『河上万斉で10のお題』
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配布元:『万斉を探せ!』様
管理人:まこと様
●サングラス越しに(万斉&お通)
●散るために咲く(万斉&お通)
●どちらを捨てる(万斉×お通+高杉)
●最後に斬ったもの(万斉×お通+真選組 ※死にネタ)
●他には聞こえない (万斉×お通)
●長い指先(万斉×お通)
●騒がしい沈黙(万斉×お通)
●風を受けて翻る(高杉&万斉&武市)
●爆音は消えた(万斉×お通)
●遮られた歌声(万斉×お通)
※それぞれ独立したお話としても読めますが、連作です。時系列順はこちら
●サングラス越しに (万斉&お通)
万斉の世界は灰色だ。
サングラス越しの世界は、全てが灰色だ。
そなたをプロデュースしたい、と、万斉は少女に声をかけた。
寂れた街角で、ギターを片手に、誰も聞く人などいないのに一人懸命に歌う少女に。
少女――お通は、自分に声をかけてきたのがかの有名プロデューサーのつんぽであると知るや否や、喜び、驚き、感謝し、そして――訊ねた。
「あの……つんぽさんは、どうして私を選んでくれたんですか?」と。
「……それは、その、」
理由を問われ、つんぽ――万斉は答えに窮した。
灰色の世界の中にあって、この子だけはどういうわけだか鮮やかな色彩で見えたのだ。
錆色の髪、柑子に蘇芳の手毬の着物、東雲色の紅をさした唇。やわらかな卵色の肌。
全てを映す、黒曜石の輝く眸。
そんな非現実的な、当人にしか分かりえないような理由を言えば、きっと狂人扱いされるだろう。
しかしそれは本当のことで、現に今も万斉にはその様にお通が見えているのだ。
「どうして、私なんか……?」
お通が小首を傾げると、錆色の髪が揺れる。疑問を紡ぐ東雲色はぽってりとしていて、年頃の少女らしかった。
答えに窮し、歌が上手いだとか光るものがあるだとか通り一遍の台詞を慌てて取り繕った万斉を、黒曜石のふたつの眸が映していた。
(あの時と同じだ)
万斉はこの世にもう一人、お通と同じ様に見えた人間と出会ったときのことを思い出した。
あの日、隻眼の総督もまた、サングラス越しに鮮やかな色彩で万斉の目に映った。
(幕)
●散るために咲く (万斉&お通)
花は、ポトリと首を落としていた。
小鉢に生けた椿の花が落ちていた。
花を失った小鉢は虚しく、三方に開いた分厚い葉は彩るべき花を失い、どうしていいのかわからぬ顔をしていた。
違い棚の前で、万斉はため息をついた。花はこうして度々手間が掛かるから、万斉はあまり好きではない。
しかし高杉は花を好み、この隠れ家のあちこちに花を生けさせている。前にいた隠れ家の生垣にも、わざわざ庭師を呼んで色々と植えさせていた。
桜の様に散ったわけでもなく、盛りでポトリと、まるで首が落ちたようなその様はなんとも虚しい。
捨ててしまおうと塵箱の前まで行った。しかし万斉はなぜだか椿を捨てられなかった。
「まだこんなに美しいというのに」
無残にもしなびた花なら惜しくは無いが、今を盛りと美しく開いた花を無下に捨てるのは躊躇われた。
塵箱よりはましだろう、と中庭の池に投げた。
「落椿と洒落込んでみたが、さて」
赤い椿がゆらゆらと小さな池の水面に漂う。
散るために咲くのが花だとはよく言うが、では散らずに落ちる花は一体何なのだろう。
次の日、万斉は仕事でお通と会った。お通の髪には、新しい簪が挿されていた。
「ほう、椿でござるか?」
「これですか? 綺麗でしょ?」
大きな椿をかたどった花簪を付け、お通はえへ、と笑った。
「これ、今江戸で流行ってるんですよ。なかなか手に入らなくて、あちこち探したんです」
「ほう……」
美しい、大きな花椿の簪。
その簪はお通に似合っていると思ったが、万斉は何故だか素直に褒められなかった。
盛りに首を落としたあの花と重なるような気がして。
『若さの盛りで命を落としたみてぇだな』
昨夜、酔った高杉が落椿を見てそんなことを言ったからだろう。
(幕)
●どちらを捨てる (万斉×お通+高杉)
僅かに曇った窓の外では、雪が深々と降っている。
夜半を過ぎ、随分と冷え込んできた。
明日の朝にはどれほど積もっているだろうか。
目釘を抜く手元が覚束ない。
手入れのために三味から出した仕込みの刀は、迷う万斉自身の姿を鈍く映している。
先刻、高杉に呼び出され、突然プロデューサーを辞めるようにと命じられた。
これまで、鬼兵隊の資金調達の名目で万斉は高杉から二足の草鞋を赦されていたが、この度密約を結んだ大店から
資金提供としてまとまった金が定期的に支払われることが確定となり、万斉が金策目的で音楽の仕事をする必要がなくなった。
ただでさえ鬼兵隊の幹部が度々不在、それも副業でというのはなにかと具合が悪い。
副業から足がつく危険性は常に付きまとっていた。それゆえ、万斉はごくごく限られた関係者の前以外には絶対に出ないという徹底した秘匿主義をとっていたが、
それでも真選組が”つんぽ”を疑いかけたことはあった。
武市は万斉の不在時、自分の負担が大きいと常々零していた。今回それを高杉に訴えるに際し、大口のこの密約を一人で取り付けてきた。流石の高杉もこれには舌を巻き、武市の為にも万斉に決断を迫らざるを得なかったのだ。
「いい機会だしよォ、プロデューサーなんかやめちまえよ」
高杉は窓に腰掛け、煙管を吹かしながら万斉に告げた。
密約は同時に幕府の高官との繋がりを得ることも兼ねていた。予てから黒い噂のあるその高官との繋がりは高杉にとっては大収穫だ。
「……今すぐにでござるか? 晋助」
万斉は返答を渋った。
「当たり前だろう? そのためにわざわざ武市が話をまとめてきてくれたんだろうがよォ。お前もいつまでも武市に何もかも丸投げはできねぇだろ? ―――あの女は捨てちまえ」
あの女、と言われ万斉は息を呑んだ。
「……晋助、拙者は……」
万斉は、できれば辞めたくない、どうしても辞めなくてはいけないのならせめてあと一年は続けたいのだが、と高杉に乞うた。
高杉は万斉の声が震えているのに気付いていた。
万斉にとって未練があるのは、惜しいのは表の名ではないのだ。その名を大義名分に逢瀬を重ねる、高杉が”あの女”と呼んだ小娘。
紫煙をフゥと吐き出し、高杉は「出てけ」と吐き捨てるように万斉に言い、付け加えた。
「……万斉。一度だけ言う。どちらかを捨てろ。択べ。明日の朝までにな」
突然迫られた選択。
どちらを捨てる。
丁子油の瓶の蓋を捻る。キュ、という音に、部屋の隅に敷いた布団で、こちらに背を向けて眠るお通の肩がもぞり、動いた。
『お通殿を捨てるか……拙者が人斬りを捨てるか……』
捨てろと言われ迷いが生じたのは、万斉の心の中に確かな感情が生まれているが故のこと。
『どちらを捨てる? 一体、どちらを……』
雪はまだ降っている。
いっそ夜のうちに二人で逃げれば、降り積もった雪が足跡を消してくれるだろうか。
不意にそんな考えが万斉の頭を過ぎった。
(幕)
●最後に斬ったもの(死話 万斉×お通 +真選組+高杉)
河原の二つの茣蓙とそれを取り巻く官憲を、橋の上とそれに続く通りから、人々が物珍しそうに眺めている。
「情死か」
片膝をつき、掛けられた茣蓙をそっとめくった近藤は、中の有様になんとも言えない顔をした。
情死、と言葉は簡単だが、茣蓙の中の遺体は凄惨なものだった。
「……いい子だったのになぁ」
無残に血に塗れた少女の亡骸。生前の明るい歌声と元気な笑顔とは程遠いものだった。
近藤の記憶の中の彼女は健気でいつも愛らしく、少し天然で、けれど誰からも好かれ、傍にいるだけで元気を貰える……年相応の少女だった。
「なんでこんなことになっちまったんだろうなァ……」
近藤はめくった茣蓙を元に戻し、両手を合わせ黙祷した。こんな死体を見るのはもう慣れたはずなのに、涙腺が緩むのを感じ、近藤は堪えた。
「……人斬りが情死たぁ……随分古い話でさァ。今時流行りやせんぜ」
沖田は近藤の隣に両膝をつき、同じように両手を合わせた。
「人斬り万斉と、アイドルの寺門通。……住む世界の違うこの二人が一体どこで知り合ったっていうんでしょう?」
沖田は首をかしげた。少なくとも沖田の知る寺門通は、人斬りと出会って、しかもこんな死を択ぶ生き方などしていない。
「華やかな芸能界の影とはよく言いやすけど、影にも程があるでしょう。土方さん、これほんとにお通ちゃんですかィ? そっくりさんとかじゃないんですかィ?」
「ああ、本人だ。間違いない」
二人の後ろに立った土方が、手にした書類を見ながら断言した。
遺体は確かに人斬り万斉と寺門通のものだった。簡単にではあるが、身元の確認は済ませた。
「詳しいことは今山崎が調べているが、この二人らしき男女が度々、この付近の料亭や宿で目撃されている。目撃証言からも情死はほぼ確定的だろう」
土方は煙草を咥え火をつけ、ため息混じりに呟いた。
「一体なんだってんだ……訳わかんねぇよ……」
二人分の血糊のついた刀は万斉が握ったままだった。
目撃証言によれば夜明け前、橋の近くの乾物屋の女将が寝じかる初孫を背負って橋の上を通ったとき、河原に立つ二人を見たという。
薄暗がりの中で先ず男が自分で自分の身体を刺し、血飛沫を上げ呻きながらじっと立っていた女を斬った……と。
倒れた二人は血の海の中、互いの手を取り合い、そのまま息絶えた。証言はそう締めくくられている。
沖田も茣蓙をめくった。それを後ろから土方が覗き込んだ。証言を裏付けるように、血の気を失った二人の手は硬く握られていた。
「結ばれぬ関係を儚んで、ってやつですかィ? 近藤さん、警察発表どうします? 証言通りに発表するんですかィ?」
「……ネタはこれから考える」
「虚偽の方向に行きやすかィ?」
「このまま発表するのが筋だろうが、それじゃぁスキャンダルどころの騒ぎじゃないからな……虚偽発表はバレれば警察の面子に関わっちまうが、いっちょ松平のとっつァんに掛け合ってみる」
あの子は俺達の一日局長もやってくれたからな、出来ることはしたいんだと近藤は寂しそうに微笑んだ。
「本気か、近藤さん!」土方が飛び掛らんばかりに近藤に食いついた。近藤はああ、と頷いた。
「俺がやると言わなかったら、お前とっつァんに掛け合っただろう? トシ」
「……まぁ、そりゃそうだけど……」
土方は頭を掻いた。
「自分らの仲を知られたくなかったからこうなったんだろうよ。だったら、そのままそっとしといてやりたい気がしてな」
「でもよ、近藤さん、」
「どうにも俺はお節介な性分でね……こうしなきゃいけないような気がしてよ。事故でも何でも、でっちあげてみるさ……おい、原田ァ!」
近藤は立ち上がり、パトカーの前に居た原田を呼んだ。土方はため息をついたが、その顔はなぜかほっとした様子だった。
「人斬りが最後に斬ったのが手前の女……斬られたお通ちゃんは本望だったんだろうか……」
茣蓙の前で沖田は呟いた。
「一体どれほどの仲だったんだろうなァ」
茣蓙の下の遺体は何も言わないが、これこそがその”どれほど”を尤も現している。
人斬りとアイドル。本来なら交差する筈の無い人生。何処で住む世界が交差したのか。何を想って、ここで死を択んだのか。
沖田は再び茣蓙をめくり、人斬りの死体に声をかける。
「人斬りィ、何とか言えよ、おい。何でお前とお通ちゃんが一緒に死ぬんだよ。俺だってお通ちゃんの曲結構好きだったんだぞ……なんで手前があの世に連れてっちまうんでィ」
ふぅ、とため息をついた後、沖田は呻くように呟いた。
「……やりきれねェや」
橋の上の人込みから、編み笠を目深に被った高杉が河原の様子を眺めていた。
「――馬鹿野郎が…」
高杉の最後の叱責は、万斉に届くことは無かった。
(幕)
●他には聞こえない(万斉×お通)
雑踏の中、歩きながら耳元で囁かれた五文字は、多分他の誰にも聞こえてはいない筈。
低い、けれど優しい声で「お通殿」と不意に呼ばれた名前に続いてきた五文字。
お通は突然言われた言葉にかあっと頬を赤くし、万斉はそれを見て満足したように口角を上げた。
「さて、急がねば仕事に遅れてしまうな」
「そ、そうですねっ」
万斉は腕時計を気にしコンパスを広げ、お通は何も無かったように振舞おうと務めながら小走りになった。
万斉の長いコートの袖口をお通が摘まんだ。万斉は手を差し出した。その手をお通は躊躇いがちに握った。万斉の頬も赤らんでいた。
(幕)
●長い指先(万斉×お通 ※エロあり)
この指先が好きだ。
白い紙の上を辿る万斉の指先を見て、お通は思った。
万斉の長い指先は、畳の上に広げた楽譜を辿っていく。
男にしては手入れの行き届いた、綺麗な爪。
お通は万斉の長い指先に見惚れていた。
しかし掌はいつも握り胼胝だらけで時折血が滲んでいる。人を殺めるために刀を握るがゆえ。
怖ろしい現実を見ないようにと思っても、夢のすぐ近くに残酷な現実はいつも口を開いている。
目をそらせることなど出来ない。
夢を見させてくれるのは指先。三味線を爪弾き、音をつむぎだす。
長い指先が辿る楽譜は新曲のもの。なだらかなカーブを描くおたまじゃくしを辿り、低い優しい声がここはこういう風に、こちらは弱く、と説明を加える。
掌は現実。彼は刀を握り続け、人を斬り続ける。
「……というわけだが、お通殿、宜しいかな」
「えっ」
お通にとっては唐突に説明が終わり、お通は思わず聞き返してしまった。
「さてはお通殿、拙者の話を聞いていなかったな?」
半ば呆れた万斉の口元に、お通は思わず肩を竦める。
「いえ……半分は、聞いてました」
明らかに言い訳がましいお通の言葉に、サングラス越しの万斉の視線が痛い。
万斉がサングラスを外さないのは、その瞳が血に飢えた人斬りのものであるから。それは掌と同じく、現実。
「……まぁ良い。朝から働きづめでは仕方ない。口でああだこうだと言っても、お通殿が実際に歌ってみぬことには始まらぬからな」
苦笑いを浮かべながら、万斉は楽譜を拾い集める。
「――お通殿、熱でもおありか?」
「いいえ、別に……」
「ならば良いが……」
顔に出てしまうのは、まだ自分が幼いからだ、駄目だ、とお通は自らを叱責する。
怖ろしい現実をありのままに受け止め、諦観の域に達することが出来ていない。
もっとなんでもございませんという顔をしなくては。そして彼を救う手立てを考えられるほどの大人にならなければ。
万斉の指先が見せてくれるかりそめの夢に、身を預けるしか出来ない己の拙さは限りなく歯痒い。
何も出来ない自分が。
一通りの新曲の打ち合わせが終わり、いつもの様に、何も言わず万斉がお通を抱き寄せた。万斉の腕の中、長い指先がお通の着物の前をぐい、と大きく開く。
「あ、」力任せに一気に開かれ、帯を解いて着付けなおさねばどうしようもないほどに乱された。
露になるお通の素肌は、安っぽい蛍光灯の下で眩しいほどに白かった。幻の様な甘い時間が始まる。
「つ……」つんぽさん、と名前を呼ぼうとしたが、その唇を万斉の唇がふさいだ。
蕩かされる様に口付けられる。唾液を交し合い、時折歯がカチカチと音を立てるほど貪る。
夢を見させてくれる長い指先は、露になった、大きいがまだ幼い胸を優しく愛撫する。
それと同時に胼胝だらけの掌で乳房を揉まれる。
「ん、ぁあ…ッ、」
万斉が乳房に吸い付く。お通が喘いだ。万斉は愛しそうに頬を寄せながら乳房を吸い、時折朱を残しながら右も左も味わっていく。
お通の短い裾を肌蹴た万斉の指先が、しとどに濡れた身体の中心を辿る。下着にはとっくに染みが色濃く、
身体の奥から溢れてくる快楽に女の本能はどこまでも正直だった。
つい、となぞられお通が「はぁっ、」と裏返った声を上げる。
下着の隙間からもぐりこんだ長い指先が、愛液を湧かせる秘裂を開く。はしたなく口を開くそこを探り当て、くちくちとじれったいほど入り口付近だけを弄る。
「ふ・ッ、んんぅ……」
堪えきれぬお通の声は艶めき、拓かれた身体は次を予想して甘く痺れている。
もっと深く、その長い指先で掻き混ぜて欲しい。
哀願する潤んだ目で万斉を見れば、万斉も少々余裕の無い顔でお通を見ている。
「そんな顔をされると、逸る気持ちが抑えられなくなってしまう」
「つんぽさ、……あ、あ、ああっ!」
「お通殿、」
万斉の指の根元までが一気に押し入ってきた。乱暴に掻き混ぜられ、性感帯を擽られ、お通の中で何かが裏返る。容赦なく押し寄せてくる波は快感で、それに乗ってしまえば後はもう終わりまでどうしようもなくなる。
急かされるようにその波に乗る。万斉の指が不意に抜かれ、お通の手を取る。現実と幻の入り混じった手。
熱の塊へと導かれる。それは自分で、という無言の指示。お通は頷いてその熱を秘裂に宛がい、快楽の波への櫂とした。
事後の切なさと空虚さには、少しだけ慣れた。お通が湯浴みをして濡れた髪を鏡台の前でくしけずっていると、浴衣に着替えた万斉が隣に座った。
「……いつも悩ませて済まぬな……」
優しい声が、耳元で囁いた。申し訳なさそうに。
(見破られてたんだ……ダメだな、私)
お通は見破られていたことに少しがっかりしながらも、
「いいえ、いいんです。……つんぽさんは何も謝らないで下さい」
万斉の長い指を手に取り、そっと唇を寄せた。湯を使った後だというのに、鉄の匂いがする。すっかり染み付いてしまった血の匂いなのか、それとも刀の匂いなのか。
謝罪の言葉とともに、これもまた、残酷な現実。
(幕)
●騒がしい沈黙(万斉×お通)
「無響室?」
「そう、無響室。お通殿は知らぬかな?」
灯りを消した宿の部屋で、一枚しか敷かなかった布団に二人で包まり、眠るまでのひとときを取り留めのない話で過ごす。
無響室の名を万斉が口にしたのは、音のない世界ってどんなものなんでしょうね、とお通がふと尋ねたからだ。
「どこかのレコード会社にあったと思うが……はて、どこだったかな。なにせ特殊な造りをしていて、全く音がないというよりはむしろ微細な音を全て吸収して無に近くする、といった方が正解か。
自分の声さえ、普段こうして喋るのより随分と小さく聞こえる」
「へぇ……」
「人の耳というのは常に情報として何かの音を拾おうとするものでござる。聞くべき音が吸収されてしまうそこでは、
耳は自分の血の流れる音を、心臓の音を聞こうとする。目を閉じれば世界に本当に自分しかいない気持ちになる……ずっといると変な感じのする場所でござるよ」
つんぽさんはそこに入ったことあるんですね? とお通に尋ねられ、万斉は一度だけでござるが、と苦笑した。
「あまり心地の良い場所ではござらんよ」
「そうなんですか」
「心地はよくないが、普段何気なく過ごしているこの世がいかに様々な音に満ちていると分かる」
「へぇ……この世の中って、本当はすごく騒がしいんですね」
「そうでござるな。静かだ静かだといっても、考えてみれば常に何かしらの音がしておるものだ」
雪は深深と降る。
霧雨もかすかな雨音をさせながら降っている。
風は木々の葉を靡かせる。
蓮の花は開くときぽん、と可愛らしい音をさせる。
川はせせらぎ、海は波打つ。
虫は啼く。鳥は囀る。
家は軋む。火ははぜながら燃える
身動きをすれば衣擦れの音。呼吸。
そして、人は歌う。
世界は音に満ちている。
「……お通殿。……もう寝たか……?」
しばしの沈黙。
お通の瞼はいつしか閉じられていた。声をかけたが、寝息が聞こえるだけだ。
取り留めの無い話は格好の子守唄だ。
万斉はお通の頬に手を当て、その柔らかな肌触りをこっそりと楽しみ、安らかな寝息に耳を傾けた。
これもまた、心地の良いこの世の音。
(幕)
●風を受けて翻る(高杉&万斉&武市)
まるで踊っているようじゃねェか。
高杉は一人ごちた。
浮かれ気分を一気に削ぐような絶叫。遊女達がきゃあきゃあと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
色町の川べりでついさっき始まった浪人同士のいざこざ。料理屋や置屋の窓から、人々が顔を出して野次馬になる。
気の強いことで有名な船井屋の女将と攘夷派らしい浪人集団が何が理由か言い合いになった。浪人集団が女子供でも容赦はしないと大啖呵を切っていたところへ、通りがかった若い男が仲裁に入ったらしい。
女将は解放されたが、その男を十人以上の浪人達が囲み、互いに真剣を抜いてやりあおうとしている。
「一寸高みの見物と洒落込むか」
紫煙を吐き出し、高杉はククッ、と肩を竦めて笑った。馴染みの三島に行く途中だったが、近くの小さな傍示石に腰を下ろし、見物を決め込んだ。
「ご覧になるので? ならばこれを」
武市が声を掛け、自分の羽織を脱いで高杉に着せる。
「面白いでしょうか?」
「面白いさ。アイツ多分強ェよ」
煙管の吸い口で、高杉は取り囲まれている若い男を指す。高杉よりも少し年若だろう。
背中に負った三味線から抜いた仕込の刀は細く、しかも多勢に無勢。圧倒的に不利な状況だ。
「まぁ、見てろよ」
先に切りかかったのは男だ。
それはまるで踊るようだった。
太刀筋は正確で、迷いは無い。
恐らくはどこかの流派なのだろうが、江戸ではあまり見ない剣法だ。
しかも大柄な割りに身のこなしが軽い。全く隙がない。
血飛沫があちこちで上がり、さっきまで威勢の良かった浪人達が太刀を振るう間もなくばったばったと倒れていく。
残った二三人が掌を返したように命乞いをし、斬られた浪人達と共に這う這うの体で逃げていく。
三島の楼の高い窓から、酔客の笑いと遊女の拍手が投げかけられる。座布団やら刺身の切れ端やら簪までもが降ってきた。
男の長いコートが風を受けて翻った。男は少々可笑しな格好だ。サングラスにヘッドホン。背中に三味線。
整髪料でつんと立てた髪。
刀を持っているところを見れば侍だろうが、幕臣が仕込だなどとそんな帯刀の仕方をするわけも無く、とすると攘夷派か。
男は高杉をちらりと見ると、驚きを顔に表した。
「武市ィ、アイツ呼んで来い」
高杉はニヤリと笑い、武市に命じた。
サングラス越しに、高杉の隻眼と男の視線が合った。
「はぁ……何をなさるおつもりで」
「酒飲むんだよ。一緒にな」
「……わかりました」
武市は頷くと、その男を呼びに行った。
それが出会いだった。
(幕)
●爆音は消えた(動乱編後 万斉×お通)
その光景を何度も繰り返し夢に見るのは、死を覚悟したからだろう。
頭の中にいつまでも鳴り響く、爆音。
爆音。
血溜まり。
爆音。
身動きが取れない。
爆音。
激痛。
爆音。
浮遊する感覚と、頭の中に鳴り響く爆音がふっと消え、万斉ははっと目を覚ました。
全身が痛かった。
「……つんぽさん?」
枕元にはお通が不安そうな顔で万斉を覗き込んでいた。
「お通殿か……」
万斉が目を覚ましたのは、鬼兵隊が拠点にしている旅籠の一室だ。
あの日負った傷は癒えているとはいえず、繰り返し見る夢と全身の痛みもまだ取れない。三度の痛み止めの薬とあちこちに巻かれた包帯は減ることは無い。
表の仕事は今までに書き溜めた曲で凌げるが、裏の仕事は完全に休養をとっている。
「つんぽさん、うなされていたみたいですけど……」お通が尋ねる。
「……なに、少し夢見が悪くてな」
万斉は苦笑した。
お通に支えられながら半身を起こしたが、折れたあばらが痛み、顔をしかめた。
「お通殿こそ、仕事はどうした?」
「ちゃんとやってますよ、つんぽさんがいなくても!」
「それは殊勝な」
「今日は夜にラジオなんです。だから、夕方まではいてもいいでしょう? 来島さんにはちゃんと了解とってますから」
お通は万斉に薬を飲ませ、湿布を替え、仕事の話をした。厠の前まで万斉に肩を貸してくれた。お通は中まで入ってこようとして、万斉が慌てて押し返した。
仕事の合間を縫ってお通はこうして旅籠に通い、出来るだけの万斉の世話をしてくれる。
安静安静といっても要するに一人で放っておかれている万斉には、色々な意味でお通が来てくれることは有りがたかった。
厠から戻り、万斉は再び布団に横になった。目を閉じれば、あの光景がまざまざと思い起こされる。
白夜叉にヘリごと地面に叩きつけられたあの時のことを。
爆音。
血溜まり。
爆音。
身動きが取れない。
爆音。
激痛。
爆音。
頭に浮かんだ死、という文字。
爆音。
覚悟。
思わず叫んだ名前。
声の限り、叫んだ。
(……白夜叉に聞かれていなければいいのだが)
万斉は頭を掻いた。否、そんな余裕はあちらにも無かった筈だ、絶対聞かれていないと自分に都合のいい解釈をする。
「お通殿、済まぬが茶を入れてくれぬか」
「はい、わかりました」
(――名を叫んだことは内緒にしておこう)
鼻歌交じりに茶櫃を開けるその後ろ姿を見ながら、万斉はやはり一人では死ねなんだか、と自嘲気味に笑った。
(幕)
●遮られた歌声(万斉×お通)
八方塞。
四面楚歌。
夕暮れの土手を、万斉とお通は並んで歩いていた。
何処へ行くでもない。そもそも宛など無かった。
『俺達人斬りは、奪うだけさね。与えることなんざ出来ないんだよ』
万斉より年上の盲いた人斬りは、随分前に人斬りは奪うしか出来ない存在だと言った。
そもそも人斬りが何かを与えようと考えること自体がおこがましいと。
『人斬りは奪うだけさね、人の命を』
そうだ。岡田の言葉は正論だった。あの時は岡田殿は酔っ払うと格好をつけたことを言うものだと鼻先で笑ったが。気付いていなかったわけではない。
認めたくなかったのだ。自分が何も与えられない存在だということを。
隣を歩くお通は、さっきからずっと歌っていた。
お通が詩を書き、万斉が曲をつけた歌を。
何曲も何曲も歌っていた。それだけ沢山の曲を、二人で作ってきた。
澄んだ歌声は、風に乗る。
もうどうしようもなくなったことをお通に告げると、お通はごめんなさい、と申し訳なさそうに謝った。謝らなくてはいけないのは万斉の方だというのに。
どちらからともなく歩き出し、宛もなくとぼとぼと土手を歩き続けたが、二人の間に会話は無かった。
万斉は黙り、お通は歌う。
『あの女、叩っ斬って首持って来い』
鞘から刀身を抜き、高杉は万斉の鼻先に突きつけた。
『お前が捨てられねェんなら、俺が叩っ斬る』
歌うお通の隣で、万斉は二人で歩いてきた時間を振り返る。
自分がこの子に与えられたものなど、一体何があっただろう?
アイドルとしての人気と地位? 曲? 否、一見、与えたように見せかけて、逆に其処から何かを奪っていたのではないのか?
そのことに気付いたのは、高杉にお通を斬れ、と言われた三日前。
プロデューサーなどという肩書きは所詮狐の化け姿で、人斬りこそが自分の正体。
人斬りが何を与えられるというのだ。奪うだけの存在でしかないのに。
笑い合う時間、睦み合う時間、語り合う時間を共有してきたが、それらは全て砂の楼閣。
万斉はお通に何かを与えていたどころか、逆にお通から取り返しのつかないものを沢山奪っていたのだ。
平穏な人生、清純、未来、心、身体。
奪って、与えたつもりになって、満足していた。
気がついたときにはもう遅かった。
万斉はお通を手放せなくなっていた。
お通も万斉しか見えなくなっていた。
何もかもが遅かった。
ずっと一緒に居られるなどと、子供のようなことを夢見ていた。
惹かれあう心と身体。
互いに掛け替えの無い存在になってしまっていた。
万斉は立ち止まった。
「お通殿」
「……はい」
お通の歌声が止み、立ち止まる。
このままでは、お通は高杉に斬られるだろう。
何もかもを奪うのが人斬り。
ならば。
いっそ。
万斉は微笑み、お通に言った。
「拙者と一緒に、死んではくれぬか」
(幕)
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