顔が見えるようにこっちを見て(山奈々)





「……ねえ、武君」
コトの後は幸せで、でもいつも身体がだるい。後のことなんか考えずに勢い任せでやっちまうから。
そろそろ帰る時間だ、今日は店手伝わなきゃと壁掛け時計を見て起きかけた俺に、俺の隣でベッドに伏せたままの奈々さんが声を掛けた。
「はい、なんでしょう」



「……今日で終わりにしない?」
奈々さんはゆっくりと、でも確かにそう言った。




今度はいつ、なんていう言葉を期待していた俺は、頭を思い切りぶん殴られた気分だった。





薄暗くなった家路を歩く俺の後姿は、さぞや情けなく見えることだろう。
背負ったバットケースが重い。
ふと自分の胸元を見てみれば、制服のワイシャツのボタン、掛け違えてら……情けねぇ。
『こんなこと、いつまでもしていていいわけないのよ』
『あなたはまだ中学生で、私はもう……』
『分かる? 私はあなたの、同級生のお母さんなの』
『今は隠し通せていても、いつかはツナやあなたのご家族にばれてしまうと思うの』
話しの流れはよく覚えていないけど、そんなことを奈々さんは口にした。
最後に、『だからもう、二人きりじゃ会えないし、会わない』と締めくくった。
「畜生……ッ」
道端にあった空き缶を思い切り蹴飛ばした。軽い音を立てて空き缶は遠くへ飛んだ。



奈々さん、奈々さん、奈々さん。



分かってるよ。こんなの悪いことだって位。
でも好きだった。本当に好きだった。
だからつながりを求めた。ツナの目ぇ盗んで会ってはつながって、それで俺は良かった。



『……さよならよ、武君』




コトの後、奈々さんは一度も俺のほうを見なかった。
そういえば今日は最初から何か違ってた。いつもより、奈々さん激しかった。
会う前から、別れを決めていたんだ。
奈々さんは背中を向けたまま、淡々と別れの理由と別れの言葉を口にした。
俺が見れたのはなま白い奈々さんの背中と、カットしたての流れた髪。



奈々さんは泣いてたんだろうか。
笑ってたんだろうか。
怒ってたんだろうか。
それすらも分からない。



俺が初めて愛した女の人の、最後の時の顔を、俺は見ていない。
ちゃんと顔を見ておくべきだったと、今思う。




「……わかったよ。さよなら、奈々さん」
俺は吐き捨てるように言うと、シャツと荷物を引っつかんで急いでツナの家を出た。




……言うべきだったんだ。さよならの前に。



「奈々さん、顔が見えるようにこっちを向いて」って。
そして振り返った奈々さんがたとえどんな表情をしていたとしても、奈々さんとちゃんと向かい合って俺はさよならを言うべきだったんだ。
無理やり、振り向かせてでも。




「……くそっ……」
気づいた時には後の祭り。
頬を伝う、一筋の涙。



もう、二人きりでは会えない。

会うことはない。




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