恋に落ちる

 早朝、家から外に出て空を見上げた。空は今日も美しく晴れ渡っていて、良い1日を迎えられる予感がする。
 日向は制服や弁当等が詰まった鞄を自転車のかごに入れると、自転車に乗った。高揚する気分を抱きながら、前に進んだ。

 一時期は影山に嫌われているかもしれないと悩んで 2年の田中や西谷に相談するぐらい深刻だったのだが、その悩みは解決した。
 だが、新たな悩みが出来てしまった。日向は影山を好きだと自覚した。それに伴って、好きという感情に伴う副作用に近頃悩まされている。影山が近くに居れば、うるさい程に心臓の音が高鳴り、近くに居なければ自然と溜息が出、影山が知らない女子生徒と話しているのを偶然見掛ければ、息苦しさや胸の痛みを覚える。
 クラスの友人達から恋愛話を耳にしていて未経験の日向は単純に羨ましく思っていたが、実際に自分が当事者になると、誰かを好きになるのは苦しいんだなと思った。
 日向の想いが影山に届けば、苦しみはなくなるのかもしれないが、影山と同じ男である日向の想いが影山に届く確率は 0%に近い。
 こんなに苦しいなら影山への思いを自覚しなければ良かったと日向は思う。開かなくてもいい扉を開いてしまったような気がする。まさか同性の影山が好きで悩んでいるなんて誰にも相談出来ない。
 毎晩影山の事を考え悩んでなかなか眠れないので少々寝不足気味の日向だ。

――さぁ、今日も頑張るぞ !! 
 日向は頬を叩き、気合いを入れた。
 ペダルを踏む足に力を入れると、自転車をこぐスピードを上げた。

 自転車置き場に自転車を置くと、かごから鞄を出して走った。
 別に競争しているわけではないが、誰よりも 1番に体育館に到着したい。
 体育館が見えてくると日向の表情は明るくなった。だが、次の瞬間に影山の後姿が見えて、途端に表情が曇る。
――影山……。
 影山の存在を意識すると、急に心拍数が上がってきた。
 以前までは、影山に会うということは、影山からトスをもらえるということであり、単純に嬉しかったが、影山への恋心を自覚した後では彼に会うのが辛い。

 日向の視線に気付いたのか影山が急に振り向いた。日向は影山の視線にとらわれ、まるで金縛りにあったようにそこから動けなかった。
 日向には長く感じられたその時間は影山の声で終わりを告げた。
「日向、何やってるんだ?」
 影山の声に呆れが混ざってるのを感じて日向はかぁーっと顔を赤く染めた。どうしよう!という思いで胸がいっぱいになり、声も出なかった。
「突っ立ってたら朝練できないだろ」
 影山は言い終わると前を向き、体育館の扉に向かった。
 しばらくの間、日向はその場に立って影山の後姿を見守っていたが、はっと我に返って走り出した。

 背後で動かない日向の気配を感じる中、影山は体育館の扉を開いた。
 舞台の上で一人着替えていると、日向が慌ただしく体育館の中に入ってきた。
「遅い。いつまで突っ立ってんだ!」
 影山が日向に罵声を浴びせると、日向の肩がびくっと揺れた。
「ご、ごめん!」
「謝ってる時間があったらさっさと準備しろ。もたもたしてると練習時間なくなるぞ」
 言っている間に、着替え終わり、影山は舞台から降り立った。
 キュッキュッと音を鳴らして影山が日向に近付くと、日向はあからさまに動揺して見せた。その顔はさっきも見たように赤く染まっている。
「影山、おれ、着替えてくる!!」
 逃げるように日向は舞台の奥に消えた。
 日向の態度を気にして影山は首を傾げた。何か日向に気に障ることでもしたのか。体育館に入ってきたばかりの日向にいきなり罵声を浴びせたのが悪かったのかもしれない。だが影山の態度の悪さはいつものことだ。
 影山は後ろを向き、着替えている日向を見た。背を向けているので表情は分からない。
 まぁ、いっかと日向のことを頭から追い出し、真ん中側に移動するとストレッチを始めた。

 近頃、影山は日向への思いを自覚したばかりだ。自覚したからといって影山の中で何かが変わるわけではないし、日向との関係も以前と同じだ。
 自覚する前は一人勝手にイライラして日向との関係がぎくしゃくしていたが、自覚した後は逆にすっきりとした感じだ。
 日向とどうかなりたいという気持ちがないわけではないが、それよりも、日向とバレーボールで上を目指したいという気持ちの方が大きい。

 しばらくすると、ぎこちない動きで日向がやってきた。影山の傍を通りすぎたところを影山は呼び止めた。
 すると、日向はびくっと肩を上げて、ゆっくりと振り向いた。
「何!?」
「アップしないのか?」
 影山は疑問に思っていた。いつもの日向なら影山の隣に座ってやるのになぜ今日は通りすぎようとするのか。
「するよ」
「俺の隣でやればいいだろう」
「影山のとなりィ!!」
 影山の隣だなんて恐れ多いとでも言うように語尾を上げて日向は言う。飛び出そうなくらい目が大きく開いている。
 日向にそのような態度を取られ、影山は自分が言ったことを意識した。隣でやればいいなんてまるで日向と一緒に居たいみたいだ。途端に全身の血液が顔に一気に集中し、熱くなった。別にやましい気持ちがあったわけではない。ただその時に浮かんだ言葉をそのまま外に出しただけだ。赤くなった顔を日向に見られたくなくて影山はふぃっと顔をそらした。
「つべこべ言わず、ここでやれ! お前が隣にいないとこっちが困るんだよ」
 言った後で、あっと思った。自分はとんでもないことを口にしてしまった。
 日向がそのまま流してくれたら良かったのだが、影山の期待にも関わらず、彼は大げさに反応してくれた。
「ふへェェェ!!」
 日向の口から妙な声が出た。
 影山の性格的には、日向の変な声についてバシっと突っ込んでやりたいところだが、その衝動を堪え、何事もなかったような態度で日向の腕を引っ張り、隣に座らせた。ここで自分まで反応すると、日向共々とんでもない方向に転がっていきそうな気がする。なかったことにするのが一番だと自分に言い聞かせた。
 影山の隣で固まっている日向が気になるが、敢えて何も言わず、影山はストレッチを再開した。
 その間、日向は一人そわそわと落ち着かない様子でいた。そんな彼の様子が気になって、ストレッチに集中できない。座って足を伸ばしながら時折日向の様子を伺った。日向は影山に何か言いたいことがあるようで、ちらちらと視線を送ってくる。
 とうとう我慢ができなくなって、影山は「何だよ!」と口に出した。
「何かオレに言いたいことあるんだろ! さっきからジロジロと見られると気になるんだよ!!」
 日向に口を挟む隙を与えず、一気に捲くし立てると、日向は怯えた態度をとった。
 そんな彼に構わず、影山はさっさと言えと視線で強く主張すると、日向は口を開いた。
「さっきのさ……」
「は?」
 言い辛そうにしている日向に焦れて影山は怒鳴り声を上げた。
「何だよ、さっさと言え!!」
 ヒィィィと、小さく声が漏れ、日向の肩が大げさなぐらいに飛び上がった。
「おれがいないとってどういうこと?」
 日向が言いたいことが分からず影山は首を傾げた。
「影山さっき言ったじゃん。"お前が隣にいないとこっちが困るんだよ"って。それってどういうこと?」
 せっかく流したのにその件を蒸し返すなと影山は思った。何と言ってこの場を乗り切ろうか。ちらっと日向の顔を見た。日向は何のつもりで訊いたのだろう。もしかしたら、日向も自分と同じような気持ちを抱えているのかもしれないと一瞬思ったが、そんなことは有り得ないと影山は否定した。男を好きになる男子高校生なんて存在するわけがないと思ったが、「あっ、ここに居たか」と思わずその思考を口に出してしまった。
「えっ? 何のこと!?」
「だーから、一人より二人の方がアップするのに便利だろ。それに、日向がすぐ傍にいたらすぐにパス練開始できるしな」
「あっ、そういうことか。って、えぇっ!? 影山と一緒にやるの?」
 あからさまに日向に嫌な顔をされて影山はムッとした。視線を鋭くした影山の視線を避けて日向は言う。
「いや、別に影山とやるのが嫌とかじゃなくて……」
 日向の視線が泳ぐ。
「だけど色々と困る……」
「色々ってなんだよ!」
 何だか分からないけど、日向に拒否されていることだけが影山に伝わった。不快だ。思わず、ギリっと歯を噛みしめた。
「ごめん、影山!」
「分かったからさっさとアップやれよ。終わったらパス練するぞ!」
 日向に拒否されていることに納得できないまま、影山は立ち上がった。

 影山が離れたことに安心して日向はほっと息を付いた。影山が傍にいると落ち着かない。
 先程よりもリラックスした様子でストレッチをしながら、影山の後ろ姿を追った。影山は早足で縦に移動すると、
用具室の奥に消えた。
 体育館の中は昨日の放課後とあまり変わっておらず、ネットは張ったままになっていた。ボールかごだけがここにない。
 しばらくすると影山がボールかごを引きながら現れた。
 日向が居る場所まで持ってくると、ボールかごからボールを一個取り出した。床に何度かバウンドさせると、真上に放り投げ、両手でボールを操る。
 一人でボールに触れている影山を見ながら日向は思う。
 影山と組んでストレッチすることにならなくて良かった。ただでさえ、影山が傍にいると落ち着かないのに、影山と組んでストレッチだなんて日向の心臓が持たない。
 ボールを操る影山の手が好きだなと思いながら、ぼぉーっと影山を眺めていると、「いつまでやってるんだ!」と影山に怒られ、日向は慌てて身体を動かした。

 ストレッチを終わらせると、日向は影山に近付いた。
「遅かったな」
「影山、トスあげて!」
 飛び跳ねながら日向が言うと、
「バカヤロ!! 先にパス練だ!」
 と影山は言った。

 影山とパス練習をして、影山のボールを追うことに夢中になっているうちに、先程の緊張なんかどこかに吹っ飛んでしまった。
 その時の日向にとって、影山の傍にいる緊張なんかよりも、影山に怒鳴られないためにいかにボールを落とさないかのほうが大事だった。
 そのうち、他の部員も体育館に入ってきて、体育館は賑わいを見せた。

 授業中、黒板を見ながら、つまらないなと思い、大きな欠伸をした。一日中ずっと部活だったらいいのに。バレーボールには命を掛けられるけど、勉強は嫌いだ。
 教師の話し声を聞いているのにも退屈して、日向は何気なく、窓の外を眺めた。
 グラウンドでは、どこかのクラスが体育をやっているようで、体操着を着た生徒の集団があちらこちらに散らばっている。視線を素早く走らせてつまらないなと教室に視線を戻す寸前、その中に影山の姿を見つけ、日向の視線がそこに引き付けられた。
――か、影山だ!!
 ふわぁ〜っと花が開くように暖かい気持ちが胸に広がった。
 日向は授業のことなど忘れ、影山の姿に釘付けになった。
 バレーで発揮されている影山の運動神経は他のスポーツでもうまく活かされているようだ。
 クラスメートが蹴り上げたボールを影山は足で受け止めると、蹴りながらゴールへと突っ走った。どうやらサッカーをやっているようだ。
 影山がゴールに向かって勢い良くボールを蹴り上げると、必死に拾い上げようとするゴールキーパーの手を避け、ゴールに入った。
――やったぁ!!
 決定的瞬間をその目にした日向は嬉しくなった。自然と口角が緩む。
良かったなと心の中で影山に声を掛けていると、その声が伝わったのか、下にいる影山が校舎を見上げた。影山と目が合ったような気がして、日向の胸が高鳴った。
 一方的に日向が影山を見るのはいいが、影山から見つめられるのは苦手だ。だが、影山から視線をそらすことができない。鳴り止まない心臓に、どうかしてしまったのかもしれないと日向は思った。
 影山と見つめ合っている時間が日向には永遠のように感じられた。
 日向が影山と視線を合わせている間も授業は進行していたのである。
 後ろにいるクラスメートの日向を呼ぶ小さな声が聞こえたかと思うと、「日向、聞いてるの!」と女性教師の大きな声が聞こえた。
 慌てて窓から黒板に視線を向けると、女性教師が顔を顰めて日向を見ている。日向は顔を赤く染め、「ごめんなさい !」と謝った。

 4限のチャイムが鳴り終わると共に教師が教室から出て行き、周囲は慌ただしくなった。
 机を乱雑に並べ、仲のいい数人のクラスメートと日向は昼食をとった。
 話題に上るのは恋愛の話だ。
「3組の西野が小西に告ってして付き合うことになったらしいぜ!」
「いいな。オレも優香ちゃんに告って付き合いたい!」
「無理無理」
 ゲラゲラと周りが笑っているのを見ながら、日向は大きな弁当箱に入ったご飯を口の中にかき入れた。ご飯粒を口元に付けたまま、「告白かぁ……」と呟く。脳裏に浮かんだのは影山の姿。次にそれはないと首を振った。影山に好意があっても影山の反応が恐くて告白なんてできない。
「日向は好きな子いないの?」
 まさか自分に話を振られるとは思わず、日向はぽかーんとした表情を見せた。
「あっ、その顔は居るんだな、好きな子。誰、誰?」
 興味津々の様子でクラスメートは訊いてくる。まさか同じバレー部所属で、同性である影山だとは言えず、日向は言葉に詰まった。
「言いたくないなら無理して言わなくてもいいけど……もう告った?」
「ま、まさか!? ないない」
 影山に告白するなんて有り得ない。天変地異でも起こらない限りそんなこと起こらない。
「告れば? オレ、女子と付き合ったことあるけど、付き合うのって楽しいよ」
「告白なんておれには無理!」
 日向が好きな相手は女子なんかじゃなく、正真正銘男の影山だ。もしかしたら勢いで告白できてしまうかもしれないが、お付き合いまでできる見込みは限りなく薄い。
 身体を使って拒否をする日向を単に勇気がないだけだと思ったのか彼は言った。
「一か罰か当たって砕けてみろよ。もしかしたら付き合えるかもしれないぜ?」
 当たって砕けるどころか、影山との関係が終わるよ!という日向の心の叫びは当然ながらクラスメートには聞こえない。
「日向君、報告待ってるよ!」
 日向がふられると思っているのかへらへらと笑いながらクラスメートはぽんぽんと日向の肩を叩いた。そんな彼に「人事だと思って……」と日向は言った。

 5限の授業は英語。教師の話し声がまるで眠気を誘うように教室の中を流れる。
 空腹も満たされ、居眠りするには絶好の環境。午前中の疲れもあって、何人か居眠りしている生徒がいる。いつもならその中に日向も入っていたが、その日の日向の目は開いていた。
 周りのクラスメートがみっちりと文字の書かれた黒板を熱心に見つめ、その内容を書き移しているというのに、日向の手は止まっていた。
 一応教科書とノートは開かれている。しかし、日向のノートは真っ白だった。
 授業そっちのけで日向はお昼の時間のクラスメートとの会話を思い出していた。
――告白かぁ……。
 クラスメートの口からその話題が出なければそんなこと考えもしなかった。
 影山への思いを自覚して以来、日向は影山と接するだけでも大変なことだった。近付けば、影山のことを意識しすぎて必要以上に緊張してしまう。
 大好きなバレーや影山のこと等今のことに精一杯で先のことを考える余裕などなかった。
 影山に告白して、影山と付き合うことが日向には想像もできない。
 有りもしないことだけど、万が一影山と付き合うことになったら、自分達の関係はどうなるんだろう。日向は想像を巡らした。
 影山と二人でどこかに出掛けて、手を繋いでキスをして……思わずその光景を想像してしまい、恥ずかしさで叫び声をあげたくなった。
 周囲の音をかき消す程、心臓がうるさく鳴っている。思わず誰かに聞かれていないか確認してしまった。相変わらず周囲のクラスメートは黒板を見ながらノートを書き写していて誰も日向には関心を寄せていない。日向はほっと息をついた。
 もう影山のことを考えるのはやめよう。授業に集中しようと前を向いた。だが今何をやっているのかさっぱり分からなかった。黒板には英語が書き散らされているが、日向には読めない。
 日向の頭が真っ白になった。冷や汗が流れる。
――ははは……やばい。
 今日の授業どころかここ最近まともに授業を聞いていなかった。
――次のテスト、どうしよう。確実に赤点だ!
 思考が勉強とは関係のない方向に逃げていく。バレーバカな日向が考えることといえば、バレーのことで、いったんそのことを考え出すと、自然と影山のことまで考えてしまう。
 トスでボールを操る影山の、あの繊細な手が好きだな。ボールを打っている最中に影山の視線を独り占めしているのが快感だ。
 日向の思考はピンク色に染まり、影山のことでいっぱいになる。
 無意識にノートに「影山、好き」と書き殴っているのに気付いて日向は取り乱した。
「うわぁぁぁ!!」
 叫び声をあげながら慌ててその文字を消した。
「日向、うるさい!!」
 担当教師に怒声が飛んだ。周囲からクスクス笑いが漏れる。日向は顔を真っ赤にして「すみません!」と謝った。

 放課後、部室に向かおうと教室を出たところ、廊下で影山に遭遇した。
――か、影山だ!
 影山の姿を認識した途端、全身から一気に血液が上り、日向の顔は真っ赤に染まる。
 気が動転して、頭が真っ白になり、言葉が何も出ない。
 「あ」だの「う」だのと意味のない言葉が口から出る。
「何言いたいのか全然分かんねぇよ! もう少しはっきり喋ろよ!」
 相変わらずのきつい言葉が影山の口から出ると、余計に何を言えばいいのか分からなくなる。
「何もねぇならさっさと行くぞ」
「え?」
 どこに行くのかと日向が首を傾げていると、
「部活に決まってんだろ! ボゲ日向! さっさと動け!」
 と影山に言われ、日向は姿勢を正すと、先に行った影山の背中を慌てて追った。
――あぁ、そうだった。何やってんだよ、おれ!
 バカバカと心の中で自分を叱りながら日向は早足で進んだ。影山に意識がいきすぎて部活のことが頭から抜けていたなんてとんだお間抜けだ。

 日向の頭の中は影山のことでいっぱいで、今すぐにでもバレーがしたいという思いが欠けていた。だからいつもなら教師に怒られようともダッシュで廊下を進むのに今日はそろそろとした動きで歩いていた。
 日向の動きはどこかぎこちない。自分じゃないみたいだ。ロボットみたいにガチガチとした動きで前に進んでいる。歩くってどんなんだっけ?と日向は考えた。恋のパワーって凄い。このエネルギーがバレーに回ってくれたらいいのに。
 日向の視線の先には影山の背中がある。日向のゆっくりした動きに対して影山は早歩きで、影山との距離が広がりすぎると慌てて追い掛けるが、必要以上に近付かない。影山に近すぎないよう、見失わないよう、ある程度の距離を保って進んだ。
 この距離感が自分たちの今の関係みたいでもどかしい。もう少し距離を埋めたいのに影山に近付けない。こんなんじゃ告白なんて無理だと日向は思った。

 いつまで経っても日向が影山を追い抜く気配がないのを、影山は不思議に思った。
 いつもの日向なら、どちらが先に着くかで、影山と競い合って廊下を走ろうとするのに今日はそれがない。日々日向と競争しながらもそれを楽しんでいたので肩透かしを食らった気分だ。
 放課後に遭遇した時も部活に行くことを忘れている様子で、バレー一筋の日向が部活の存在を忘れるなんておかしい。頭のネジが一本外れているみたいだ。そもそも朝から様子が変だったと、影山は振り返る。何か変なものでも食べたのか。
 後ろで日向の気配を感じているが、それでも日向が後ろにいるのか不安で、影山はちらりと後ろを振り返った。ゆっくりとした動きで前に進む日向の姿を確認できてほっと息を付いた。
 二人の間を重い緊張感が支配しているのを影山は感じていた。お互いに一言も喋らず動いているので余計にそう感じる。
 ここで一言何かを発せればこの場の空気が少し和らぐかと思うのだが、日向に掛ける言葉といったらこの場の空気が余計に重くなりそうな言葉ぐらいしか浮かばない。
 影山は不器用な男だった。好きだと自覚した日向に掛ける言葉が罵倒や悪口しかない。日向に恋心を持ったとはいえ、影山の性格が変わったわけではない。相変わらず、日向に荒い態度をとる自分を反省し、優しい言葉の一つや二つ掛けられたらいいのになぁと思うのだが、元々持っている性格なのでどうにもならない。好きな相手のために自分の性格を変えようと意識できただけでも良しとしたい。
 影山の後ろでぎこちない動きで前に進んでいる日向の動きが影山にまで伝染したように、影山の動きはぎこちなかった。後ろにいる日向の存在を意識してしまうと、まるで自分じゃないみたいにぎこちない動きになる。思うようにならない自分の身体に影山は苛立った。そもそも今影山をどうにもならなくさせているのは、日向への恋心のせいだ。これからもこの煩わしさに付き合わされるかと思うと影山は眩暈でも起きそうな気持ちだ。
 日向と並んで歩けるようにさりげなく歩くスピードを下げてみる。日向と距離を埋めようとしている自分に影山は吐き気がする思いだ。王様という影山にとっては忌まわしい呼び名の通り、自分中心で、自分の動きに相手が合わせろ!という考えで行動しているので、そんな自分が誰かに合わせようとしているのが嫌だ。そのように影山が変わろうとしているのは、やはり日向への恋心のせいか。
 恋心というのは綺麗なものだとイメージしてきたけど、今の影山の中にあるのは綺麗さとは程遠いネガティブなものだ。
 日向の恋を自覚できずに一人イライラとしていたのはつい最近のことだ。日向の恋心を自覚して以降は、むしろすっきりしたと感じていた。だがそれは間違いだったようだ。
 歩くスピードを落としても相変わらず二人の距離は埋まらない。影山は苛立った。人がせっかく譲歩してあげているのに何でだ!
 苛立ちで少しずつ影山の表情が鋭く変化していった。
 苛立ちに任せて後ろにいる日向を怒鳴らないだけ、影山は少し進歩したと言えるだろう。
 二人の距離は中途半端なまま、部室に着いた。

 どうやら日向と影山が一番乗りのようで、まだ誰も部室には来ていなかった。
 男だらけの部らしく程良く散らかった部室の中に影山が鞄を放り投げた。
 きりっとした表情で、傍にいる日向に何も言わず、黙々と服に着替え始めた。
 罵倒されるよりはましだが、何も言われないのも逆に困る。日向の存在がなかったことにされているようで居心地が悪い。
 もし影山が日向に怒っているなら、影山のことだから黙っていないで罵倒といった形で怒りを日向にダイレクトに送ってくるはずだ。
 そう思ったがつい先日の影山のことを思い出して思い直した。影山に何があったのかよく分からないが、影山から避けられて、周囲の人間が心配するぐらいに影山との関係が微妙なものになっていた。気付いたら元の鞘に戻っていた。今思うと、結局あれは何だったんだろうと日向には不可解な出来事だった。
 また影山から避けられてしまったら、影山への恋心を自覚した今、今度こそ再起不能になる。寒くもないのに悪寒が走って日向は身震いをした。
「寒いのか?」
「まぁ、そんなところかな」
「少しは暖かくなったとはいえ、まだまだ寒いからな。風邪引かないように気をつけろよ」
 拗ねた表情で言い方は少し乱暴だが、罵倒ばかりの影山には珍しい優しい言葉掛けに日向は逆に戸惑った。怒っているんじゃないのかと影山をじろじろと見つめた。
 日向に見られていることに動揺して影山は言った。
「な、何だよ! じろじろ見るんじゃねぇよ」
「影山が優しいなんて変!」
「な、なッ……」
 かちんと凍り付いたように影山は言葉を詰まらせた。何気なく吐いた日向の言葉が影山にショックを与えたことに日向は気付かない。
 日向の言った言葉が頭の中で何度もリフレインするのを影山は感じた。影山の言葉の裏にある日向に良く見られたいという影山の下心を日向に見破られたような気がしてショックを受けた。思った以上にショックだったようで、日向に返す言葉が何も浮かばない。何も言わない影山を心配そうに日向に影山は焦った。
 辛うじて「わ、悪かったな! 俺だってたまには優しい時もあるんだよ!!」と言葉を返せた。
「別に悪いなんて思ってないけど、珍しいなぁと思って……そんな影山も悪くないかな……」
 頬を掻きながら日向は言った。優しく気遣われた普段とのギャップに戸惑ってしまったけど、後からじわじわと感動が押し寄せてきて、日向の胸がぎゅっと引き締められた。嬉しくて気分が高揚する。
 影山は影山で、思い人の日向に"そんな影山も悪くない"と言われて、感動していた。
 お互いに相手から与えられた心地の良い感動の波に浸っていた。
 傍に影山が居て、感動の波の漂うその空間が気持ち良くて、苦いだけだと思った恋も悪くないと日向は思い直した。影山も同じような思いだ。
 唐突に二人の視線が合って我に返り、一人快感に浸っていた自分が恥ずかしくなった。影山と日向は何も言わず、相手の視線をそらした。黙々と準備に集中する。
 傍で着替えている影山の存在を意識しながら、日向は告白について思いを馳せた。影山に告白するかもしれないし、しないかもしれない。もしするのだとしても、当分先のことだろう。今はただ影山と同じ空間にいる幸せを感じていたい。


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