二人の恋の始まり

 ダンダン。
 ボールが弾む音が体育館内に響く。
 時刻は放課後の時間帯。
 ここ、第二体育館では、烏野高校男子バレーボール部の部活が行なわれていた。

 3年の菅原を差し置いて、次期選抜メンバーのセンターに期待されている1年レギュラーの影山が壁にもたれてボールを叩いていた。
 彼の周辺には人がいない。
 元々人と群れることはない、むしろ敬遠されている影山だが、彼から漂うドス暗いオーラに怯え、近付いてくるものはいない。

 彼はイライラしていた。
 彼のイライラは何も今日だけのことだけじゃなく、ここ最近ずっとのことで、彼のイライラオーラに影響されたのか、体育館内全体が少々ピリピリとしていた。

 何事にも敏感な菅原は、影山のイライラに影響されている部員達に気付いて、どうしたらいいものかと考え、彼の様子を遠くから伺うも、結局何も言うことはできなかった。さりげなく、澤村にそのことを言った。
彼がイライラしているのは、影山がそういう気質だから仕方がないと、簡単に片付けられない程、彼は通常の倍、イライラしているような気もする。
 しかし、フォロー上手な菅原にしても、影山の精神状態の気配りまではできない。彼自身が自分で解決するしかない。
 ともかく、部内がとんでもない方向に行かないように様子を見て、もし部内で何かあった時は自分と澤村が上手くフォローすればいいと菅原は思った。

 影山ではない他人である菅原には影山のイライラの原因はよく分からなかったし、影山本人も何故自分がこんなにイライラしているのか分からなくて戸惑っていた。
 深呼吸をして頭を冷却して、バレーボールに集中しようとするが、上手くいかず余計にイライラしてしまう。

 男にしては少々甲高い笑い声が影山の耳に入る。
 イライラしている影山にとって、その声はあまり居心地が良いものではない。
 更にその声の持ち主が同じ1年の日向翔陽だからだ。
 日向は2年の田中と西谷と一緒にいた。彼らより少し離れた位置に月島や山口がいる。
 恐らく田中が冗談でも言ったのだろう。日向が腹を抱えて笑っている。
 その横顔が影山の目に焼き付いた。
――何て顔して笑ってるんだよ。
 日向はまるで大輪の花が開いたような満面の笑顔を見せていた。
 彼の笑い声、彼の笑顔、誰かと楽しそうにしている彼の姿の何もかもが影山の気に触る。
いっその事、日向が視界から居なくなれば楽になれるのだろうか。
 影山は日向達に爛々とした視線を向け、その手で何度もバレーボールを叩く。

 菅原は影山の日向に向ける視線に気付いた。
 その鋭い視線は尋常じゃない。
 また前みたいに仲違いして澤村の機嫌を損ねるのではないかと危惧した。
 3対3の試合で影山のトスを日向が打って以来、影山と日向の仲は特別仲良くはならずとも少しは改善されたかと思って安心していたのに。安心するのはまだ早かったのか。

 ここ最近ずっと影山はイライラしていて、最初は周囲への影響は何も無かったが、日が経つごとにじわじわとその影響がじわじわと伝わり、体育館内の空気が悪くなっているのを感じる。周囲を和ませる日向、田中、西谷の存在が唯一の救いだ。
――どうなることやら。
 はぁっと菅原は溜息を付いた。

「影山!!」
 突然背後から日向の大きな声が響いて、影山の肩が少し上がった。
 身体は小さいのに、日向が居る体育館の後ろから遠く離れた影山に届く大きな声を出せるのが不思議だ。どういう身体の構造をしているのだろう。
 影山は『何だ?』と頭の中で大きなはてなマークを浮かべながら振り向いた。
 こちらに向かって走ってくる日向の姿に驚いて、先程までイライラが一瞬で消え去った。

 日向はネットをくぐると、転がっていたボールを手に持ち、影山に近寄る。
 影山は次に日向が何を言うのか分かった。
「トス上げて!!」
 影山が予想していた通りの言葉が日向の口から上がる。
 ボールに視線を向けた後、ゆっくりと日向に移動させた。
「………」
「影山、早く!!」
 黙っている影山に焦れたのか日向はボールを持ったまま何度もジャンプした。
「スパイク打ちたいんだってば!」
「………お前、田中さん達といたんじゃないのかよ」
 さっきまで楽しそうにやってたじゃないか。そんなに彼らと居るのが楽しいなら彼らと組んで練習すればいい。
「えっ……!?」
 突然影山が田中の名前に触れ、日向は困惑していた。何で今、影山が田中の話をするのか分からない――そんな無言のメッセージを日向の表情から敏感に察知し、影山のイライラは再発した。
「…そんなに田中さんや西谷さんがいいならオレじゃなくて先輩達にトス打ってもらえばいいだろう。オレだって暇じゃないんだからいつでもお前に付き合ってやれない」
「だって………」
 日向は小声で「田中さんとノヤさんじゃトス打てないし………」と呟いた。それから影山のトスを期待するように影山を見た。
 ボールを弾ませると、影山はジャンプして腕を振り上げた。
 一瞬影山からトスが上がるのかと期待して日向は目をキラキラと輝かせたが、すぐに裏切られた。
 そのまま、ボールの行く末を見守った。
 ジャンプをした際、影山の視界にパス練習をしている田中と西谷の姿が映り、ふっと頭に先程の光景が過ぎり、ぎりっと歯軋りをした。
 影山の打ったボールは勢い良く飛んでいき、壁に当たると勢いを無くして前に転がっていった。
 影山は日向を見ることなく言った。
「田中さんや西谷さんが駄目なら、菅原さんに打ってもらえばいい。何もトスを上げられるのはオレだけじゃないんだ。オレのトスにこだわる必要もないだろ」
 影山と日向の近くに居て、彼らの様子を伺っていた菅原は突然影山の口から自分の名前が出てぎょっとした。
 日向の視線が菅原に向けられる。彼を更に驚かせたのは、日向が今にも泣き出しそうな表情をして言葉を失っていたことだ。日向の口からは影山の連れない態度に対する反論の言葉は返って来ない。唇を噛み締め両手をぎゅっと握り締めて立っている。
「影山………」
 菅原はこの状況をどのように対処すればいいのか分からずただ影山の名前を口にするだけだった。日向にトスを上げない影山を叱ればいいのか、影山からトスを貰えない日向を慰めればいいのか、どちらかを選択すれば片方を贔屓することになり、中立性を保ちたい菅原としてはどちらの選択もできない。
 傍から見ると、日向にトスを上げない影山は嫌な人間に見えるが、そんな影山の方が、今にも泣きそうな顔をしている日向よりも辛そうだと菅原は思った。菅原にはその背中が泣きたいのに泣くのを抑えているように見えた。
 日向は震える声で言った。
「影山何怒ってんの?」
「別に怒ってない」
「怒ってんじゃん!! おれにトス上げてくれない」
「だから――いつもオレばっかりトス上げてるからたまには他の人のトスに慣れたらどうかと思って言ってやったんだ。いざ試合の時にオレ以外の誰かがセッターだったらどうするんだよ」
「それは………おれだってそう思ってたまには菅原さんにトス上げてもらってる」
 影山は自分で口に出しておいて、日向自身の口からいざ他の誰かにトスを上げてもらっていると聞いてずきっと胸が痛んだ。日向にトスを上げるのは、自分だけの特権だと思っていた。バレーボール以外の影山と日向を結ぶ糸。それなのに影山の以外の誰かも日向にトスを上げると、その特別感がなくなる。だから影山以外の誰かが上げたトスを日向が打つのは嫌だと影山は思う。なのに影山から日向に他の人にトスを上げてもらえと言うのは明らかに矛盾している。
「でも今は影山に上げてもらいたいんだって!! 最近影山素っ気無いしさ……」
 最近影山はずっとイライラしているように見える。影山のイライラの原因は日向には分からない。周りが影山との接触を避ける中、日向は普段通りに影山に接していたが、影山に素っ気無い態度を取られ、心が折れそうになる。今日だって日向がトスを上げて欲しいと頼んでいるのに影山は、他の誰かに上げてもらえと言ってトスを上げてくれない。
――おれ何かした?
 思い当たることはない。あるとすれば、相変わらずスパイク以外は素人並だということだ。それは以前のことだし、影山はそんな日向に罵声を浴びさせても不機嫌になることはなかった。以前と違うのは影山が罵声さえ上げないことだ。影山に何も言われないのは逆に恐いし、影山から日向の存在を無視されているようで日向は傷付いた。
何かしたなら謝って影山との仲を修復したいのに、影山は怒ってないと言って何も答えてくれない。日向はもうどうしたらいいのか分からなかった。
 影山の事は最近の日向の悩みで夜も眠れない程だ。先程も部内では比較的仲が良く、人当たりの良い、田中や西谷にそのことを相談していたところだった。影山の事を少々落ち込み気味で話す日向に彼らは冗談を言って笑わせてくれた。田中や西谷のおかげで少し元気を取り戻した日向は影山にトスを頼みに行き、今に至る。
気まずい空気が流れる影山と日向の間に菅原が助け舟を出した。
「影山、日向にトス上げてあげなよ。日向は影山に頼んでるんだし」
「菅原さん!」
 日向は嬉しそうに声を上げる。影山と違って菅原は良い人だ。
「嫌です。菅原さんが日向にトス上げてやってください」
「影山、さっきから何で日向に冷たくするんだ? 日向が何かしたのか? 可哀想じゃないか!」
「別にそういうわけじゃ……」
「どういうわけなんだ、影山」
「菅原さん、もういいです」
「日向!!」
「影山がやりたくないならしょうがないです。代わりに菅原さん、トス上げてくれませんか?」
「いいけど……日向はそれでいいの? 本当は影山にトス上げてもらいたいんじゃないの?」
「いいんです」
 影山の視線を感じて影山を見ると、影山は日向から視線をそらした。日向から視線をそらす程、影山に嫌われているのだと思って日向は傷付いた。
 菅原はしょうがないとふっと息を吐くと、床に転がっていたボールを拾って、手で合図した。
「あっちでやろうか」
「はい!!」
 傷付いた表情をしていた日向の表情が輝いた。
 ボールを持って移動する菅原と日向の後ろで影山は小さく舌打ちをした。


「クソッ」
 悪態を付きながら、影山はジャンプサーブを打った。

 日向の誘いを冷たく断る影山は日向を嫌ってるかのように傍からは見えるが、影山の感情はそう単純なものではない。
 単純に日向の存在が嫌いで目障りで影山をイライラさせているなら、日向の存在を徹底的に避ければいい。
 だが、日向の誘いを断っても影山のイライラは晴れなかった。逆に傷付いた日向の表情が目に焼き付いて、自己嫌悪感で気分が悪い。

「何なんだ、一体!!」
 苛立ちをぶつけるようにボールを打つ。

 単純に日向が嫌いなら、日向がどこで誰と何をしていようが、こっちには何の関係もないはずなのに、関係ないと切り捨てることができない。
 日向が誰かと仲良く笑っている姿を見るとイライラする。先程日向が田中や西谷と一緒になって楽しそうに笑っていたのが脳裏に過ぎった。

 影山は無意識にボール籠からボールを取り出すと打った。

 影山から日向の誘いを断り、影山の代わりに菅原を指名しておいて、いざそうなった時、菅原のトスを日向に打たせたくないと思うのは何故なのか。

 ボールを打った際にネットの向こう側で菅原からもらったトスに向かって走る日向の姿が視界に映った。
 気に食わない。
 影山はぎりっと歯軋りをした。
 自分が上げたボールに向かって突っ走れ!! 他の誰かじゃなく、自分を見ろ。日向をこの手でコントロールしたい。
 ふっとそんな思いが頭に過ぎって影山はハッと我に返った。
 ここ最近の影山のイライラは、日向のせいなのだと腑に落ちた。
 気付いたら、ボール籠の中にボールが一つもなく、ネットの向こう側に大量に転がっていた。
 イライラをぶつけるボールが一つもなくなって、次は何をすればいいのだろうと影山は呆然とした。


 日向はネットの向こう側にいる影山を見ていた。
 悲しい気持ちを抑える、だが、笑おうとして失敗した、そんな表情をしている。

 嬉しい時、悲しい時、いつでも、心に浮かんだ感情を素のままで表に出してきた。
 だが、今は悲しくてもその思いをそのまま表に出すことは出来ない。
 そうすれば周りは心配し、日向にそんな表情をさせた原因を問い質すだろうし、原因が分かれば、日向にそんな表情をさせた影山を責めるだろう。周りから責められている影山を思うと、自分が影山に傷付けられている以上に辛くて、日向に感情を表に出すのを我慢させるのだ。

 今日向を悲しくさせているのは、影山にトスを上げてもらえなかったからじゃない。影山に断れた時の影山の態度が冷たく、影山に嫌われているのかもしれないことが、悲しくて仕方が無いのだ。

 ネットの向こう側にいる影山は、ボールの狙いを定めて日向の居るこちら側を熱く見ている。
 だが日向を見ていなかった。それが日向には辛かった。
 トスを上げる際、一瞬影山は日向に熱い視線を送る。
 それは不快なものじゃなく、逆に、影山との見えない糸のようなものを感じて心地が良かった。
 確かにあると信じていた影山との絆が日向には見えなくなっていた。

「ひなた………日向!!」
「へっ!?」
 菅原の自分を呼ぶ大きな声に日向は我に返った。
「全然集中できてないね。やっぱり、影山じゃないと駄目か……」
 申し訳無さそうな表情で言う菅原に慌てて日向は言った。
「あっ、えっ、ご、ごめんなさい!! せっかく、菅原さんがトス打ってくれてるのにおれ……」
 せっかく、影山の代わりにトスを上げてもらっているのに、菅原のトスじゃ物足りないと感じたのが申し訳無かった。だが、影山のあの熱い視線を向けられないと熱くなれない。
「いいよ、本当の事を言っても。日向は影山がいいんだろ?」
 菅原の真剣な表情に日向の表情も真剣になった。
「……はい」
「そっか……残念だな」
「菅原さんのトスは悪くないです。むしろおれが打つのが勿体ないぐらい綺麗で……」
 菅原の上げたトスは綺麗な円弧を描いて飛んだ。思わず日向が目を奪われてしまうぐらい綺麗なトスだった。だが、ジャンプするタイミングが少しずれ、ボールを打った時の手の感触が悪かった。影山のトスは、菅原のトスに比べれば綺麗さは劣るが、1秒のズレもなく、タイミング良く、日向の手元に届き、ボールを打つ感触が良い。
 日向がいくら影山にトスを上げてもらいたいと思っても、影山は日向にトスを上げてくれない。日向では影山の意志を変えることはできないし、先輩の菅原にも難しい事だ。もしかしたら、影山とのコンビ解消もあるかもしれないと最悪の事態を想像して日向は悲しくなった。
「日向、大丈夫? 顔青いよ」
 心配そうに日向を見つめる菅原の姿を視界に映した。影山とのコンビ解消になったら、代わりに菅原が日向にトスを上げるのだろうか。
――菅原さんのトス……。
 菅原が上げたトスを打つ自分の姿が日向には想像できなかった。影山のトスじゃないと駄目だ。そう感じている自分自身に気が付いて、何だか影山のトスに依存しているみたいだと思った。スパイカーとセッターの関係性において、確かに影山とは相性がいいのかもしれない。だが、上を目指すなら、一人のセッターだけではなく、色々なタイプのセッターでも打てなければならない。
影山のトスに甘えている日向の心の奥底を影山に見透かされていたのだろう。そんな日向に気付いて影山は嫌悪感を抱いたかもしれない。だから、影山が日向にトスを上げるのを断り、菅原に代わりに上げてもらうよう言ったのだ。
こんな弱い自分では駄目だ。強くないと、影山と同じコートに長く立っていられない。日向は気合いを入れた。
「菅原さん!!」
「はいっ?」
 先程から黙り込んでいた日向に突然名前を呼ばれて菅原は驚き、一歩足を下げた。
「おれにトスを打ってください!! お願いします。おれ頑張りますから。影山のトスじゃなくても打てるようになります!!」
 スパイカーとして強くなれば影山も認めてくれるだろう。


「トスぐらい上げてあげればいいのに。王様は意地悪だね」
 影山の傍を通り掛かった月島が影山に聞こえるような声で呟いた。月島の傍では山口がにやにやと笑っている。
 王様という言葉に過剰に反応して影山の肩が上がった。
 苛立っている分、いつも以上に月島の、人を馬鹿にするような笑顔と声色が気に触る。
 なんでこいつはいつも人がイラついている時にやってきて、人の機嫌を余計に損ねるようなことを言うんだ。
「うるせェ!!」
 売られた喧嘩を買ったらおしまいだと思いながらも、月島を睨み付けながら、罵声を浴びせた。
「あぁ、恐っ!!」
 だが、言葉とは裏腹に月島に影山を恐れている様子は無く、にやにやとした、月島の性格の悪さがうかがえる表情で影山を見ている。
「さっきから何イライラしてんの?」
 心の中で思いながら誰も口にはできなかった言葉を月島はさらっと口にする。
「こっちまでイライラしてくんだけど、部活の空気悪くするのやめてくんないかな」
 月島の横で、山口が「ツッキーの言う通り!」と呟いて月島が山口を睨んだ。
「ツッキー、ごめん」
 月島に睨まれた山口はしゅんとなった。
 改めて影山を見ると月島は言った。
「つまり、お前うざいってこと。目障り」
「それはオレのセリフだ」
「何、やんの? 喧嘩なら負けないよ。僕の方が背が高いし」
 影山と月島は睨み合って火花を散らし合った。
「前々からお前のこと気に食わないと思ってんだ。いちいち絡んでくんな! うぜェ」
 気が合わないから、必要がない場面ではなるべく月島と顔を合わさないようにしているのに月島から絡んでくるのが影山は鬱陶しくてたまらない。
「じゃあ、部活辞めれば?」
「何でこっちが辞めなければいけないんだ。てめぇが辞めろ!」
 影山は月島の胸を叩くと、月島に叩き返された。

 頭に血が上って月島の胸倉を掴み掛かろうとした時、
「お前ら部活中に何やってんだ!!」
 澤村の怒声が響いた。

 影山は「チッ」と舌打ちをして月島から離れた。
 澤村を恐れて突っ掛かって来ない影山に月島はつまらなそうな顔をした。

 月島から意識をそらそうと何気なくネットの向こう側を見た。
 日向の姿が目に入った。
 輝かしい表情で、菅原の上げたボールに向かって走って行っている。

 その時、ずきっと影山の胸が痛んだ。その胸の痛みに影山は違和感を抱く。
 日向の誘いを断り、影山の代わりを菅原に頼んでおいて、いざ日向が菅原のトスを打とうとしているのを見ると、嫌悪感を持った。
 ネットの向こう側を見る影山の視線が鋭くなる。

 ジャンプのタイミングが悪かったのか、日向の手をボールが掠り、日向は悔しそうな顔をした。
 失敗した日向に影山はほっと息を付いた。
 菅原のトスでは日向をコートで生かすことはできない。菅原のほうが学年と経験が上でも、スパイカーとセッターにおける日向との相性に関しては影山の方が優位だ。影山は、今すぐにでもネットの向こう側に行って日向にトスを上げたい衝動に駆られた。

 ネットの向こう側を睨むような影山の視線に気付いて、月島は影山をからかう弱みを見つけたと眼鏡を光らせた。
「コンビ解消の危機って奴? 日向も横暴な影山のトスじゃ打ちたくないんじゃない?」
 影山からの反応は無い。じーっと向こう側を見ている。
 月島からすればトスを上げるのが影山だろうと菅原だろうとどうでもいい。
 月島は他人が、嫌がるところを見るのが好きだ。特に日頃から気に食わないと思っている影山が嫌がるところを見るのは楽しい。だから、日向のトスを菅原が上げるのは大歓迎。それで、影山が悔しそうな顔を見せればいい。なのに、月島のからかいにも影山は無反応で、正直言ってつまらない。
 途端に影山への興味が無くなって月島は影山から離れて行った。後で日向をからかって遊ぼう。
 月島が去っていくと「ツッキー待ってよ」と言いながら慌てて山口は月島の後を追った。

 月島が言ったコンビ解散という言葉が影山の頭で鳴り響いて止まなかった。
 影山にとっては、気分の問題で一時的に日向にトスを止めているだけだ。通常の状態に戻ればいつでも日向にトスを上げたいと思う。今だって上げたくてたまらず、腕が震えている。
 だが、月島のように、他人の視点で見ると、まるで、影山のトスを日向が打つ関係性を解消するかのように見えることもあるようだ。それに気付いて影山は軽くショックを受けた。菅原もあんな優しい顔で影山や日向を宥めておきながら心の奥では日向を影山から奪ってやろうと考えているのだろうか。

 日向と一緒に居ると、影山は変な気分になる。それが嫌で日向を自分から遠ざけるようになった。日向との関係性を続けていきたいなら、日向の誘いを断らなければいいのは分かっているが、そうできない。日向から遠ざかればそれで安心できるかといえばそうではなく、別の問題に悩まされる。日向が他の誰かと仲良くしているのを見ると嫉妬に似たような感情がわきあがってきて影山は不快になった。結局、近くにいても遠ざけても同じようなものだ。影山の悩みがなくなることはない。
 今まで影山が抱える悩みといえば、バレーボールに関係することで、それもバレーボールに向き合う事で一つずつクリアにしていって今の影山がいる。だが、人間関係がもたらす悩みを抱えた事はない。ないといってしまえば語弊で、そういう種はどこにでも転がっていたのかもしれないが、見ずに今までやってきた。だから、いざ今日向との関係性に関する悩みが出来あがってもどうやって解消すればいいのか分からない。お手上げ状態で気だけ焦る一方だ。
それを相談する友達が居れば良かったのだが、唯一友達だと思っている日向は当事者だし、日向以外に友達だと呼べる人は居ない。
 澤村の「集合!!」という声に影山は我に返り、澤村が居る場所に向かって行った。


 澤村の集合の声を聞いて、皆が集まっている場所に行くと、影山の横顔が目に入った。日向の視線を感じたのか影山は日向を見た。何か言おうと口を開こうとしたら、すっと影山の視線が日向の顔から離れた。影山には有りがちな態度だが、最近のぎくしゃくとした自分達の関係を振り返り、影山の態度が気になった。澤村の話し声を適当に流し聞きながら、何か言いたそうな表情で日向は影山の横顔を見つめる。
帰る時にでも影山と少し話せればいいなぁと思っていたが、影山はさっさと帰り支度を済ませると、挨拶もせずに帰ってしまった。
 こうなると、影山に避けられているんじゃないかという疑惑はただの疑惑ではなく、本当なんじゃないかと思ってしまう。影山に嫌われているかと思うと、日向の胸がぎゅっと痛む。
 日向の横で田中が喚いていた。
「挨拶ぐらいして帰れ!! 明日会ったら影山の奴、シメてやる。ったく、態度悪いな。なっ、日向!」
「えっ!?」
「んっ? どうした? 元気ないな」
「別におれは………」
 月島が通り過ぎ際に言った。
「日向、影山と喧嘩でもしてるの?」
「なっ、別におれは影山と喧嘩なんか………」
 近頃の影山の態度を思い出して日向は言葉に詰まった。
「そうかな? 僕にはとてもじゃないけど仲が良いようには見えないけど。彼、最近日向のこと避けてるよね」
 言葉では心配しているように聞こえるのに、まるで影山と日向がぎくしゃくしているのが楽しくて仕方がないとでも言うように、月島は笑顔で話している。
 何か言い返したいのに言葉が出て来ない。月島が言っていることは間違いじゃないと思ったからだ。日向は悔しいのに月島に何も言えず床に顔を向けて両手をぎゅっと握り締めた。
 「何で?」と疑問に思う気持ちでいっぱいだ。何故影山は日向のことを避けるのか分からない。言いたいことがあるならいつものようにはっきりと言ってくれればいいのに。何か日向に影山を不快にさせている要素があるならなるべく無くすように努力する。何も言われないでただ避けられると日向には何も出来ない。

 家に帰った後、ただいまも言わず、階段を騒がしく上った。
 階下から母の声が聞こえるも無視した。
 日向は自分の部屋の扉を乱暴に開け閉めすると、鞄を床に放り出し、ベッドに飛び込んだ。
 傍にあった枕を掴むと、顔を押し付け、声を上げて泣いた。
 今日あった出来事が頭に過ぎる。
 影山にトスを頼んで断られて辛かったが、その後プラス思考で前向きに切り換え菅原にトスを上げてもらって打った。しかし、帰り際の出来事に触発され、日向の精神状態はネガティヴな方向に傾き、結局そのまま戻らなかった。
「うっ、うっ……」
 悲しい時に浮かび上がる思考はろくなもんじゃない。
 影山が日向を避けるのは影山に嫌われているからじゃないかとか、今まで積み上げてきた影山との、スパイカーとセッターの関係性が終わるんじゃないかとか、次から次へとネガティヴな思考が浮かび上がる。日向は余計に悲しくなって涙を流した。自分でもここまで涙が出るのかと呆れる程、涙が出た。
「かげやま〜ぐすっ……」
 菅原のトスでも打てるようにならなきゃと気合いを入れたが、やっぱり日向には影山のトスじゃないと駄目だと
思った。菅原のトスでも打てるだろうが、気持ちの上では納得できない。
日向は影山のトスを打っている自分の姿を思い描いた。
影山の日向を見つめる熱い視線。一瞬視線が合う。影山は日向なら打てると信じてくれて、日向も影山のボールなら打てると信じている。一瞬の間にそんな目に見えない心のやり取りがある。影山のトスを打ち終わって床に足が着く時には何とも言えない温かい気持ちに心が満たされる。この気持ちは何なんだろう。日向には分からない。
日向は一人呟いた。
「おれは影山がいい」
 このまま影山との仲がぎこちないのは嫌だ。影山との仲を元に修復して、影山からのトスを貰いたい。トスを貰うだけじゃなく、いつでもどこでも影山と一緒になって笑い合いたい。
 そう思うと涙が止まった。冷静になって日向は呟く。
「このまま泣いてる場合じゃないよな」
 何も策はない。日向に出切る事をするそれだけだ。
 窓に視線を向ける。今はここに居ない影山のことを思った。
「今、影山どうしてるかな?」
 影山の連絡先を知っていればメールをするなり、電話をするなりして、影山の現在を知ろうとするのだろうが、生憎日向は携帯電話を持っていないし、影山の連絡先も知らない。
 ベッドの上で仰向けに寝転ぶと、頭の下に両手を入れて天井を見上げた。
 今更ながら自分達の間を繋ぐのは、部活の中だけだったと知って寂しくなった。
「影山、明日おれと喋ってくれるかな?」
 途端に不安になった。最近の影山の態度では日向と喋ってもくれないなんてことも有り得る。
 

 その頃、影山は相も変わらず、悶々と過ごしていた。いつも勉強していないが、今日は特に勉強をする気になれなかった。
 ベッドに背をもたらせて床に座り頬杖を付いていた。
 帰り間際に澤村の声で集合した際に、日向の視線を感じてそこに視線を向ければ、日向の何か言いたそうな表情が見えた。何か恐れを感じて影山は慌てて視線をそらした。帰り間際に日向が何か言ってくると思ったのでさっさと帰り支度を済ませると挨拶もせずに帰った。
 鈍い日向も近頃の影山の態度に何か感ずいているだろう。明日顔を合わせるのが気まずい。
 楽しくて楽しくて仕方が無い部活だったが初めて行きたくないと思った。明日サボってしまおうか。
 影山の思考を突き破るように階下から母の影山を呼ぶ声が聞こえて来て影山は考えるのをやめた。

 習慣と言うのは恐ろしい。
 昨夜サボろうと決意した影山だったが結局いつもの時間に起床してしまった。
 そのままいつも通り身支度をし、朝食を軽く済ませ、家を出た。
 気付いた時には影山は体育館の入口の前に立っていた。
 ほぼ無意識の行動で全く意識してなかった。
 春にしては冷たい風が吹き荒ぶ。
「あっ……」
 我に返り、何やってるんだと頭を抱える。
 背後から気配を感じた。ぶつぶつと呟くよく知る声。前に居る影山の存在には気付いていないようだ。
「あぁ、どうしよう! 今日喋ってもらえなかったら。でも……」
 影山にぶつかる寸前で彼は影山に気付いた。
「あ、えっと………」
 何か言いたいようだが、日向の口からまともな言葉が出ない。軽くパニックになってるようだ。思わず「落ち着け!!」と言った。
「あっ、そだね。うん……」
 恥ずかしかったのか日向は頬を赤く染めている。
 さりげなく日向の顔を見ると、目元が腫れていて影山は驚いた。明らかに昨日にはなかったものだ。家に帰ってから日向が泣いたのだとしたら、その原因が気になる。
――オレか? オレが原因なのか……?
 日向を泣かせたのは自分なんじゃないかと思うと途端に罪悪感に支配されて日向が気になってしまう。日向と顔を合わせるのが気まずいと思っていた昨日を忘れて影山は日向から離れられなかった。
 何か言わなければと思うのに何も浮かばなくて言葉が出て来ない。影山はガシガシと頭を掻いた。こんなに近い距離に居るのに何も言葉を掛けられないなんてなんてもどかしい。
――『泣かせてごめん』か? う〜ん、何だかムズムズする。
 ああだこうだと影山は言葉を捏ね繰り回した。
「影山……」
「えっ?」
 突然日向の声が頭に響いて影山は我に返って日向を見た。日向はすぐに何か言わず、うっ、だの、あっ、だのと呟いていたが意を決したように言った。
「おれ影山と仲良くなりたい!!」
 言い切ると、ぼんっと音を立てるように日向の顔が赤くなった。日向の反応に言われた影山も恥ずかしくなった。
「何だよ、いきなり……」
「嫌?」
「別に嫌じゃねぇけど……」
「良かった!!」
 日向は嬉しそうに笑った。日向の笑顔に反応して影山の心臓の音がどくんと鳴った。思わず心臓を押さえた。
「どうしたの? 顔色悪いよ」
「な、何でもない……」
 言葉ではそう言いながらも心臓はうるさい程にその存在を主張する。
 この笑顔はやばいと、影山は思った。だから日向に近寄りたくなかったのだ。日向に近付くと、日向の何かに影山の身体が敏感に反応して困る。途端に日向が傍に居る事を意識した。全身が熱くなるのを感じる。
――何だ、これ!!
「影山?」
 首を傾げて心配そうに見つめる日向の姿が目の前にあった。『だからそんなに近付くな!』と叫びたくなった。
 影山は至近距離に近付いてきた日向の身体を両手で押した。
 身体をよろめかせて日向は地面に尻餅を付いた。
「痛ッ」
「わ、悪いっ」
 手を差し出そうとして、日向に握られる手を意識して思わず引っ込めた。日向の表情が傷付いた表情に変わった。
 日向はゆっくりと立ち上がった。顔を地面に向けている。日向の感情を抑えた声が影山の耳に入る。
「おれのこと避けたり、突き飛ばしたり何なんだよ、お前。そんなにおれのこと嫌い?」
 日向にそう言われて影山は軽くショックを受けた。今更ながら自分がやってきたことが、影山に嫌われていると、日向に解釈されることに気付いた。影山が何も言わないのをイエスだと思ったのか日向は更に口を開いた。
「嫌いなんだったらはっきりそう言ってくれればいいのに。影山が何も言わないからおれ影山に甘えて……。影山が嫌がっているのに影山にトスを迫るおれが馬鹿みたいじゃないか……。おれだけが影山が好きでむなしい」
 影山の頭の中で、日向の最後の言葉が繰り返される。それ程の衝撃だった。
――日向がオレを好き?
 同性である男に好きと言われたら気持ち悪いと思うのが普通のはずで、実際影山が別の誰かにそう言われていたら、そう思っていたはずだ。しかし、日向に言われた時は気持ち悪いという感情はなかった。気持ち悪いと感じられたらまだ楽だったのかもしれない。
 心の中で羽が広がるような温かい気持ちが胸を満たして影山は戸惑った。
 影山の目の前で涙を流している日向に慌ててとりあえず誤解を解かなければと思い口を開いた。
「オレは日向のこと嫌いじゃない」
「嘘!? だったら何でおれのこと避けてたの?」
「それはオレの問題でお前の責任じゃない」
「意味わかんねぇ。何だよ、それ……」
 いつの間にか流れていた涙もピタリと止まり、腑に落ちないという表情で日向は影山を見る。
「よく分からないけど、影山に嫌われてないんだよな?」
 影山が頷くと、日向の表情がまるで花が咲くように柔らかいものになった。
 その時知ってしまった。影山が日向に向けている気持ちの正体が何なのかを。
 "日向が好き"
 そんなシンプルな思いがすとんと落ちてきて納得した。
 あぁ、そうだったのか。
 そんな簡単なことのために、日向を遠ざけて、傷付けて、何て馬鹿だったんだろう。
 その余韻に浸る暇もなく、突然日向に抱き付かれて影山は固まった。
 しがみ付くという表現が合う。もう離さないとでも言うように力を込められた。
「痛いッ。離れろ!!」
「あっ、ご、ごめん!!」
 日向は慌てて影山から離れた。まるでうさぎの耳が垂れているような落ち込んだオーラを出して、影山を見ている。まだ影山に嫌われているという疑惑が日向の中で残っているようだ。
「だからオレは別に日向のこと嫌いじゃないって言ってるだろう」
「えっ?」
 日向は影山に戸惑った表情を向ける。
「あっ……」
 日向の頭を撫でている己の手に影山は気付いた。慌てて手を引っ込める。
 何やってるんだろうと軽く自己嫌悪に陥った。日向への気持ちに気付いたからっていきなりこれはないだろう。
 影山の思いを日向に気付かれてないかと日向の表情をうかがった。影山のまるで日向を睨むような視線に日向はあっちこっちに視線を飛ばした。
「えっと……。とりあえず、影山に嫌われてないって分かって良かった。じゃあこれからもよろしくな!」
 言い終わると、日向は素早く体育館の中に入った。
 中で振り返ると、飛び跳ねながら影山に手を振った。
「影山も早く!! トス上げて!!」
 日向の明るい表情に影山はふっと笑った。
「まずは準備運動からだ!」


 早朝の体育館は日向の気持ちと同じように清々しかった。
 思わず、口を開いて息を吸い込み体内に空気を取り込む。
気持ちがいい。
 きゅっ、きゅっと体育館の床を蹴り上げる音が聞こえた。
 日向の背後で影山が体育館に足を踏み入れたのを感じる。
 何だろう、この気持ちは。
 今にも爆発しそうな熱い気持ちが日向の胸の中を占拠する。
 今すぐにでも体育館の中をスキップしてまわりたい。
 影山に嫌われていない。その事実が分かって日向は嬉しかった。

 荷物を体育館の舞台に置いて、準備をしようと動いた。
 影山に頭を撫でられた時の光景が頭に過ぎる。
 あの時一瞬湧き上がった桃色の感情に日向は戸惑った。
 影山に避けられ、嫌われているかもしれないと思った時何故あんなに悲しかったのか。
 その感情の根元にある感情に気付いた。
 "影山が好き"
 意識すると胸が高鳴って思わず日向は心臓に両手を当てた。
――どうしよう。
 気付いた感情に戸惑った。
 相手が異性ならまだ単純な話だ。だが、実際の相手は同性でライバル視していてチームメートである影山だ。
 もしかしたら開かなくてもいい扉を開いてしまったのかもしれない。
 悩みが解決したと思ったらまた新たな悩みが出来た。いつまで経ってもスタート地点に立っているみたいだ。
 前途多難なこれからを思って日向は息を吐いた。


 これが二人の恋の始まり。


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