「BLUE」
|
紺碧の海。
汚れなき広大な青は、わたくしと彼が生きる場所。
彼はその中を自由奔放に駆け巡る海賊。
わたくしはそれを正義の名の下に護る海軍。
本来なら相対する間柄であるべき、わたくしと彼。
けれど惹かれあい、……恋に、落ちた――――。
「ヒナさん、はい。遅くなったけど、誕生日のプレゼント」
3月3日…わたくしの誕生日をひと月以上も過ぎてから、わたくしの元を訪れたエース。
彼が差し出したのは、皺だらけの色あせた茶色い紙袋。
エースは前に逢った時より随分と日焼けしていた。南の方へ行っていたのだと言う。
彼はまだあどけなさの残る顔をほんのり赤らめ、誇らしげだった。
「なぁに? ……期待してもいいものかしら?」
「ん、まぁ……大したもんじゃないけど、」
何度も開け閉めしたらしいシールは簡単に剥がれ、中から出てきたのは青く透き通ったバレッタ。
海の青。
わたくしと彼が生きる海の色。
「……ヒナさんの髪、長くて綺麗だけど仕事のとき邪魔にならないかな、って思って。」
誕生日のプレゼントとしては、ひどくささやかなものだった。
けれど、彼なりに一生懸命考えてくれたのだと思うと、……胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「―――もしかして、盗品?」
「失敬だな、ちゃんと買ったよ。……確かにその髪留め買うのに売っ払った指輪は戦利品だけど……」
わたくしの言葉に、エースはぷ、っと頬を膨らませた。
―――馬鹿ね、わたくしって。
素直にありがとう、嬉しいって言えばいいのに……。
わたくしは手ぐしで長い髪を整え、バレッタで挟んだ。
ぱちんという音と共に、髪は一纏まりになる。
「これでいいかしら?」
首筋が涼しくなり、背中が幾分かすっきりとする。
「……うん、ヒナさん、すっげえ綺麗」
腕組みをしたまま、エースが嬉しそうな顔をした。
「……エース、ありがとう……」
ようやく言えた、お礼の言葉。
「どういたしまして」
エースは帽子を取って、恭しく頭を下げた。
「店に入って、すぐにこれが目に付いたんだ。ヒナさんには絶対これが似合うって、……思ったんだ」
それは屈託のない、少年の笑みだった。
エースは一晩、わたくしの部屋で泊まり、次の朝早く旅立った。
一夜の甘い思い出と、ブルーのバレッタをわたくしに残して。
逢う度に逞しくなっていく身体。増えていく全身の傷と、懸賞金の額。
頬に散る雀斑がかろうじてあどけなさを残すのみ。
二十歳という年は、大人の扉を己の力で開き、足を踏み入れる時期。
これから彼は、この海で大海賊として、ますますその名を上げていく筈。
エース自身は、海賊王を望んではいない。白髭を、海賊王にさせてやりたいのだという。
けれど、白髭の歳と、決しておもわしくないという健康状態を考えるとそれは恐らく……無理なこと。
次の日、エースにもらったバレッタで髪を一纏めにし、わたくしは海軍基地へと向かった。
いつもなら門のところで待ち構えているジャンゴとフルボディがいないのを不思議に思っていると、
基地の中は朝だというのに妙に慌しかった。海兵たちが走りまわっている。
「お早う、早くからご苦労様ね。何かあったの?」
一人の三等兵を呼び止めると、年若の青年は姿勢を正し敬礼の後、わたくしに理由を述べた。
「申し上げます、今朝早く沿岸海域にて白髭海賊団2番隊隊長、火拳のエースこと、
ポートガス・D・エースを巡視船が発見、捕らえるべく全力を尽くしたのですが……」
「……火拳?」
エースが。どきん、と心臓が軽く跳ねた。
馬鹿な子……この辺りの海域は危ないから見つからないようにと、いつもきつく言い聞かせているのに。
わたくしにプレゼントを渡した嬉しさで、今朝はつい注意が疎かになってしまったのだろうか。
「……それで、火拳はどうなったの?」
ああ、いけない。声が上ずっている。
「はっ、……巡視船からの連絡を受け、拿捕専用船含め計10艘、
当直の兵250名余りが火拳のエースを捕らえるべく尽力しましたが、あと一歩のところで逃げられてしまいまして……2艘の軍用船が焼失、3艘が半焼、計25名が重軽傷を負いました」
「死者はいないのね?」
「はっ、幸いにも」
「そう、……分かったわ。ありがとう」
三等兵は再び敬礼をし、忙しそうに自分の持ち場へと戻っていった。
ドックには、無残に焼けた軍用船。そこから降りてくる、傷を負った海兵たち。
「……みんな、ご苦労様……」
ねぎらいのつもりで掛けたわたくしの声に、力はなかった。
ジャンゴとフルボディは、戦闘の後の始末に駆り出されているらしかった。
「……ヒナ大佐、お早うございます」
わたくしの姿を見つけ、直接の部下の軍曹が駆け寄ってきた。
「あら、お早う。朝から大変ね……」
「デスクに、今朝の火拳の件に関する書類置いてありますので、目を通してくださいませんか」
「……わかったわ、上に報告しなくてはいけないものね、報告書はわたくしが作ります」
「はっ、よろしくお願いします」
―――改めて、認識せざるを得なくなる。
自分の愛した男が、海賊……それも大物であるという事実。
わたくしは海兵として、犯してはいけない罪を犯しているのだと。
罪の意識。でも、抑えることの出来ないエースへの思い。
それは恐らくエースにしても同じこと。本当なら、10艘程度の船など全て燃やしつくし、海兵全員を焼死させることさえ簡単だったはず。それを、わたくしの駐屯地だからと……必死で逃げ、被害を最小限にしたのだ。
これはわたくしのせいなのだと、痛む胸を押さえ、執務室へ入る。
部屋に入るとすぐに事務の子が、朝のコーヒーを持ってきてくれた。
「ヒナ大佐、お早うございます……あら、綺麗なバレッタですね」
やはり女の子だ。ちゃんと見てくれる。
「あら、ありがとう。一寸派手すぎやしないかしら?」
「いいえ、そんなことないです。とてもお似合いです……綺麗な青ですね、ご自分で買われたんですか?」
「ええ、……まぁ、ね」
恋人がくれたのよ、といいたい気持ちをぐっと抑えた。
「……褒めてくれて、有難う」
事務の子が部屋を出た後、苦いコーヒーをすする。
この苦さはわたくしの心の中そのままだ。
きっとエースも今頃、逃げ切った安堵感とともに、わたくしに対しての申し訳ない気持ちをきっと抱いたまま……、
船を進めているのだろう。
次にあったら、気まずいかも知れないわね。
席を立ち、壁の姿見の前に立つ。
鏡に映った自分の顔。
なんて、泣き出しそうな顔をしているのかしら。
「こんなことくらいで、なんて顔をしているの? 最初から分かっていた事じゃないの」
そう、……これから先はきっと、もっと……。厳しいはずだもの。
海兵と海賊。最初から、ハッピーエンドなんて望んではいけない。
こんなことくらいで落ち込んでどうするの?
エースを愛した瞬間から、それは覚悟のことではないの?
いずれは、きっと、どちらかが………。
自分を叱咤し、ぱんぱん、と頬を叩く。
駄目ね、弱いわたくし。もっと強くならなくては。
折角エースが、こんなに綺麗なブルーのバレッタをくれたのに。
「……折角のプレゼントが台無しだわ」
髪を纏めるバレッタに触れる。
きっといつか、その時は嫌でも訪れる筈。
海賊と海兵として、相対する時が。
そのときこのバレッタは、わたくしの涙に濡れ、海に沈むエースを見送るのだろうか。
わたくしと共に、エースの業火に包まれるのだろうか。わたくしとエースと共に、海に沈むのだろうか。
その日はきっと、やってくるはず。
エースが海賊で、わたくしが海兵である限りは。
青いバレッタ。
海の青。
わたくしたちを繋ぎ、そして突き放す美しく残酷な色だった。
|
戻る