49:『もしかしたら、これは魔女の罠だろうか?(御かの)』



「かの子さんって、甘いッスよね」
「……あたし? そう? そんなに甘いかしら」
抱きしめて、ちゅっ・って、キスしながら俺は思ったままのことを口にした。
かの子さんは本当に甘いんだ。


ケーキよりも、プリンよりも甘い。かの子さんの身体。
お菓子作るのが趣味だとかで、なんかいつもバニラみたいな匂いがしてるんだ。
「首筋に下を這わせると、ほんとに甘いんですよ、かの子さん。バニラみたいな匂いするし」
「ああ、……バニラエッセンスの匂いかな……昨日、クッキー作ったから」


甘い甘い、かの子さんの身体。
昔童話で読んだ、お菓子の家を思い出した。
……もしかしたら、これは魔女の罠かもしれない。
けれどこんなに可愛い魔女の罠なら、嵌ったって本望だ。





50:『電話(辰凪)』



埼玉選抜の勝利は、子津さんからのメールで知りました。
入院中の兄の付き添いのため、私は応援には行けなかったのです。



『……もしもし、鳥居さん?』
「辰羅川さん、お疲れ様です……埼玉チーム、勝ったんですね」
病院の屋上、洗濯物を取り込んだ後で、辰羅川さんに電話を掛けました。
電波が悪いのか、少し声が遠いんです。
『ええ、昨日はどうなることかと思いましたが……犬飼君は好調でしたし』
猿野さんも含めた三者連続ホームランのこと、犬飼さんの新秘球のこと。
携帯電話の向こうで、辰羅川さんは興奮気味に話して下さいました。
私の目の前では、青空の下、色とりどりの洗濯物が風にはためいています。
『子津君たちは中央道経由で帰ると言ってましたから、今長野辺りでしょうか……私はもう少し兵庫にとどまります』
「……えっ?」
『犬飼君の練習に付き合いたいんです。宿なら、当てがありますからご安心ください』
親戚が甲子園球場の近くに住んでいるのだと、辰羅川さんは言いました。
『バッテリーを組んでいるのは黒撰の村中君で……。それ自体には不満はないらしいんですが、やはり投げ込みの練習は私で無いと、と犬飼君が言うもので……』
「ああ、そう……ですよね……」
てっきり、今夜には帰ってくるものだと思っていたのに。
「やっぱり犬飼さんの状態は、辰羅川さんが一番よく分かると思います……」
『お土産、沢山買って帰りますから……』
「……ええ」


『……寂しいですか? 鳥居さん』


「え、っ」
それは、私の心を見透かした優しい声。
『寂しいですか?』
重ねて、尋ねられました。
「―――……はい」
私は素直に答えました。
『正直、私も寂しいです……でも、そんな時もあっての、男と女の関係だと思うんです』
「ええ……」
ああ、辰羅川さんはやっぱり大人だ。私は思いました。
『鳥居さんも、お兄さんの看病を』
「はい……分かりました。犬飼さんたちにどうかよろしく……」



携帯を畳んだ後、私は取り込んだ洗濯物の入った籠を下げて、階下の兄の病室へと急ぎました。
『帰って来たら、離れていたときの分まで沢山一緒にいましょう』
会話の最後の、辰羅川さんの言葉を胸に。
私は今のこの時間を精一杯過ごすことを決めました。
例え離れ離れでも。




51:『泣いてもいいかい(屑柿)』




屑桐、泣いてもいいよ。


電話越しに、あいつは言った。


いいのか、と俺は尋ねた。


いいわよ。……泣き足りないんでしょ?


優しい、包み込むようなあいつの声。


俺はすまない、と言って、電話口で泣いた。


電話越しに、あいつは俺の泣き声をずっと聞いてくれた。





52:『午後9時前の逢瀬(屑柿)』



夜風が頬を掠めていく。
ちょっと冷たくて、でも気持ちが良い。
目抜き通りから一本入った、車が一台ようやく通れる位の細い道の、シャッターを下ろした商店の前。
あたしはスーパーのビニール袋片手に、もう直ぐここを通って家に帰るだろうアイツを待っている。
アイツの家は、あたしの前を通り過ぎてあの角を曲がって直ぐのアパートの二階。
アイツん家に直接持って行ってもいいんだけど、久しぶりだから顔も見たいし声も聞きたいし。
「もうすぐ9時……か」
携帯のディスプレイの時計は8時50分。
ぱちん、とシェルを畳んで制服のスカートのポケットに入れた時。
「……あ、来た来た」
目抜き通りからこっちへ向かってくる人影。
バットケースを背負って、学ラン学帽、その上マント。
間違いなく、屑桐。



「……わざわざ待ってくれてたのか」
「わざわざったって校区内でしょ。えーっと、これが今日調理実習で作ったクッキー。 弟君たちに分けてあげてね。それとこっちはうちの婆ちゃんが作った野菜。昨日田舎から届いたのよ」
ビニール袋の中には、色とりどりの緑黄色野菜に混じって、クッキーの入った小さな袋。
「柿枝、いつも済まないな……」
頭を下げる屑桐。あたしは慌てて顔の前で手を横に振る。
「べ、別にいいわよ。うちだってこんなに送ってきたって、どうせ腐らせちゃうだけだしさ。 ほら、うちの母さん料理あんまり上手くないから……」
理由は本当だけど、屑桐に会いたいから、というのが本当の本音。
だから、わざと婆ちゃんに沢山の野菜を送ってもらってる。
「で、この野菜はアンタの母さんにね」
「ああ、きっと喜ぶ」
「そ、よかった。……」
屑桐は喜んでくれて、あたしは安心した。
「柿枝、もう遅いから気をつけろ」
「あ、ちょ、屑桐っ」
「ん?」
帰ろうとする屑桐を呼び止め、あたしは背伸びをして、そして。


「柿………、」
「――――……」


屑桐の唇に、キス。
「……これはアンタに」
ちょっとかさついた、屑桐の唇。
「忘れ物」
「ああ、……そうだな」
屑桐は小さく笑って、ビニール袋をアスファルトの上に置くと、大きな両手をあたしの肩に乗せた。
「忘れ物だな」
今度は屑桐の方から、……キス。


午後9時前の裏通り。
あたしと屑桐の逢瀬。




53:『イタズラシテモ、イインデスヨ(魁凪)』




「……いたずらしても、いいんですよ―――村中さん」
畳の上に横になって魁のほうを向いて、なおかつ微笑む彼女のなんと可愛らしいことか。
寝乱れた制服のスカートから覗く太腿。折り曲げた、肉付きのいい脚。


いたずらしても、いいんですよ


随分と挑発的な言葉だった。
「……今日は帰れぬぞ」
魁が念を押すと、彼女は頷いた。それはすなわち、良い、ということなのだろう。
膝で歩いて近づくと、彼女は目を閉じた。魁はゆっくりとスカートの中に手を入れる。
下着の上から指先でつい、と触れる。
僅かに湿っていた。魁がさらに指先でくすぐるように突付くと、ん、と小さな声であえいだ。
「いたずらしても、良いのだな?」
もう一度、念を押した。
先ほどと同じように、彼女は頷いた。
「……良いのだな、凪殿……」
魁は彼女の、その小さな身体に覆いかぶさった。
「はい、どうぞ」
凪は目を閉じたまま、また頷いた。三度目だった。
明日は土曜日。
夜は長い。




54:『どうかこのまま』(辰凪)



化繊のリボンをほどくと、解放された長い髪は鳥居さんの背中に流れました。
「綺麗ですよ、鳥居さん」
私的には、鳥居さんは髪を下ろしたほうが好きです……勿論、纏めているときも可愛いと思いますが、
下ろしたときのほうがもっと……可愛いと思うのです。
指を伸ばして薄く髪を漉き、口付けました。
「はい、」
頬を赤らめる鳥居さんは本当に愛らしくて……今度はその柔らかな頬に、音を立てて口付けました。
「辰羅川さん、」
「大丈夫ですよ、まだ誰も来ませんから」
練習開始には少し早い部室には、私と鳥居さんの二人しかいないのですから。
恥ずかしがる鳥居さんを優しく抱きしめると、今度は唇に。
後十分もすれば、皆来るでしょう。
どうかあと十分。どうかこのまま。




55:『敏感(沢×梅←帥)』


一緒に歩いてるときとか、他愛もない会話の最中とか。
些細なことなんだけど、気づくことがある。


俺の指に絡めてくる、梅さんの指。
寄り添ってくる、小さな肩。
分かりきった愛を確かめるような、俺の気持ちを確認したがるような、意味深な問いかけの数々。

なぁ、梅さん。
隠し事はナニ?




56:『バカね(羊×猫)』


「バカね、監督」
監督の膝の上でチュッパチャップスを舐めながら、赤くなった監督の頬を撫ぜた。
「だから昨日は駄目だって言ったのに」
「しょうがねえだろう、檜と居たかったんだ」
昨日は監督、奥さんとの結婚記念日だったのに。
檜と居たい、檜とセックスしたいなんて言って早く家に帰らなかったから、……こんなことになっちゃって。
「バカね、監督……」
奥さんにひっぱたかれた監督の頬は赤く、熱を持っていた。
ねえ、監督。
早く気づいて。
これが罪だということに。




57:『ごめんね(剣凪)』


「ごめんね」
掠れた声で、俺は言った。
「どうして謝るの? お兄ちゃん」
俺の枕元で、凪は果物ナイフでリンゴを器用に剥きながら尋ねる。
「凪を結局甲子園につれて行けなかったから……」
今年が最後の年だった。
この上ないチャンスだったのに、なのに。



「……ごめんね、凪」
俺はもう一度謝った。
「いいのよ、お兄ちゃん」
凪はナイフとリンゴを置くと、俺の頬に手を当てた。
「いいの……もう、いいの……」
そして俺のかさ付いた唇に、柔らかな唇を当てて……。
「お兄ちゃんのその気持ちだけで、私は満足してるから」
そう言って微笑んだ凪の顔は、この世で一番美しかった。




58:『愛のチカラ(帥梅)』


細くて綺麗な指が、つい、と俺の顔を縦に走る傷をなぞる。
「何をどうしたらこんな傷がつきますの?(尋)」
「……色々」
言葉は便利だ。はぐらかすこともぼやかすことも自由自在なんだから。
「色々、ね……」
ちょっと呆れた風に梅星さんは俺の言葉をそのまま繰り返し、小さくため息をついた。
「合宿の間中、梅星さんのコトずーっと考えてた」
石段駆け上ってる時も、腹筋してるときも、ロードワークしてるときも。
「梅星さんに俺の活躍、取材して欲しくて……頑張った」
梅星さんがスタンドで、俺の投げる姿をカメラに収める。
そのことを夢見て、俺はあの地獄の合宿を耐え抜いた。


そして、それは現実のものとなった。


「褒めてくれないの?」
「私は褒める立場にはありませんわ、でも」
「でも?」
「あなたの写真、一杯撮りましたわ」
梅星さんは微笑んだ。
そばかすの散る白い顔。
なんて、綺麗なんだろうと思った。


俺の傷だらけの顔とは大違いだ。



59:『白〜ふたりであるくみち〜(御かの)』



昨夜から降り出した雪は、まだ降り続いている。
見慣れた景色は一変して白い。
空も、街並みも、吐く息も。


さくさく、さくさく、さくさく。
雪で覆われた白い道。二人で歩いた後には、二つの足跡が並んでいる。
俺の歩幅と足跡は広く大きく、かの子さんの足跡と歩幅は狭く小さい。
めったにない大雪のせいで、バスも電車も全部止まって、ついでに学校も休みになった。
当たり前だけど練習もなし。
こんな日だって言うのに、いや、こんな日だからか。
二人して映画見ようっていうことになって、駅前までの結構な距離を歩いている。


「真っ白っすねー……」
「うん、ホント真っ白だね」
俺とかの子さんの首には、長い長いマフラーが。
真っ白なマフラー。二人を繋ぐ、一本のマフラー。
かの子さんが編んでくれた、世界で一本しかないマフラーだから、寒くない。
「ねぇ御柳君、……映画館って開いてるかな?」
「え?……んー……そうっすね、開いてると思いますけど……まぁ、閉まってたらそん時考えるっていうことで」
そうね、と言ったかの子さんの指先が、不意に俺の指に絡んできた。
その指先はちょっと冷たかった。
「あれ、かの子さん、雪降ってるのに手袋してこなかったんですか?」
「んー、出るとき急いでたから……でも御柳君だって、」
「俺、手袋持ってないっす」
お互い様のことに、一瞬顔を見合わせてあはは、と笑う。
俺はかの子さんの指を軽く握って、そのまま俺のコートのポケットに導き入れた。
あったかい、とかの子さんは言ってくれた。


駅前まで続く、真っ白でまっすぐな道。
雪はまだ降っている。吐く息は白い。さくさく、さくさく。
二人で歩く道。大きな足跡と、小さな足跡が並んでいる。
「かの子さん、今度は俺の手袋、編んでくれます?」
「ん? 手袋? いいわよ」
「春になる前に出来ます?」
「勿論」
さくさく、さくさく。
白い道。白い街並み。吐く息も白い。そして、二人を繋ぐマフラーも白い。
何もかもが白の、一月のとある木曜日の朝。




60:『冒険(沢梅)』



「沢松、冒険したいと思いません?(尋)」
放課後、部室に入るなり待っていた梅さんに言われた言葉は上の通り。
「……冒険?」
ひとつなぎの財宝でも探しにグランドラインにゴムボートで漕ぎ出すんですか、なんて気の利いたギャグを入れる間なんてなかった。
「さ、行きましょう♪」
「ちょ、ちょっと、梅さんッ?」
梅さんは俺の腕を引っ張って、半ば強引に……いやいつも強引なんだけど……冒険、とやらに俺を道連れにした。



「……冒険ってこれっすか」
「そうよ、素敵な冒険でしょう?」
天国たち野球部の声を遥か下に聞きながら、俺は冷たいコンクリートに寝そべって、赤く染まっていく空を見上げた。
俺の隣にぺたんと座った梅さんは、俺と同じように空を見上げながら、いい風、と呟いた。そうっすね、と俺は答えた。
柔らかな風が、頬を掠めていった。
俺たちがいるのは校舎の屋上。俺たちのほかには、誰もいない。
サボり防止だか安全面で問題があるだかで、校舎の屋上は原則として立ち入り禁止だった。
当然、俺はここへ足を踏み入れるのは初めてだ。
屋上は野球が出来るくらい広くて、落下防止のフェンスと貯水タンクがあるだけ。
空が近くて風が気持ちよくて、確かにサボったり物思いに耽るにはうってつけの場所かもしれない。
「あの鍵がまさかここの合鍵だなんて、誰が想像したかしら?(微笑)」
梅さんは指先に、鍵付の輪っかになった古いナイロン紐を引っ掛けてくるくると回していた。
半月くらい前、部室の大掃除があった。そのとき古いロッカーの奥から、昔の雑誌やらガラクタやらが一杯出てきて、その中に年季の入った錆びた鍵が混じっていた。
それはここ、屋上の入り口の鍵だった。
俺ら他の部員はその錆びた鍵を見つけたとき、何処の鍵だろう、てな軽い反応だけで特に気にも留めなかったんだけど、梅さんはその鍵が何処の鍵だかよっぽど気になったらしく、学校中、この鍵に合う鍵穴を根気良く探したらしい。
良く探しましたね、と半ば呆れて言った俺に、梅さんは胸を張って、着眼点と根気はジャーナリズムの基本ですわ、と答えた。
「……冒険って言えば冒険っすけど、ちょっと冒険成分が足りないっすねえ……」
大きく伸びをして起き上がると、俺は首を軽く鳴らした。
「あら、随分な言い方ですわ」
梅さんがぷ、と頬を膨らませ、ぷいとそっぽを向いてしまった。


……あ。やべえ。


俺の背中を冷たいものが走る。梅さん、いったんご機嫌を損ねたら、直すのには時間が掛かるんだ。
「で、でも屋上は一度上がってみたかったし、ここの景色最高ッすよね、なーんて……ハハ、」
慌てて取り繕う。取ってつけたような答えしかでやしない。
「……今更褒めたって遅いですわ……」
そっぽを向いた梅さんの背中、ちょっと怒ってる。あー、やばい……しかも梅さん、声もご機嫌斜め入ってるし。
言い過ぎたか? 俺……。どうするどうする沢松健吾。
「じ……じゃあ、今度は俺が冒険のネタ探してきますから、ね、梅さん」
苦し紛れ。頭に浮かんだ言葉をとっさに口にした。
「本当!?(尋)」
速攻反応。機嫌直るの早ッ。
……梅さん、目ェ輝いてるよ。
「ホントっす、はい、今度は俺が梅さんを案内しますから」
「約束よ? 沢松(真剣)」
「……約束、します」



ともあれ、何とか梅さんの機嫌は直った。
トンボが飛び交う赤い空の下、指きりげんまんを交わして、俺と梅さんは屋上を後にして、短い冒険は終わった。
音を立てないように屋上の扉を閉めて鍵を掛け、教師がいないのを確認しながら階段を下りて部室に戻った。



さぁ、今度は俺が梅さんを冒険に誘う番だ。
何処へ行こう?  ってかそもそもこの辺りに、冒険できる場所なんかあったっけ?
口から出まかせじゃ、済まされないよなぁ……。




61:『放課後デートは駅前のデパートの屋上』




デートしたいって言い出したのは俺。
遊園地に行きたいって言ったのはかの子さん。
部活があるのはお互い様。



「……あんまり人、いないね」
「そうっすね」
並んでベンチに座った俺たちの目の前には、小さな小さな遊園地。
屋上をぐるりと一周する小さな機関車、コインを入れると動く子供用の乗り物。
時代遅れのゲームセンターに、色あせたメリーゴーランド。客はまばらだ。
木曜日の午後4時34分、空は少しずつ赤くなっていく、駅前のデパートの屋上。
かの子さんと俺のスケジュールを調整して希望を入れたその結果が、ここ。
ホントは休みの日に、二人してうんと遠くのでっかいレジャーランドにでも行きたいんだけど、 なかなかそういうわけにはいかないんだな、これが。お財布事情とか部活とかさ。
休みの日は朝から晩まで練習もしくは対校試合があるし、遠くへいけるほど財布に余裕なんかありゃしねえ。
今日だって何とか二人して日をあわせて部活をサボ……もとい、口実作って休んで放課後に会えたんだから。
「すみませんかの子さん、……ガキん時に来た時はもっと賑やかだったんですよ、ここも……乗り物もゲーセンももっといろいろあったし……」
昔の記憶なんて当てにならねぇなぁ……あー、先に来て下調べしときゃよかった……。
デートコースとしては明らかにハズレな場所にかの子さんを連れてきてしまったことに、俺はちょっと泣きたい気分だった。
ナニが夜の帝王だよ。謝罪モードまっしぐらじゃねえかよ。
「……やっぱ、映画の方が良かったっすかね……?」
恐る恐る、かの子さんに尋ねてみた。
「ううん、そんなことないよ」
かの子さんは優しく笑って首を横に振った。
「久し振りに御柳君と会えたってだけでも嬉しいし、ここだって立派な遊園地だもの」
「か……かの子さん」
ああ。やべぇ。
かの子さんにそんな風に言われると、俺……嬉しい。ってか、嬉し過ぎだ。
「遊園地がいいって言ったたのはあたしの方だもの」
だから謝らないで、とまで言ってくれて。
「それよりも、ね。折角来たんだから楽しもうよ?」
かの子さんは勢いをつけて立ち上がった。
「……えっ、でも楽しむっつったって、遊ぶもんそんなにないっしょ? ゲーセンくらいしか……」
「メリーゴーランドなら、あたしたちでも乗れると思うけど」
ホラあそこ、とかの子さんが指差す方向には、色あせたメリーゴーランド。
「御柳君、二人で乗らない?」
「……いいっすね。よっしゃ、乗りましょう」
俺も立ち上がる。そしてかの子さんと手を繋いで、メリーゴーランドに乗り込んだ。


木曜日の放課後。
俺とかの子さんはデパートの屋上の小さな遊園地で、ささやかなデートを楽しんだ。
メリーゴーランドに、10回乗った。




62:『雨の日(屑柿)』


ガラス窓の向こうには、灰色の空。その下には、降り続ける雨に濡れた住宅街が広がっている。
「雨の日ね、あたしあんまり好きじゃないんだ」
カーテンを閉めながら言うと、カーペットに胡坐をかいた屑桐が「どうしてだ?」って言った。
「だって、外で遊べないでしょ?」
あたしの子供みたいな答えに、屑桐は声を殺して、肩を揺らして笑う。
「だってほんとにそうなんだから……屑桐も、雨の日は嫌い?」
「ああ―――、雨の日は洗濯物が乾かないからな」
嫌いなのは屑桐も一緒で、でもあたしとは違う答え。
「……でもあたし、最近はそうでもないの。雨の日、結構好きかも」
屑桐の隣にぺたんと座って、あたしは屑桐の顔を見る。
「どういう心境の変化だ?」
屑桐も、あたしを見る。
「だって屑桐と逢えるのって、雨の日くらいでしょ?」
「それもそうだな、……雨が降っていない日はいつも練習とバイトだからな」
雨の日はどちらも休みで、そのときだけあたしと屑桐はこうやってあたしの部屋で逢うことができる。
晴れた日や曇った日は、部活とバイトで会うことは出来ない。



「―――好きよ、屑桐」
唐突な台詞。
柄にもなくちゃんと目を見て、真剣な顔で言うと、屑桐の顔が見る見る赤らんでいく。
……照れてる。
「屑桐も言って?」
甘えるように、首を少し傾げてみる。
「………今、か?」
「勿論、今言って。……次の雨の日まで待てない」
屑桐は頭を掻いて、はぁ、と息をついて。
改めてあたしの目を見て、そして。


「鶫、――――……」

窓の外の、雨音にかき消されるほど小さな声で言ってくれた。




63:『本命チョコ(虎→柿)』



「女子マネの愛は部員全員に平等に」


2月14日、バレンタイン。
野球部では女子マネージャー一同から男子部員全員にチョコレートを贈るのが、校内競馬や合宿と並ぶ伝統の一つだった。
羊谷が在学中には既に伝統としてあったらしく、レギュラー補欠関係なく、野球部男子全員、引退した三年生にも贈られている。
チョコを買うカネは監督のポケットマネーから。部費からは一円も出さない。
これもまた伝統だった。部費は元々部員達から徴収したカネなのだから、部費でチョコを買うことは自分で自分のチョコを買うこととイコールとまでは行かなくてもそれに近いものがあるからだ。



虎鉄はデパートの天井からぶら下がったバレンタイン用の飾りを眺めながら思った。大方使い回しだろう。
「悪いね虎鉄、自分が貰うモン買うのに付き合わせちゃってさ」
「……姉御の頼み、断れるわけないっsyo?」
「あはは、それもそうねー」
「姉御は去年も同じこと言いましたZe」
「あれ? そーだっけ?」
デパートの地下食料品売り場を並んで歩く鶫と虎鉄の両手には、赤い色の大きな紙袋。詰まりに詰まったその中身は、明日1,2年生の野球部員と、夏を最後に引退した三年生の元部員に渡すためのチョコレートが詰まっている。
引退した3年生と1,2年生が一堂に会するのは引退式以来のこと。鶫も3年生だから既に引退しているが、これは引退した女子マネージャーの、文字通り最後の仕事でもあった。



マネージャーの愛は平等に。
それゆえ、チョコはどれもこれも同じもの。誰にどれが渡っても、不公平が無いように。
「去年よりグレードは上がったから期待していいよ、虎鉄」
「マジっすKa?」
「100円のチョコ、今年は120円のにしたからね」
「20円しか上がってないじゃないですかYo!」



去年もこうやって、鶫は虎鉄をお供に、ここへチョコを買いに来た。
去年は3年生の女子マネージャーがいなかったからだ。
一つ一つのチョコは軽いけれど、まとまれば結構重たい。
チョコの詰まった紙袋を手にエスカレーターで1階へ上がると、空気は幾分かひんやりしていた。
明日がバレンタイン、しかも今は夕方ということもあり、地下食料品売り場は人が多い上に熱気がたちこめていて、かなり暑く感じられた。
「虎鉄、コーヒーでも奢ろうか?」
「あ、ゴチになりまっSu」
「コーヒーだけよ、ケーキは自腹でね」
「うわ、姉御ひでぇ……」
「当たり前よ、甘いわねえ虎鉄」
掛け合い漫才をしながら、二人は一階の一番奥まったところにあるカフェに向かう。
「これが終わったら、あたしの女子マネの仕事も終わりだわ……」
鶫がふと呟いた。
「……そうっすNe」
虎鉄の心に、その呟きは鋭く突き刺さった。鶫は去年の内に進路を決めてしまっている。県外の大学へ進学するのだという。
「姉御、―――」
虎鉄がふと立ち止まり、鶫に声を掛けた。
「ん? ナニ?」
呼ばれて鶫も立ち止まり、虎鉄に振り返った。
「あ、いや……別Ni……」
「……ナニよ、気になる」
「いえ、やっぱなんでもないッス」
「あっそ」
鶫はまた歩き出した。虎鉄も後に続いて歩き出す。


言いかけた言葉を、虎鉄は思わず飲み込んだ。



”姉御。俺に、姉御の本命チョコをください”



一年のときからずっと、虎鉄が鶫に対して抱き続けていた気持ち。
鶫には言えないまま、きっと鶫は虎鉄の前から飛び立ってしまうのだろう。




64:『折り鶴、一羽(屑柿)』




皆勤賞が飛んじゃった。
学校で流行ってる風邪、モノの見事に貰っちゃって。
「寝てるのって性分に合わないんだよねー……」
「つべこべ言わないで黙って横になっていろ。治るものも治らなくなる」
「……わかりました」
あたしの枕元には、大きなサイズのプッチンプリンが一つ。屑桐のお土産。
横になったあたしの隣で、屑桐は紫色の折り紙を折っていた。
「ホラ、出来たぞ」
出来上がった紫色の折り鶴を、屑桐が差し出した。
「……綺麗」
あたしは手を伸ばしてそれを受けとった。
「屑桐、上手だね」
「……流石に千羽鶴は大袈裟だからな」
「あはは、そうだね」
「早く良くなれよ……」
大きな手があたしの頭をくしゃくしゃってした。
「ん、……ありがと、屑桐」


身体はとてもだるくてしんどかったんだけど、心はこの上なく幸せに満ち足りていた。




65:『ファミレス午前二時(バレンタイン 一→柿)』



クリスマスも大晦日も正月も、今年はまともに楽しむことなく過ぎていった。
勿論バレンタインデーもそうなる予定だ。なぜなら自分は受験生だから。
進路が決定するまでは、何もかもお預けだ。
二月十三日の真夜中……日付はもう十四日になっていた……その、真夜中。
自室で勉強をしていた俺の携帯に、着信があった。
こんな時間に誰なんだ、どうせ間違い電話だろうとディスプレイを見れば、『柿枝鶫』と表示されていた。
「もしもし? 柿枝?」
シェルを開き、通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。こんな時間に、何の用だというのか。
『もしもし、いっちー?』
「ああ」
『……悪いんだけど、今から出れるかな……?』
柿枝の、くぐもった声は明らかに震えていた。


それから五分後。
俺はダッフルコートを羽織り、リュックに財布と携帯と参考書一冊を放り込んだ。
こんな時間に何処へ行くの、と俺の足音で起きた母親が眠気交じりの声で尋ねるのにも答えず家を出た。
外は真っ暗。空には星ひとつなく、冷え切った空気は頬に痛かった。
『今さ、駅前のファミレスにいるんだ』
終電もとっくに出て、タクシーすらまばらにしかいない駅前の、ターミナルそばの小さなファミレス。
24時間営業とはいえ、流石にこんな時間に客は数えるほどしかいなかった。
柿枝は、一番奥の席に座っていた。というより、テーブルに顔を伏せていた。


午前二時のファミレス。
無言でテーブルに伏せている柿枝と、その向かいの席で参考書をめくっている俺。
傍からはどんな二人に見えるんだろう。
柿枝は俺が席に着くと、ちょっと顔を上げて、「ありがと、いっちー」と言い、またテーブルに突っ伏した。
顔を上げたときちょっとだけ見えた顔は、泣き腫らしたかのように目の周りが真っ赤だった。
ああ。俺は理解した。
柿枝の恋が終わったんだ。
冬が始まる前から、柿枝は隣のクラスの男と付き合っていた。そいつと、きっと終わったんだ。
昔から……といっても高校に入ってからのことだけれど、柿枝はこんなとき、良く俺を頼ってくる。俺は何も聞かないで、ただ傍にいるだけだけれど、それがいいんだと柿枝は言う。
悩み事があったとき、どん詰まりでどうしようもなくなったとき、誰かと喧嘩したとき、そして男と別れたとき。
柿枝は俺を呼び出す。柿枝はこんな感じで伏せっていたり、時にはワンワン泣いていたりもする。
俺は進んで声こそ掛けないけれど、柿枝がいいというまで傍にいてやる。そして柿枝の気が済んだ頃に、ぽつぽつと口から零れてくる愚痴や悩みを聞いて、俺なりのアドバイスをする。
俺と柿枝は、そんな関係だった。



「ごめんね、いっちー試験勉強中なのに……」
顔を伏せたまま、柿枝が口を開いた。
「別に……」
柿枝は去年のうちに進路を決めていた。ああ、そうだ。たしかその時も、親と進路のことで意見が真っ向対立して、俺を呼び出して泣いていたっけ。
結局、柿枝は自分の思う道へと進むことを決めたのだけれど。
恋路は思う方向へは行かなかったらしい。
ふと見れば、床に置いた柿枝の小さなカバンの口から、ぐしゃぐしゃになった赤い包みが覗いていた。渡し損ねたんだ。
「アイツの好きと、あたしの好きって違ってたんだ」
「ふーん……」
「この頃さ、会うたび喧嘩してたんだ」
「……お前、気が強いからな」
「分かってるよ……あーあ、……付き合う前にもうちょっと考えればよかったかも……」
「お前、前にもそれ言ってただろ?」
俺は参考書から眼をはなさずに言った。
「そうだっけ……んー……そんな気もするかなぁ」
テーブルには、冷め切ったコーヒーカップが二つ。
参考書を読む俺と、伏せたままの柿枝。



「……あたし、いっちーのこと好きになってれば良かったかなぁ……」
柿枝が、伏したままポツリ、呟いた。
「男は好きでもない女の愚痴なんて付き合ったりしないんだけどな……普通は」
俺は参考書を読みながら呟く。
それが柿枝から俺への告白で、俺から柿枝への返事だった。



午前二時のファミレス。
顔を上げた柿枝と、参考書から顔を上げた俺は目を合わせ、何が可笑しいのか、笑いあった。
俺が貰ったのは、柿枝が別れた男に渡し損なった、包装紙がぐしゃぐしゃになったチョコ。
恋人と呼べる仲にはなったけれど、俺と柿枝の関係は、やっぱりロマンチックには程遠い。







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柿枝姉さんフィーバー。


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