『おばかさん』
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生まれて初めての彼女が出来たのは、夏前のこと。
恐れ多くもひとつ年上。おまけに部活の先輩と来たもんだ。
はたからは女王様と下僕にしか見えないけれど、間違いなく俺と梅さんは恋人同士、なわけで。
海にプールに花火大会、甲子園取材に秋祭りに文化祭にクリスマス。
恋人として過ごす季節とイベントの、なんと楽しいことだろうか。
あっという間に季節は巡り、年は明けて2月14日・バレンタイン。
例年ならチョコ会社の陰謀だの、バレンタイン廃止デモだの後ろむきなことばかりを口にして、天国とむなしくチョコ交換をしてお袋からチロルチョコを二つ三つもらえるだけだったのに、……今年は違う。絶対違う。
寧ろ楽しみで浮かれている。
なぜなら、生まれて初めて、紛れもない本命チョコが貰えるからだ。
「はい、沢松(愛)」
14日の朝、登校してすぐ部室に行くと、先に来ていた梅さんがおはようを言うよりも先に差し出した、ハートの形の箱。
「え、あ、」
「ホラ、あじゃないでしょう? 受け取ってくださいな(促)」
促されて、俺は恐る恐る……その、差し出されたハートの箱を両手で受け取る。
「梅さん、これ……って」
「バレンタインチョコ、勿論本命ですわ?」
本命、の部分、梅さんは強調して言った。
「ほ……本命……」
聞き間違いじゃないよな? 本命って、今言ったよな? 言ったよな?
「生チョコを作るのは初めででしたけれど、結構上手くいったと思いますの……」
「て……手作りっすか……!」
バレンタインに本命チョコ、しかも手作り。
「梅さん、ありがとうございますッッ!!!!!!!!!!!!!!」
俺は思わず土下座をしてしまった。
「ちょ、ちょっと、沢松ッ!(焦)」
「このご恩、一生忘れませんッ!!!」
後から冷静になって思い返せば、俺なにテンパッてんだ、って話なんだけど……だって本当に感激してたんだ。
夢にまで見た、彼女から貰う本命チョコ、しかも手作りデラックス。
赤い箱は、実際の重さ以上に重く感じた。
クラスに帰って、貰ったばかりの本命チョコをクラスメイトに見せて周り、天国からはパンチを喰らった(その割りに天国も凪ちゃんから本命チョコ貰ってたんだけど)。
その日は一日、浮かれ気分だったのは言うまでもない。無論授業もうわの空。放課後の部活もそんな調子で、野球部の取材してたらファールボールが頭に当たったりなんかして。
「本命チョコ〜♪ フンフンフ〜ン♪」
家に帰っても勿論そのテンションは続いてて。家族にも近所のガキンチョどもにも飼ってる犬にも散々自慢して見せびらかして、冷やかされて。
一通り自慢し終わって、さてそろそろ梅さん特製の本命チョコを頂こうか……というとき、俺ははたと気がついた。
これをすぐに食っちまうの勿体無くないか? と。
生まれて初めての彼女から貰った、生まれて初めての本命チョコ、しかも手作り。
この幸せ、しばらくじっくりとっくり堪能した後で、口にしたほうがいいんじゃないかと。
食うのは一瞬。味わうのも一瞬。当然、食ったら無くなる。
お菓子作りのことはよくわかんねえけど、クラスの女子達によればこういう手作りのお菓子ってのは結構手間隙掛かるもんだっていうし。
しばらく考えをめぐらせた後、俺の出した結論は。
「……これ、しばらく飾っとくか」
自室の洋服タンスの上、梅さんと撮ったツーショット写真の入った写真立ての横に、俺は今日貰った赤い箱をそっと置いた。
本命チョコを貰った幸せをひとしきり堪能し終え、ようやくそれを口にしたのは、ホワイトデーの近づいた、ある日の朝のことだった。
その日、俺は数学の授業中に腹痛を起こした。
自分ではまともに歩けないほどの激痛に、天国に付き添われ、クラスの柔道部員に背負われて保健室行きになった。
「……バカ松ッ!!!(怒)」
保健室に入ってきて、俺が横になっているベッドに駆け寄った梅さんが開口一番放った言葉。
「すみません……梅さん」
俺はただ、謝るしかなかった。
腹痛の原因は、あろうことか梅さんから貰った生チョコ。
冷蔵庫にも入れずに一ヶ月近くも室温に放置してあったそれを、今朝出掛けに口にしたからだった。
室温と言ったって、最近暖かい日が続いてたし、夜は遅くまで暖房ガンガンつけてるし、うち日当たりいいから昼間は日が差し込んできてたし。
……よくよく考えてみれば、痛むのも当たり前な話で。それを食ったもんだから、腹が痛くなるのは自然なこと。
うんうん唸りながら運ばれてきた俺は、痛み止めの薬を貰って横になり、なんとか落ち着いた。
梅さんは天国から俺が運ばれた話を聞いて、すっ飛んできてくれたらしい。
「もうとっくに食べてしまったと思ってましたのに……生チョコを冷蔵庫にも入れないで放置してたら、痛むのは当たり前ですわ! その上それを口にするなんて……(呆)」
梅さんの眉間にはくっきり怒りの皺が。その上早口でまくし立てられて、ああ。怖ぇ。ちびりそう。
「どうしてその日とか次の日とかに、さっさと食べてしまわなかったんですの!?(尋問)」
「いや、だって……」
俺は布団を少し引き上げた。
「……折角梅さんから貰った本命チョコだし……なんか勿体無くて……」
今朝学校に行く前、ようやく箱を開けて小さなかけらを3つほど口に入れた。
梅さんは大きくため息をつくと、髪を掻きあげた。
「もう本当に……余計な心配をかけさせないでくださいな……沢松」
「すみません……」
これで何回すみませんって言ったんだろう。
「俺、梅さんの愛情を無駄にしちゃいけないかなあって思って、貰ったチョコを今日までとっておいたんですけど……逆に無駄にしちゃいましたね」
良かれと思ってしたことなのに、……あーやっぱ考え足りないな、俺。だからバカ松って言われるんだよな。
「ごめんなさい、梅さん」
何度目かの謝罪の言葉に、梅さんは小さく笑ってくれた。
「―――もういいですわ」
「けど、」
「さっさとチョコを食べるように言わなかった私も悪いですし……それに、私の作ったものを直ぐ食べるのが勿体無いなんて思ってくれて、それは女として嬉しいことですわ……」
「梅さん、」
「……でも、沢松は本当に……おばかさんですわ」
俺に向かってそう言った梅さんの目が潤んでいた。
「私、心配したんですのよ、……沢松が保健室に運ばれたなんて聞いて……」
白いシーツの上に、ぽたり。
梅さんの大きな瞳から、泪が零れて落ちた。
俺の心は、収まったはずの腹痛よりももっと痛んだ。
生まれてはじめての、本命チョコの甘酸っぱい思い出。
(END)
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