『いびつな五角形』









「……火災報知器が鳴っても知りませんわよ(呆)」
「ほんなん心配ご無用。今まで一回も鳴ったことあれへんから」
呆れ顔の塁を他所に、黒豹は七輪の前にしゃがみ込んで、秋刀魚の開きを焼いていた。
秋刀魚特有の旨そうな匂いが、煙と共に室内に立ち込めてくる。
因みにここは報道部の部室。れっきとした室内だった。
脂の乗った秋刀魚は煙も結構な量で、
窓を全開にしても室内はうっすら(どころでなく)煙っていた。




そしてこの部室の真下は、職員室だった。




「……パシリの沢松君、遅いなぁ」
「あれは私のパシリであって、あなたのパシリではありませんのよ? 黒豹君」
沢松は黒豹のおつかい……もといパシらされている。
焼いた秋刀魚の開きを食べるのに、これだけではさびしい、
白いご飯とあともう一品くらい何か欲しいと言ったのは黒豹だった。
「まぁまぁ、固い事はなしや。……それよか姐さん、ええ後輩持ってんなぁ」
「―――ええ、いい後輩ですわ」
一年の時、黒豹と塁、虎鉄と猪里は四人同じクラスだった。そして黒豹は入学してしばらくは野球部に在籍していた。
二年になってクラスが違い、黒豹が野球部を去った今も、塁のいる報道部の部室に黒豹が遊びに来ては他愛の無い話をする、そんな日々だった。



全開にした窓から夕日が差し込んでくる。
部室内で秋刀魚の開きを盛大に焼かれては、仕事にもならない。
塁は窓枠に腰掛けて呆れ顔で黒豹を見ていた。
「……魚の匂いが部屋に染み付いてしまいますわ。それに先生が怒鳴り込んできたらどうしますの?(呆)」
「一緒に秋刀魚食いまっか、ってゆうたらええやん? 七輪で焼いた秋刀魚の開きは最高やで?」
「……本当に……(溜息)」
溜息をつきながらも、野球部当時の黒豹や白鴎とのことをリアルタイムで知る身としては、
黒豹を口煩く言うことは出来なかった。
一時の塞ぎこみ様からすれば、冗談が次々と口から出てくる今の黒豹はまるで別人だった。




「あなたはもう野球部には戻らないの?」
「……なんでそんなこと聞くん?」
「そう思っただけよ。もしかして愚問だったかしら」
「……ああ、愚問やな」
一年の子津には、確かな女房役が必要だとは羊谷も日頃から言っている。
犬飼にとっての辰羅川。鹿目にとっての三象のように。
黒豹なら、子津の……と、思っているのは決して塁だけではない。
「あの一年ボウズにもそのうち見つかるやろ……ええ配球してくれる女房役が」
「……他人事みたいに」
「そら他人事や」
「案外冷たいのね?」
「―――まぁな」
鋭い言葉が飛び交うのも、冗談の通じる間柄だからこそ。
女にしてはさばさばとした物言いの塁は、黒豹には話しやすい相手だった。




「そういう姐さんも、罪なお人やな……」
「……何のことかしら?」
脂が赤く焼けた炭の上に落ちると、その度じゅぅっとえもいわれぬ音がした。
塁はしゃがみ込んでいる黒豹をずっと見ていたが、煙のせいで表情はよくわからなかった。
「―――あんさん、自分が何人の男に想われてるんか、指折って数えたことあるか?」




「……知りません(憮然)」
塁は憮然として答えた。
言葉は便利だ。
知らないという言葉は、本当に知らないという意味以外でも使えるのだから。
「……姐さん、知らんぷりはあかんやろ? この場合」
窓から僅かに風が吹き込み、煙が晴れる。
意味ありげな笑みを浮かべた黒豹が、相変わらず七輪の前にしゃがんでいた。
「姐さん、パシリ君とはどこまで進んでんの?」
「黒豹君、(焦)」
「付き合うてんのやろ?」
「違います!」
「違うことあれへんがな……もう、寝たんか?」
「なっ……!(赤面)」
「はは、顔真っ赤になってんで」
黒豹が、塁を指差して笑った。
「……虎鉄や猪里はいつまでも黙ってへんよ? あんさん、いつまであいつ等の気持ちに気づかん振りするつもりや?」
「黒豹君ッ!!!(叫)」




声の限り叫んだことに気づき、塁がはっとして口に手を当てた。
あわてて窓枠から降り、きまり悪そうにうつむいた。
「……あーあ、真っ黒焦げや」
黒豹が菜箸で摘まみあげた秋刀魚の開きは、哀れ消し炭と化していた。
「傍から見てたって、あんなん丸分かりやで?」
「あなたには関係のないことですわ。それこそ、愚問です」
「そうやな、愚問やな」
黒豹は腰を上げ、窓際にいる塁の前に立った。
「休み時間にC組の前通るん、結構気が引けるんやで……」
塁の肩越しに、消し炭と化した秋刀魚の開きを、窓からぽい、と捨てた。
「あんさん、誰かをファインダー越しに見つめることには慣れてるんやろうけど、 自分が見つめられるんは慣れてへんみたいやな?」
炭化したそれは放物線を描いて、鯉の泳ぐ中庭の池に落ちた。
「………よくわかりますわね。悔しいですけれど、そういうことですわ……」
「はは、大正解や」
塁の気持ちを、黒豹は理解していた。
「それにしても、パシリ君VS虎鉄・猪里組。よう飽きんと毎時間毎時間休み時間ごとにやっとるもんや……ほんでもなぁ」





「―――知らんで、どうなっても」
黒豹が塁を見下ろして言った。
「……結構ですわ。私は沢松のものですもの(睨)」
「自信満々やな、姐さん」
「ええ、……見かけよりもよっぽど頼りになりますもの。沢松は」
見下ろされ、塁は対抗するように睨み返す。
「……自分に想いを寄せるクラスメイトは傷つけとうない、今までどおりの程よい距離とええ仲を保ちたい、ほんで自分は何にも知らん気付かん振りして、重荷は恋人に背負わせて戦わせる、……あんたほんまええ性格やな」
「………!!」
「はは、図星やろ」
黒豹がふと窓の外に目をやると、自転車に乗った沢松が中庭を横切ってくるのが見えた。
「姐さん、実は臆病者やんなぁ……」
自転車の籠には、スーパーの白いレジ袋。
「あんさんのナイト、帰って来たみたいやな」
窓から身を乗り出し、黒豹が大げさに手を振ると、沢松がそれに気づいて手を振り返す。
「魚は焦げてしもたけど、飯と一品あったら十分やろ……ところで、姐さん」
「……何かしら……」






「……わいもそれに参戦したいって言うたら、姐さんどうする?」




振り返った黒豹の目が、塁を見据えた。
「めっちゃ面白いことになるとか思わへん?」
驚きに見開かれた塁の瞳に、不敵な笑みを浮かべる黒豹が映っていた。
「……わいも姐さんのこと、一年の時から……好きやったんやで。虎鉄や猪里と同じや」




「……虎鉄にも猪里にも、ましてやパシリ君にも。わいは負ける気せえへんで?」
差し込む夕日に半身を照らされた黒豹の言葉が、塁を打ち抜いた。




いびつな形をなしていた四角形。 それはこの時、さらにいびつな五角形になった。








(END)




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