうせこの身体で掴んだ監督の座だろうに」
「っ……」
図星だ。
ボクが埼玉の監督になれたのは、いわゆる枕営業。
”女”であることを、悪い方に利用した。その結果だ。
「淫売と言われても仕方あるまい?」
「………」
雉子村監督のいやらしい手が、腰を、尻を撫で回す。
背中を嫌悪感が走る。
突き飛ばしたい気持ちで一杯だったけれど、今のボクには反論の余地はなかった。
「そこまでして監督になりたかった理由も聞いてみたいものだ」
「……ボクの個人的な理由です」
手が尻を離れる。
顎をつかまれ、ぐいと上を向かされた。
雉子村監督の隻眼と視線が絡む。
「ぅ、」
「晒しでも巻いているらしいが、なかなかいい身体をしているようだ……」
「それはどうも……」
「フ。高野連のお偉方のようにワシも一つお相手願いたいな。この大会が終わったら」
唇を軽く重ねられ、やっと開放された。
背後でドアが開く。
「遅くなりました」と、入ってきたのは青森代表の監督だった。
どんな風に言われたって、何をしたっていい。
ボクは大神の願いを叶えたい。大神の代わりに。
”甲子園優勝”という、大神の願いを。
淫売だって罵られたって構わない。
「暇だな……」
敷きっぱなしの布団の上、寝返り打っておれは呟いた。
今日は一日フリーだって言うけど、朝ホテルの売店で土産買って家に送って、それからすることないんだもんなぁ。
休むことも大事だって言うのは分かるけど、じっとしてるのはどうも性分に合わない。
うどん先輩達はおいしいもの食いに行くって出かけてっちまったし。
猿野たちはテレビみて盛り上がってる。おれもさっきまで一緒に見てたけど、もういいやって布団に戻った。
―――エッチしたいなぁ……。監督今何してるのかな……。
なんて、ちょっと考えて昼間っからおれなに考えてんだって、頭を振った。
でも、そんなこと考えたらちょっとしたくなった。
だって、ホントに気持ちいいんだ……監督の身体はすんげえ柔らかくって、中はぬるぬるってしてて。
今夜はどんな風にしようかな……たまには前戯っつーのかな、入れる前に色々するアレ、ちゃんとやろっかな。
とか考えてたら……やべ、勃ってきた。
「ユタちゃん、いるかしら」
名前を呼ばれて、あわてて起き上がった。中宮さんの兄ちゃんの方だ。
「あ、はい。おれ、ここだけど」
「ああユタちゃん、ロビーにお客さんよ」
中宮さんはおれの布団の傍に膝をついて、おれに耳打ちする。
「へ? おれに客?」
……客って誰だろう。
「とにかく早く行っておあげなさい、随分待ってたみたいだし」
客ったって、心当たりなんかないのに。
渋るおれに、中宮さんは早く行ってあげてと促した。
仕方なくおれはホテルのロビーへ降りていく。
ロビーのラウンジに、中宮さんが言った”客”がいた。
「……あの、村中由太郎君ですよね?」
「あ、うん……そうだけど」
ブレザーの制服を着た女の子が、おれの前に現れた。
どこの制服だろう。可愛い感じの子だ。
イントネーションは関西弁っぽかった。このあたりの子かな。
「これ、読んでください……!」
「え、」
女の子は、ピンクの花柄の封筒をおれに押し付けた。
その子の顔、真っ赤になってた。
「いきなりで本当にごめんなさい……失礼します!」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
おれが止める間もなく、女の子は走ってホテルを出て行ってしまった。
おれの手の中には、皺になった花柄の封筒。
部屋に戻って、封筒を開けた。中には一枚の便箋。
好きです、という一言と、住所と名前とメルアドと携帯の番号がグリーンのペンで書いてあって、プリクラ貼ってあった。
「うわ……これって、……」
ラブレター、だよな。どう見ても。
西宮市ってことはこのあたりの子か……あ、イッコ上だな……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて。
これ……どうしたらいいんだろう。
「チョンマゲ、なにやってんだよ」
「神妙な顔してんなぁ」
「……わ、猿野にみやなぎ!」
猿野とみやなぎがおれを覗き込んでいて、おれはあわてて手紙を後ろ手に隠した。
「お、何か隠したな」
「はい没収〜」
「ああっ! ちょ、やめろよ!」
おれが隠した手紙を、みやなぎがあっさりと取り上げた。
「みやなぎ、ちょ……見るなよ!」
「んだよいいじゃねえか……お、猿野見てみろよ、これラブレターじゃねーか!」
「うっそ、まじ?」
「やめろよ……お前ら!」
おれがあわてるのを他所に、猿野とみやなぎは取り上げたおれの手紙、勝手に読んじまった。
三人の中でひとりちっこいおれが背伸びしても、みやなぎが高く上げた手には届かない。
「チョンマゲお前隅に置けねえなぁ、やるじゃねーかこの! おおっ、こっちの子かよ!」
「いやんユタきゅんったらぁ〜明美がいるのにぃ〜現地妻なんてぇ!」
「オメーそれやめろっつってんだろ! 気色悪い!」
「明美泣いちゃうぅ〜みやなぎキュン、明美を慰めてぇん♪」
「やめろ! ああもう蹴り飛ばすぞ! ……おお、年上の彼女かよ!」
「あ!このプリクラ! めっちゃ可愛いじゃねえか! 埼玉一女ったらしのバブリシャス様、採点は?」
「埼玉一は余計だよオメー。んー、……お世辞抜きで85点。いい線いってんじゃね?」
「チョンマゲ喜べ! 埼玉一の色男が85点だとよ! これイっとくべきじゃね?」
……人事だと思って楽しそうに。
「あのさ、おれ……今さっき手紙だけもらっただけだし話もちゃんとしてねえし……よくわかんねえよ」
「何だよチョンマゲ、男なら腹くくれよ」
「そーそー、味見してみなきゃわかんねえっしょ」
みやなぎがほい、と手紙を返してくれた。
おれは手紙を受け取って、改めて便箋を読み返す。
「んー、……でもなぁ……」
「遠距離恋愛になるのが不安とか?」
「いや、そういうんじゃなくって……」
「んじゃあ村中。お前、他に好きな人でもいるわけ?」
「へ……?」
みやなぎの言葉に、おれはドキッとした。
好きな人……好きな人?
今までそんなこと、考えたこともなかった。だって野球ばっかりだったし。
「好きな人……?」
でも……好きな、っていうか……ああ……おれ……。
おれの脳裏には、監督の顔が浮かんでいた。
(END)
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