"It flowed cruelly at the time."
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十年一昔とは良く言ったもの。
そんなことを思うようになったのは、私がそれだけ年齢を重ねたということなのだろう。
どうにかすると、知らぬ間に追憶に耽るようになったのも、きっとそのせい。
ルフィさん達と出会い、冒険をしたのは私が16歳の時。
あれから十年。私は26歳になった。
『俺、海賊王になるんだ』
それがルフィさんの口癖だった。
『きっとなれるわ、ルフィさんなら』
私はいつもそう答えていた。ルフィさんは嬉しそうに笑ってくれた。
熱っぽいその眼差しは、その夢が中途半端なものではないことを表していて、
普段は年下の私よりも子供っぽかったのに、夢を語るときの彼は、既に大物の風格さえ漂わせていた。
『きっとなれるわ、ルフィさんなら』
最初はお世辞だった。
でも、そのうち本当にそう思うようになっていた。
『きっとなれるわ、ルフィさんなら』
クロコダイルを倒し、この国の危機を救ってくれた、ルフィさんなら。
不思議な人だった。時に酷く子供っぽいかと思いきや、人間的な魅力に溢れ、
自然と人々は彼の周りに集まり、彼を慕った。
ルフィさんなら、きっとなれる。
海賊の頂点に立つ、海賊王に。
私は心の底から、そう思っていた。
キットナレル、ルフィサンナラ………
大海賊時代の台風の目。
ルフィさんの海賊団はそう目され、私がアラバスタに戻った後も、あちこちで名声は聞こえ、
懸賞金額は鰻上りだった。
組織はみるみる大きくなり、名のある海賊達が彼の下についていった。
ルフィさんの、どこかつかみ所の無い不思議な魅力に、皆惹かれていったのだろう。
新聞で時折見たルフィさんはあの頃の名残を留めながらも、
海賊王の名をいずれ頂くに相応しい威厳ある面持ちになっていた。
皆が言っていた。
『海賊王になるのは、きっとあのモンキー・D・ルフィだろう』と。
なのに。
―――彼は、海賊王にはなれなかった。
海賊王の称号を目前に。
グランドラインの最果て・ラフテルを目前に、彼は忽然と姿を消した。
世界政府がその威信を賭け、"麦わらの一味"を殲滅すべく、全戦力を投入したのだ。
結果は、世界政府の勝ちだった。
肥大化した麦わらの一味の船団は意外にも脆く、グランドライン特有の予測不能な気候も海軍に味方し、一網打尽。
サンジさん、ナミさん、ミスター・ブシドー……多くのクルーが捕らえられた。
そしてルフィさんは―――消えた。
混乱の最中、海に落ちたのか。
少数の仲間とともに艀で逃げ遂せたのか。
政府が極秘裏に捕らえたのか。
憶測が飛びかい、新聞はこぞってそのことを書きたてた。
けれどその真相は、誰にも分からなかった。
それが、3年前のこと。
捕らえられたクルーの末路は、それぞれだった。
処刑されたのは……。命こそ助かったものの、一生を牢の中で過ごすこととなったのは……。
獄死したのは……特赦で放免となったのは……。
こうして、麦わらの一味は……瓦解した。
そして去年。
海賊王になったのは、エースさんだった。
白ひげ亡き後、その海賊団をそっくり受け継いだ、ルフィさんの兄。
海賊王になってすぐ、エースさんはお忍びで私の元を訪れた。
『神様ってのは意地悪なことをするもんだ。海賊王になりたがってたルフィがなれなくて、
なる気なんかなかった俺が、結局海賊王になっちまったんだからな……』
"俺、海賊王になるんだ"
"きっとなれるわ、ルフィさんなら"
『白ひげの親父の遺言じゃなきゃ、俺はきっと、海賊王になんざならなかったよ』
自嘲気味に笑い、エースさんはひと繋ぎの大秘宝を私に見せてくれた。
ルフィさんが求めてやまなかった、ワンピースを。
けれど……私も、そして当の彼も、この栄誉を素直に喜べなかった。
私は5年前、この国の女王になった。父が体調を崩した為だった。
若い女王だと、われながら思う。
それでも古くからの有能な家臣たちに支えれながら、政を進めている。
国はあの反乱の後は至って平和で、……戦いなど無かったかのように発展を続けている。
バルコニーに立ち、賑わう城下を見下ろしながら、ふとあの戦いのときのことを思うと、
本当にあの戦いはあったのかと疑うほど……この国は平和だ。
「ビビ様、どうかなさいましたか?」
「……ペル、」
イガラムの退官後、護衛隊長になったペルが、いつの間にか私の後ろに立っていた。
「ビビ様は近頃、物思いに耽ってらっしゃるご様子で……」
「そう? そう思う?」
「ええ、思います」
ペルが私の手を取った。
「ビビ様のことなら、何でも分かります。何に悩んでおいでなのかも」
「……分かる? 悩んでいる? 私が? ……決め付けるのね、あなた」
「ええ、決め付けます。決め付けますとも……」
ペルが跪き、取った私の手の甲に恭しく口付ける。
愛しそうにその手を見ながら、ペルが呟く。
「愛しいビビ様のことなのですから……」
「彼のことを、思い出しているのでしょう?」
「………」
ああ、この人はどうしてこんなにも鋭いのだろう。
「あれから10年、……この国の反乱が鎮まったあの日が、もう近い……」
「ええ……察しの通りよ……ペル」
あの日から、もうすぐ10年になる。
クロコダイルが倒され、反乱が鎮まったあの日から……。
この国の危機を救ったのは、小さな無名の海賊団の一味。
誰も知らない、この国のもうひとつの歴史。
『俺、海賊王になるんだ』
その小さな無名の海賊団の船長。
目を輝かせていた、17歳の少年……ルフィさん。
『きっとなれるわ、ルフィさんなら』
差し出された手。それを取った私。握り締めた手は、暖かくて、大きくて……。
ルフィさんたちとの旅は、苦しい旅だった。正直、この国はもう駄目かもしれないと思った。
でも、いつも側にいたルフィさんは優しく眩しく。短い日数ではあったけれど、あの日々はキラキラと輝いていた。
一度だけ交わしたキス……星の降る夜、ゴーイングメリー号の甲板で。そっと……。
『ビビ、好きだ』
耳元で囁かれ、唇を重ねた。
ルフィさんの声は上ずっていて、頬は紅潮して……真剣な眼に、私が写っていた。
『海賊王になって、絶対ビビを攫いに来るからな……』
『―――ルフィさん……』
あれは、私のファーストキスだった。初めての淡い恋だった。
「時の流れは残酷ね、ペル」
ペルの胸に抱かれ、私は呟く。
「時代とは、そういうものなのです、ビビ様。海賊王となったゴールド・ロジャーも、
最後は処刑されたのです」
「ええ、そうよ……でも、」
ねえ、何処に行ったの、ルフィさん。
もう出ては来ないの?
もう、生きてはいないの……?
海賊王になって、私を攫いに来るのではなかったの?
「でも、……どうして……? どうして、こうなってしまったの……?」
知ってる? 海賊王には、エースさんがなったのよ。
光り輝くひと繋ぎの大秘宝……あなたが欲しがっていたワンピースは、エースさんのものなのよ。
そして私も……あなたではない、別の人のもの……。
「ペル、……抱いて」
ペルは頷き、私を抱き上げた。
そして部屋に入ると、天蓋付きのベッドの上に私を横たえ、口付けた。
ルフィさんが攫いにくることを、本当は待っていた。
けれど、ルフィさんは消えた。
攫いに来なかった。
空虚になった私の心を癒してくれ、そして公私共に私を支えてくれているのは、ペル……。
もうすぐペルは私の良人となる。
アラバスタの反乱が治まって10年目のその日、私達は結婚式を挙げる。
ペルは私の、ルフィさんへの思いを責めることなく私を愛してくれている。
『時の流れが、全て解決してくれます……』
優しく微笑む彼には、ルフィさんとは違った何もかもがあった。
十年一昔とはよく言ったもの。
その区切りの日、私はルフィさんへの恋心を、本当に忘れよう。
"俺、海賊王になるんだ"
"きっとなれるわ、ルフィさんなら"
時に美しく、時に輝きながら、時に残酷に……めまぐるしく流れて行く時代の中で。
私とルフィさんは出会い、ほんの一瞬、時間を共有した……。
たった、それだけのこと。
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