『おてんば』




育ったのは聖域の奥深く。鬱蒼とした森の中の古い小屋だった。
生まれたのはアテネ市内らしい。物心つく前にサガと二人して聖域に引き取られ、オレだけその森に隔離された。
聖域において双子は不吉なのだという。そんなもの、オレの知ったことじゃないのに。
他の聖域に住む者との接触は、たとえ雑兵であろうと一切禁じられ、話し相手はたまに会いに来るサガと教皇だけだった。
世話の一切をしてくれた、腰の曲がった婆さんは前の聖戦のときから聖域に仕えているとかいないとか。
耳が遠すぎて、余り話し相手にはならなかった。
いつか役に立つかもしれないからとサガと共に修行らしきことをさせられ、サガと同じ技を覚えた。
青銅でもいいから聖衣をくれるかと思いきや、オレには何も与えられなかった。
サガは黄金聖衣を戴いたというのに。
オレはあの森から出ることさえ許されなかった。



聖戦直前に聖域に戻った。
三十路を間近にして、我ながら人生の大転機だと思う。色々な意味で。それでも、オレは女神にご恩を返したかったし、 自分の歩むべき道はやはりここにあるのだという確信の下、石を投げられようと罵られようとかまわないと腹をくくり、聖域の門をくぐった。
が、かつて女神を討たんとしたオレに対する聖域連中の態度は極めて冷ややかだった。最初のうち、歓迎してくれたのは女神だけだった。
黄金聖闘士連中には聖戦の際に認めてもらったものの、どうやら腹の中ではまだ煮え切らないものがあるらしい。
それもそうだろう。オレ自身がかつて彼らの敵であり、オレの双子の兄であったサガもまた。その上、一卵性の双子と言うこともあり、 サガとオレとは気味が悪いほど瓜二つなのだから。
外側の敵と内側の敵。兄弟そろって碌なことを考えない、きっと今にサガと同じことをしでかすに違いないなどと、神官達から陰口を叩かれるのにもすっかり慣れた。
すんなり許してもらおうなどと、甘い考えは持っていないけれど。
逆賊の弟は、アイオリアではなくオレ自身だ。



十何年振りに戻った聖域に、オレが育ったあの森もあの小屋ももうなかった。
女神が”悪しき習慣である”として、廃止したらしい。
その森は切り開かれ、聖闘士候補生達のための真新しい宿舎が建っていた。
あの耳の遠い婆さんは、オレがスニオン岬の岩牢に入れられて間もなく、この世を去ったという。




だから他の黄金聖闘士のことは、サガや教皇から話に聞くだけで、名前くらいは大体知っていたという程度だ。
志は立派だが少々血の気の多い蠍座のミロ。
あれは仏陀の生まれ変わりだと教皇がうなったという乙女座のシャカ。
サガと仲が良かった射手座のアイオロス、その弟で獅子座のアイオリア。その他もろもろ。
実際に会ったのはそれから十何年も経った後で、名前を聞いたうちの半分は既に墓に入っていた。



黄金聖闘士に女がいると聞いたのは、スニオン岬に入る少し前のこと。
その日、教皇からの御下賜品だと旨くもない砂糖菓子を持ってやって来たサガは、どういうわけか額に小さな傷を作っていた。
「へぇ、黄金聖闘士に女ねぇ……」
「女より綺麗なのも一人いるがな」
「ああ……アフロ……なんとかだっけ」
「アフロディテーだ」
「その女の黄金聖闘士というのは、オレ達と同じくらい? それともまだ幼いのか?」
「まだ幼いな。たった七つ……アイオリアやカミュと同年だ。そして仮面をつけていない」
「仮面を?」
女聖闘士は仮面をつけなくていはいけないというのは知っていた。
尤も、森の近くを通る女聖闘士達を遠くからただ眺めただけだけれど。
ところが黄金聖闘士に限っては、それが適用されない……つまり、女の黄金聖闘士に仮面は不必要なのだという。
理由は聞いたが長ったらしくて覚えてない。いつぞやの聖戦の際、何代目の教皇がどうの、当時の女神がどうのと言っていた。
「大きな目の、少し気の強い娘だ」
蓮っ葉の、お転婆のとサガは彼女のことを形容した。
サガの話によると、どうやら教皇の縁の者らしい。聖闘士一の超能力を持ち、聖衣を修復する技術を受け継いでいて。
「ところでサガ、その額の傷はどうした?」
「ああ、これか。そのお転婆にやられた」
気の強いお転婆は同年のアイオリアやミロと些細なことで反発しあい、すぐ喧嘩をするんだと。
そして件の超能力で石やら岩やらが飛んでくるらしい。
「今日も例によって練習の合間に喧嘩をしていた。止めに入ったんだがな、とばっちりを食らってこの様だ」
「サガともあろうものが……」
オレがからかうと、サガは苦笑いを浮かべながら、小さな傷を撫でていた。
「当たったのは小さな石の欠片だ。あいつはまるでこの世の終わりのような顔をして、オレに駆け寄ってごめんなさいと謝るなり泣き出した…… いつもはお転婆なのに、その時のしおらしさと言ったら……けどな、ミロやアイオリアは大きなたんこぶを作ってわんわん泣いてたのに、ほったらかしなんだ」
曇った窓の外を眺めながら、サガは言った。




……サガ、それはな。
その娘はお前のことが、多分。




牡羊座のムウ。 お転婆な、黄金聖闘士ただ一人の女。
その名前だけはなぜかずっと覚えていた。




午後の日課である女神への拝謁を終え、墓地に向かった。
昔は散々憎んだ兄だけれど、死んでから知ったことも沢山ある。
だから気が向いた時くらいは、花を手向ける。
「ん……」
長い石段を登りきると、そこには無数の墓標が広がる。サガの墓は入り口から遠くだ。
かつて女神を亡き者にしようとしたサガだったが、女神のご厚意で、女神のために命を落とした聖闘士だけが埋葬を許される、この聖闘士の墓場に葬られた。
サガの埋葬に当たっては反対したものもかなりあったと聞く。
「あれは……」
遠くに、光るものが見える。
少し近づいてそれが誰であるかをオレは理解した……黄金に輝く聖衣を身に纏い、オレが目指す墓の前に跪いている。
「ムウ、」
上等のマントと菫色の長い長い髪が風に靡いている。
墓に語りかけているのだろうか、形のいい口元がなにやら動いている。
ムウは物腰も柔らかく、余り表情を表に出さない。思慮深く口数も少ない……というのが、オレが実際に会ったムウの印象だった。
それはオレだけでなく、この聖域にいる人間なら、それこそ誰しもが同じ印象を受けているようだった。
女官達だけでなく女神でさえ、ムウは大人しくて、余り思っていることを口にしなくて、と言う。
十何年前、サガから聞いたムウのイメージとはずいぶん違う。
他の連中は、それこそサガから聞いたイメージとほぼ寸分たがわず、図体だけでかくなったようなものだったが、あの女だけは180度逆だった。
単に大人になったのか、否……変わらざるを得なかったんだろう。
サガが殺した。彼女の師父であった前教皇シオンを。そして彼女は、師父を殺した男の正体を知らないまでも師父の暗殺にいち早く気付き、しかし聖域内が混乱することを恐れ、 その本当の理由を曖昧にしたまま、ひとり聖域を離れ、秘境と言われるジャミールで隠遁生活を送っていた。機が熟すまで。





オレは足を止め、サガの墓の前に跪いているムウを暫く眺めていた。近づいて声をかけるのが、なんとなく憚られた。
幸いあちらはこちらに気づいてはいない。聖衣を纏っているのに、この距離でオレに気付かないとは、よほど油断しているのか。
遠めにも、ムウの横顔は綺麗だった。東洋系の美しさというのだろう、ヨーロッパ系の人間にはない、神秘的な何かを感じる。
物憂げなムウの横顔。小さく動く口元。ぽってりとした、唇。
長い瞼を伏せる。黙祷のつもりなのか、ムウはそのまま動かない。
白い頬を、光るものが細い筋となって流れていく。
そして、ムウは墓石に手を伸ばしてそっと触れた。ゆっくりと墓石に顔を近づけ、……口付けた。
ああ。やっぱり。
オレの心が僅かに疼いた。確信を得た疼きだ。
あの時、オレが多分と思ったことは、当たっていたんだ。




『サガ、その子はお前のことが好きなんだよ』




あの時、オレはそう言いかけて、でもその言葉を飲み込んだんだ。
もし言ってたら、何か変わっていただろうか?
サガはシオンを殺さなかっただろうか……それでも殺しただろうか。



ムウはどんな気持ちだったんだろう。
片恋の相手が、師父を殺したことを知った時の彼女の気持ちを推し量ることなどできない。
今サガの墓の前でああして涙を流しているのは、その気持ちがまだ続いているからだろう?
恨んでいる顔には見えない。
ああ。サガ、お前、知っていたのか?
なぁ、サガ。

(END)




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