『シンタグマ広場』



ここに来るのは何年ぶりだろうか。



修行の最後の一年は聖域だった。
それは私だけでなく、他の黄金聖闘士候補生だったカミュやシャカ達も同じだった。
ジャミールの厳しい気候から一転、ギリシャは温暖な気候で、ポスターカラーの青い空と紺碧の海がまぶしかった。
あの頃、一番の楽しみは月に一度の外出日。
修行は厳しく苦しく、それだけに外出日は何よりの楽しみだった。
僅かばかりの小遣いを握り締め、ここで遊んだ幼い日の思い出。
シンタグマ広場。アテネ一の繁華街。
車より早く走らないこと、高い建物に登ってはいけない、テレキネシスを使ってはいけない、などと、 普通の子供にはありえないような注意を侍女から受けて、私達は街に下りた。



埠頭で眺めたたくさんの船。街を行きかう観光客。
禁止されていた地下鉄に乗ったことは、あの頃の私達には大冒険だった。
乗ろうと言い出したのは誰だった? シャカだったような気がする。
観光客に道を尋ねられ、教えてあげたら大きな飴をもらったこと。
議事堂の前に立つ衛兵の真似が上手だったアルデバラン。
シュラが見つけた迷子の小さな女の子。皆でその子の親を探した。
小さな女の子はなかなか泣き止まず、親もなかなか見つからずほとほと困り果てた、幼かった私達。
ショーウインドウ越しに見た綺麗なドレス。そのデザインは今でも覚えている。
白いシルクに薄いブルーのオーガンジーが重ねられていて、スパンコールがちりばめられていた。
きっとこんな綺麗なお洋服、私は一生着ることはないだろう、と何処か諦めにも似た気持ちを抱いたこと。
カミュが噴水を凍らせてしまったこと。どうやって溶かしたのかは覚えていない。
デスマスクが買ってくれたクレープの味。半分しか食べられなくて、残りはアイオリアに押し付けた。
転んで膝をすりむいて、アイオロスに背負ってもらったこと。
観光客に女の子に間違えられて怒っていたアフロディーテ。
お転婆だった私は、逆に男の子に間違えられて怒った。
それを笑ったアイオリアを泣かせて、帰ってからシオン様に大目玉を食らったこと。
ミロがどこかでもらって来た黄色い風船。皆で話し合って、シオン様に差し上げた。
しぼむまでの暫くの間、その風船は教皇の間にふわふわと浮かんでいた。




私達のお目付け役は、その頃既に黄金聖闘士になっていたサガとアイオロス。
二人ともとても優しくて、仲が良かった。




あの頃の私達にとって、冥王の復活よりも怖かったのは、定刻までに帰らなかったときに お仕置きとして入れられる、窓のない地下の反省室。
薄暗いその部屋でじっと座っていなくてはいけないことが何よりも怖かった。



私達は幼かった。余りにも。




たくさんの、たくさんの思い出。



「ムウ、もう帰ろう」
後ろからぽん、と肩を叩かれ、振り返るとアイオリアがいた。
「時間だ。聖域に帰らないと」
「ああ、……もうそんな時間ですか」
思い出に浸っているうちに、僅かな自由時間はあっという間に過ぎてしまった。
「懐かしいな、ここ」
アイオリアがつぶやく。
「そうですね、とても……懐かしいですね」
あの頃、私よりも背が低かったアイオリアは、今は私より頭ひとつ分背が高く、とても逞しい。
おしゃまだった私は言葉少なくなり、お転婆はすっかり鳴りを潜めた。
「お前はお転婆だったな。ここでよく泣かされた」
「……返す言葉がありません」
「そして俺は泣き虫だった」
アイオリアがまぶたを伏せた。
きっと、アイオリアも私と同じ気持ちなのだ。




戻れるものなら戻りたい。
皆仲良しで、何もかもが輝いて見えた、幼いあの頃に。




シンタグマ広場。アテネ一の繁華街。
見上げた議事堂は、あの頃の記憶よりもずいぶん小さく思えた。

(END)




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