前途多難な恋

 思春期らしく、恋というキーワードに過剰反応する今日この頃。
 世間では男性が女性に、または女性が男性に恋をするのが一般的のようだが、日向翔陽の場合そうではない。
 日向が恋をしているのは、日向と同じ男の影山飛雄だ。
 つい最近、クラスメイトに促され、影山に告白する方向に向かい掛けていた。しかし、影山と同じ空間を共有することに居心地良さを感じ、結局、片思いでもいいかなぁという気持ちで落ち着き、告白まで至らなかった。
 影山とは仲の良い友達という関係ではなく、どちらかといえば部活上での良き相棒といった関係だ。日向は今の影山の相棒というポジションに満足している。
 影山と一緒にバレーをするのがただ単純に楽しい。別に日向が影山の恋人となってお付き合いすることにならなくても、今が楽しければそれでもいい。
 今の平凡な幸せを願うことの何が悪いのか。日向は完全に開き直っていた。影山と真剣に向き合うことから逃げているともいう。
――だって影山の奴がおれのことどう思ってんのか分かんねぇもん!
 影山の気持ちもよく分かっていないのに告白をするなんて無謀な行為だ。
 嫌われてはいないとは思う。だが、相変わらず部活中に日向を怒鳴ったり文句を言ったりするのは恒例行事で、風当たりは強い。そこに影山からの好意が感じられないのが残念だ。
 つまり、日向の恋が実る確率は低そうだ。だから日向は影山に気持ちを告げるのを躊躇してしまう。今の、部活上の相棒の関係でいいと自分に言い聞かせるが、心の奥底では単なる部活のチームメイトで相棒な関係から発展させたいなと思う日向がいる。
 このままでもいい、いや、このままでは嫌だ。このように気持ちが行ったり来たりしてどうにもならない。影山の気持ちどころか、自分の気持ちが思う通りにいかなくて日向は戸惑う。
 いつも気持ちは堂々巡りで、結局自分はどうしたいんだ!と頭を抱える毎日。
 日向は気持ちの切り替えが下手で堂々巡りの気持ちを部活にまで持ち込んでしまう。当然できることもうまくいかない。
 その日も部活中に何度もヘマをし、影山にはいつもの倍以上怒鳴られ、「やる気がないなら帰れ!」と言われてしまった。影山が怒鳴ることなんて日常のことなのにそれでも好きな相手にやられると落ち込む。
 落ち込んでいるのが分かりやすい日向を菅原は慰めてくれるが、そうなる原因を作ったのは自分なので何だか申し訳ない気分だ。
 澤村には「気にするな」と言われたが、そう言われると余計に気になる。
 月島や山口に嫌みを言われてもいつものように言い返す気力がない。
 床にモップをかける影山の後ろ姿が見える。部活中に影山に言われたことが頭に浮かび、苛立ちを感じた。よく考えてみれば、部活中に影山に怒鳴られるようなことをした自分も悪いが、そこまで言うことないじゃないか。
 今までを振り返ってみれば最初から影山はそういう人間だった。できない日向を言葉や態度で徹底的に攻撃して、褒めてもらえたことなんて数える程しかなかった。
 影山に好意を持っている日向に対して、少しぐらいは優しくしてくれてもいいんじゃないかと思う。
 そう思った後で、そんな影山を好きな自分もどうかしてるんじゃないかと落ち込んだ。
「おい! そんなところでつっ立ってんじゃねぇよ、ボゲ!」
 影山に怒鳴られて慌てて退いた。
 影山が通り過ぎた後で、「ボゲってなんだよ、ボゲって! おれはボゲじゃねぇっての」と一人ボヤき、影山の背中に向かって舌を出す。
 なんで影山を好きになってしまったんだろう。はぁっとため息をついた。この行き場のない思いをどのように処理をすればいいのだろう。見えない場所を行ったり来たりしているような気分だ。
 この恋が異性に対するものならここまでややこしくないのに。
 影山への恋は思っていた以上にややこしい。
 こんな思いがこれからずっと続くのだと思うと憂鬱になる。
「おい、日向!」
 ぼんやりと物思いに耽っている日向の耳に影山の呼び声は入って来ない。
 ただ名前を呼ぶだけだった声が次第に怒鳴り声に変わっていき、
「日向って言ってんだろ!!」という影山の大きな声が耳に入るのと同時に頭に痛みが走った。
「痛ぃッ!!」
 声に影山への非難をこめ、日向は涙目で偉そうに見下ろしている影山を見た。
「当たり前だ。殴ったからな」
「何?」
「「何?」じゃねぇよ。帰らねぇのか?」
 言われて体育館の中を見渡すと、そこには日向と影山しか居なかった。
「あれ、みんなは?」
「帰ったに決まってんだろ」
 影山に言われてここに二人しかいない理由を納得した。同時に疑問が浮かんだ。みんなは帰ったのになんで影山だけ残ってるんだろう、と。
――もしかして待っててくれたのかな。
 影山の口から直接聞いたわけではないが、きっとそうだろうと思った。
 そうでなければ影山がここにいる理由が見つからない。
 影山にそのわけを問いただしたい思いを日向は何とか堪えた。
 影山が待っていてくれたのだと思うと、何だか胸がくすぐったい。影山にも優しいところがあるんだなと感心する。
「日向! ボーッとしてんじゃねぇよ。さっさと帰るぞ」
 影山に言われて日向は慌ててモップを片付けに向かった。
 自転車置き場までの道のりを二人並んで歩く。
 少しでも長く影山と一緒に居たくて日向はゆっくりと歩いた。
 影山は何も話さない。彼の横顔をこっそり眺めると、きりっとした表情が見える。思わず見惚れ、心密かに動揺した。
 たった一つの美麗な表情で、普段の影山への評価なんて吹っ飛び、好感を持つ。
 部活中にどんなに怒鳴られてもトスを上げる影山を見てしまえばその姿に見惚れてしまうのと同じだ。
 影山の人間性がどんなに悪くても、結局日向は影山を嫌いになれない。
 影山が綺麗だなと思ってしまえば、二人きりでいる今の状態を意識して、胸の中が騒がしくなった。
 よく考えてみれば二人きりになれる状況なんて滅多にない。
 部活以外では影山と接点ないし、部活中には必ず誰か一人は居る。
 つい最近クラスの仲の良い友達に影山への告白をすすめられたことを思い出して、今がチャンスなんじゃないかと思う。
「影山!!」
 気付いた時には日向は影山の名を呼んでいた。
 思っていた以上に声が大きく出ていたらしい。影山はぎょっとした表情で日向を見た。
「な、何だよ……急に」
「あ、あのさ……」
「?」
「おれ、おまえのこと……」
 言わなければいけないことは分かっているのに、好きという単純な一言が言えない。
「だからさ……おれ……」
「何が言いたいのか分かんねぇよ。何なんだよ」
 そう言いながらも日向の話に真剣に耳を傾けようとしている影山に優しさを感じて日向の胸はぎゅっと締め付けられた。
「すき……」
「はっ!?」
 影山のふいをつかれた表情を拒絶と感じ、日向は慌てて言葉を加えた。
「な人がいるんだ。だから影山、協力して!!」
 言い終わってから、しまった!と思った。好きな相手に向かって、好きな相手がいるから協力してとは何だ。これでは誤解されるではないか。
 恐る恐る影山の顔を見ると、思わずひいいいい!と悲鳴を上げたくなるぐらい、影山は恐ろしい顔をしていた。
――影山、怒ってるよ。ど、どうしよう!
 今にも影山が殴りかかってきそうで日向は身体を構えた。
「な、何だよ!」
「だからお前最近集中してなかったのか……」
 それは影山のせいだと言いたいのを日向は我慢した。
「ってか、なんで俺が日向に協力しなきゃなんねぇんだよ! 今大事な時に恋なんかしているのもクソムカつくのに俺が協力なんて……」
「何だよ、恋しちゃいけないって言うのか!」
「当たり前だ! ただでさえお前ヘタクソで足引っ張りなのに何ノンキに恋なんかしてるんだよ。恋なんかしてる暇があったら練習しろ!」
 「俺の足引っ張るな。このヘタクソ! ボゲ日向」と耳に痛い言葉が影山の口から飛んできた。
――そ、そこまで言わなくてもいいじゃんか!
 間違いとはいえ、好きな人がいると告白しただけでなんでここまで言われなくてはならないのか。
 まるでバレーボールのことしか考えるなとでも言うような影山の考えが納得できないし、影山に恋することを禁止させられる筋合いはない。
 確かに日向にとってバレーボールは何よりも大事だ。だが、それと恋する、恋しないは別問題だ。
 影山を好きな事まで否定されたような気分になって日向は傷付いた。
「大体、今日のあれは何なんだよ。ふざけてんのか! 恋なんかにうつつ抜かしてるからそんなことになるんだよ。明日また同じようなことしたら俺キレるからな。明日は真面目にやれよ!」
 影山の声が日向の耳から左から右へと通り抜けて行った。頭の中はガンガン鳴って痛い。
 はっきり断られたわけではないのに、影山に振られたような気分になって日向は泣きたくなった。
「なぁ、影山」
「あっ?」
「おれが恋したら影山は迷惑?」
「あぁ、そうだ。当然だろ」
「そっか……」
――当然って断定かよ。
 日向は心の内の不満を表すように口を尖らせた。
 心密かに想うことも影山には迷惑なのか。
 身体の横で手をぎゅっと握り締めた。
 やっぱり何も言わなければ良かった。
「ところで日向、好きな相手って誰なんだよ?」
「知らねー!」
「えっ? はぁっ!? 知らないってどういうこと……」
「頭っ悪い影山には教えないもんね」
 「いーだッ!」と大人げもなく舌を出し、日向は走り出した。
「何だよ、日向の奴……。好きな子って誰だ? クソがッ……」
 チッと舌打ちすると、影山は日向を追い掛けた。

「クソッ」
 日向はさすが逃げ足が早い。
 早く走っているのに日向との距離の差は縮まらない。
 影山はチッと舌打ちをした。
 自分の思う通りにならず、影山のイライラは募る。
 日向が恋をしているのが気に入らない。でも誰が好きなのかは気になる。
 それがどういうことなのかを影山は理解していた。
 嫉妬だ。
 バレーボールを理由にするのは建前で、本当は影山の好きな日向が別の誰かに恋をしているのが気に入らないのだ。
「絶対にはかせてやる」
 どういう行動を取るかは後で考えればいい。
 影山は走るスピードを上げた。

――死んでも影山には教えてやんない。影山のバカヤロー。影山なんて、おれの気持ち知らなくてもいいんだよ。
 心の中で影山への文句を言いながら日向は走っていた。
 頭に血がのぼったまま、勢いで今まで走っていたので、気付いた時には目的地である自転車置き場からは遠ざかっていた。
――あぁ、影山のせいで……。ムカつく!
 恋をするなと言うなら日向が誰を好きだろうが関係ないじゃないか。しかも、日向が恋している張本人に向かって言わせるのか。影山という男は無神経だ。告白しようと思いかけていたのだから、同じようなものなんじゃないかという別の心の声を日向は華麗に無視した。
 空腹を感じて「お腹すいたー」と呟いた。帰るまで我慢しなければいけないのだと思うと少し憂鬱だ。
「待て! 日向!」
 影山の怒鳴り声が聞こえて、肩を大きく動かして、日向は後ろを振り返った。
 日向のすぐ後で、世にも恐ろしい顔をした影山の姿が見えた。
「うわぁぁぁ!!」
――なんで追い掛けてくんだよ。こ、恐くなんかないぞ。
 そう思いながらも、本心では影山の顔にびっくりしているのか逃げ足が早くなる。
「日向、止まれ! 止まらないと明日からトス上げないからな」
「うッ……」
――トス上げてくれないと困る。
でも今止まったら影山に何されるか分からない。
 元々そういう顔なのかもしれないが、怒った影山の顔はいつも以上にきつく見え、今にも殺されそうだと日向は思った。
「トス上げないなんて卑怯だぞ!」
 日向は止まると、影山なんて恐くないぞ!と思いながら影山を睨み付けた。
 影山は顔をぎりぎりまで近付けると日向を見た。
「な、何だよ……」
 影山との距離が近すぎて胸が高まる。
「日向……」
 目の前にいる影山に聞かれるんじゃないかと思うぐらい心臓がうるさく鳴る。
 何か言いたそうに影山は日向を見ている。
「言いたいことあるなら早く言えよ! わけわかんない」
 異常に早くリズムを刻む心臓が苦しい。
 好きな相手がすぐ目の前にいるのに気持ちを伝えられないのがもどかしい。
 影山は口を開かない。
 周りには誰もおらず日向も影山も黙っているので静かだ。
 その空気に耐えられなくて、無意識の内に日向は息を止めていた。
 呼吸ができない息苦しさを堪えるようにぎゅっと目を閉じる。
――や、やばい……胸が苦しくて……死にそう。
 しばらくすると、チッと舌打ちする音が聞こえた。
「日向、いつまで目を閉じてるつもりだ? さっさと帰るぞ」
 ゆっくりと目を開けると、既に歩き出している影山の背中が見え、慌てて日向は影山を追いかけた。

 近頃影山には気になることがある。
 それは日向の好きな相手だ。
 先日、日向が恋をしていることを本人の口から聞き、今が大事な時に恋をするだなんてノンキだと怒った影山だ。
 その怒りの裏には影山の好きな日向が別の誰かに恋をしていることへの嫉妬があって、好きな相手が誰か聞き出そうとしたが、日向に嫌がられて、結局好きな相手を知ることはできなかった。
 日向の好きな相手が気になりすぎて大好きなバレーボールに集中できない。
 今も数ミリの狂いで、ジャンプする日向に向けて上げたトスに失敗して日向の顔にボールをぶつけてしまった。
 「ぎゃっ」という日向の悲鳴を聞いて、しまったと思った。
 何でこんなことにと、最近の自分にはあり得ない失敗に影山は頭をガシガシとかいた。
「悪い、日向! もう1回」
 そう言って転がっているボールを拾うと、トスを上げた。
 だが、トスを上げるたびに日向の顔にボールをぶつけて、日向の口から「うぎゃ」「ぎゃっ」「ぶへっ」などという悲鳴を上げさせた。
 しまいには涙目になった日向に抗議された。
「こらー、影山! 真面目にやれよ。何回おれの顔にボールぶつければ気が済むんだよ」
 影山が日向に言うのはともかく、日向に真面目にやれと言われてしまうのは屈辱的だ。
 思わず、日向の頭を叩いた。
「いてー。暴力反対!」
「うるせぇ! ボゲ日向の癖に偉そうに言うな。大体お前のせいで……」
「おれのせいって自分のミスをおれのせいにするなよ」
 日向にそう言われ、影山は日向に締め技を入れた。 
「いててて……」
「お前のせいなんだよ」
 イライラする。いつも通りのトスを上げられないこと、日向が影山以外の誰かに恋をしていること、日向の好きな相手が誰か、影山が知らないこと全部。
 揉めている日向と影山を見かねた菅原が止めに入ってきて、影山は日向を離した。
「ちょっと頭冷やしてくる。日向は菅原さんにトス上げてもらえよ」
 菅原や日向が何か言っているのにも耳を貸さず、影山は体育館から出て行った。

――何だよ、影山の奴……感じ悪いな。
 頬に痛みを感じて「いてて……」と呟きながら日向は頬を抑えた。
 初期の不完全な頃ならともかく、今影山がトスで日向の顔にボールをぶつけるのは珍しい。
 何かあったのかなと首を傾げる。
 何だかイライラしているように見え、自分が何かやらかしてしまったのかと思った。
 先日、日向が恋をしていることを告白した時に、こんな時にノンキに恋をして、と怒られたことを思い出し、まだそのことで怒ってるのかと思って複雑な気分になった。
 ただ単に恋をしていることを言っただけで怒られてしまうなんて、影山が好きだと言ったらもっと酷い反応が返ってきそうだ。
 前途多難な恋だと日向は溜息をついた。
――恋って楽しいはずなのに。
 恋の相手が同性だから難しいのか。
 確かにもしこのことがなかった場合、知っている誰かが同性を好きだと知ったら、変な目で見ていたかもしれない。影山がそうではないとは言い切れないのだ。
 今更ながら同性である影山を好きなことを、何の葛藤もなく普通に受け入れている自分がおかしい。
――だって影山が好きなのは事実だし。
 何がおかしいのか。影山を好きになってしまったのだから受け入れていくしかない。
 傍に立っていた菅原がボールかごからボールを取り出すと、床に何度も弾ませた。
 その音を耳にして物思いに浸っている場合ではないと日向は思った。影山への恋愛感情を部活に持ち込んで、部活に支障をきたしているようじゃいけない。今は部活に集中しよう。
 ボールが上がるのを視界に捕らえると日向は走りジャンプした。
 水道の蛇口を捻ると、影山は頭を下げ、そこに当てた。
 ひんやりとした水を大量に浴びると、ヒートアップしていた頭が冷やされるような気がする。
 どうも今日は日向の恋の相手が気になって部活に集中できない。
 昨日日向にあんなことを言っていた自分が、恋愛に振り回され、ミスを連発するなんて情けない。どんな顔をして日向に会えばいいのだろう。
 このまま、どっか行ってしまいたい。
 蛇口を止め、頭を上げると、軽く振って水分を飛ばした。
 ふぅっと息を付くと、体育館に戻ろうと歩き出した。
 その頃、日向は菅原に上げてもらったトスを打っていたのだが、影山の先程の態度が気になっていまいち練習に打ち込めないでいた。
先程の影山は日向目線で見ると、何かに気をとられているように見えた。そんなものでミスを連発するなんて影山らしくないと思った。普段の影山をよく知っているから余計にそう思う。
――おれには恋愛するなんてノンキだとか何だとか言って怒ったくせに。影山も似たようなもんじゃないか。
 疑問に思った。 
 影山は何に気をとられていたんだろう。
 影山が何かに気をとられるなんて尋常じゃない。
 あの影山をそうさせる何かとは何だ。
「あっ……」
 もしかして、影山も日向と同じように恋をしているんじゃないか。
「まさか」
――おれにあんなこと言っておいてそれはないよな。でもあの影山だからな。
 日向から見ると影山は、自分がやって良くても他人には駄目だと平気で言えるような人間だ。だから恋をしている日向を怒って自分は恋をしているとも考えられる。
 影山のことでああでもないこうでもないと考えていると、菅原の声が聞こえた。
「日向、何に気をとられてるのか知らないけど、集中しような」
 にこにこと笑いながら言うが、言うことはちょっと厳しい。
「菅原さん……」
 今こんなこと考えている場合じゃないと日向は首を振った。集中しよう。
 そう思って気合いを入れて菅原のトスに挑んだが、いまいち結果は良くなかった。
 菅原は困惑した表情で言った。
「今日はあんまり調子が良くないみたいだね」
「すみません」
 うまくできなかった自分に罪悪感を抱いた。せっかくトスを上げてくれたのにその期待に応えられず、申し訳ないなと思った。菅原も日向を呆れているような気がした。
「ほら日向そんな顔しない」
 菅原はがしがしと乱暴に日向の頭を撫でた。
「俺がいじめてるように思われるだろう」
 髪型がおかしくなったのを気にして日向は片手で直す。
「練習中なんだから少しぐらいのミスなら別に気にしなくていい。ただ、今の日向の場合、ちょっと多すぎるかもしれないな。影山もそうだけど……」
 菅原に言われて日向は落ち込んだ。
「だからそんな顔するなって……」
 しばらくの間、菅原は日向を観察をしていた。
 何を思ったのかポンと手を叩くと、日向の頭を優しく撫でた。
 一瞬何が起こったのか分からず、ぽかーんとしていたが、すぐに我に返った。
「菅原さん……」
――一体何?
 日向は困惑していた。
「日向って俺が飼ってる犬に似てるんだよ。ほら、こう落ち込んでる日向なんか、俺に叱られてしょぼんとしてる犬みたいだ」
 そう言いながらも、日向の頭を撫でるのを止めない。
 にこにこと天使のように笑っているものだから、日向は抵抗できない。
 せめてもの抵抗に、「す、菅原さん!」と呼んでみせる。
「なに? はは、可愛いな、日向」
――菅原さんって悪い人じゃないんだけど、残念系だ。
 日向が困っているのが全く通じていない。
――だ、誰か、助けて!! お、俺は菅原さんのペットじゃない! せ、セクハラだ!
「髪、やわらかいな。本当犬みたい」
――だから、おれは犬じゃありません! 影山、早く帰ってきて!
 
 影山が体育館に戻ってきた時に視界に入ったのは菅原に頭を撫でられている日向の姿だった。
 距離があるので詳細は分からないが、日向はまんざらでもなさそうに見える。
――練習サボって何やってんだ?
 自分のことは棚上げにして影山はそう思った。
 普段影山に対しては時折怯えたような態度を取る日向だが、菅原には懐いているらしい。
 同じセッターでありながら、影山にはなくて菅原にあるものがある。それは経験と優しさだ。特に優しさは影山に欠けているものだ。もっと影山が優しければ、普段から日向との関係は良好で、まるで親友のような関係になれたかもしれない。だが、影山が日向との間に求めているものは親友ではない。
 まさか男である日向を菅原が好きになるとは思わないが、日向が自分じゃなく、菅原にばかり懐いているのは気に食わない。
 不機嫌な表情を隠しもせず、影山は早足で二人に近付いていく。
「菅原さん、ただいま戻りました」
「影山、もういいのか?」
「大丈夫です。水で頭冷やしてきたんでもうヘマはしませんよ。だから菅原さんは俺達のこと気にしないでトスの練習でもしててください。田中さん達があそこで暇そうにしてるんで菅原さん、トス上げてあげたらどうですか?」
 影山は菅原に口を挟む隙を与えず、早口で言う。
「そうだな。そうするよ。日向、影山がお前とやりたいみたいだから、俺はあっちで田中にトス上げてくるよ。また俺のトス練に付き合ってくれよ」
 菅原は日向の耳に顔を近付けると何か言った。
「******」
 だが、小さな声なので影山の耳には聞こえない。
「日向、ぼーっとしてんじゃねーよ。さっさと動け」
「わ、分かってるよ。後から来た癖に偉そうにすんな!」
 影山はかごからボールを取り出すと床にバウンドさせた。
――クソッ……日向の奴、菅原さんに何を言われたんだ? 後で日向に聞こう。

 部活が終わった後、皆で並んで歩いていた。影山は後ろの方で自転車を引いている日向と並んで歩いていたが、ちょうどいい機会だと思い、気になっていたことについて話を振った。
「日向、さっき菅原さんに何言われてたんだ?」
――それも気になるけど、それより前のあのやり取りは何だ?
 影山の頭に菅原に頭を撫でられてまんざらでもなさそうな反応をしている日向の姿が浮かんだ。
 日向は一瞬何を言ってるのか分からないとでも言うような反応をしていたが、次に真っ赤な顔をして言った。
「な、何でもない! 影山には関係ないだろ。それよりも今日のあれは何だよ。何度も顔にボールぶつけやがって。痛かったんだからな。まぁ、それはいいけど、影山がミスするなんて影山らしくない。おれには昨日怒っておいて影山だって人のこと言えないだろ」
 はぐらかされてしまった。言われなければ余計に気になってしまう。
「関係ないってなんだ。日向の癖に!」
 好きな相手のことといい、日向はなんで内緒にするんだ。
 思わず日向の胸倉を掴むと「うわぁぁぁ!!」と日向が悲鳴を上げた。
 すると、「お前ら何やってんだ!」と澤村の怒声が前方から聞こえてきた。
「チッ……」
 仕方なく、影山は日向から手を離した。影山の腕から解放されて日向はホッとした様子だった。
 それを目にして、先程菅原に頭を撫でられた時の日向の反応を思い出した。心から信頼しきっているかのようだった。
 自分に対して日向はどうだろうか。影山がトスを上げた時は信頼して動いてくれるが、普段は今のように怯えた態度をとることが多い。と思えば、強気なこともある。菅原に頭を撫でられてもそれに委ねるような甘い信頼関係はない。きっと影山が菅原のように日向の頭を撫でれば、怯えて見せるか、気持ち悪がられるかのどちらかだろう。そう考えると腹の底から目には見えない何かが浮かんでくるような気がした。
「影山、なんで今日、調子悪かったの?」
 日向に話を振られて、日向の恋の相手が気になっていたことを思い出した。
――そもそも、バレーボール一筋のこの俺がバレーボール以外のことでグダグダ悩まされるのは気に食わない。全部お前のせいだ。
 そう考えると、日向に対する怒りがわきあがってくる。
ここで怒りに任せて日向に何かすると、ただでさえ怪しい日向との関係性が微妙なものになるかもしれないので影山は堪えた。
「お前には関係ないだろ」
 代わりに日向を突き放すような言葉を投げた。そう言うと、日向は少し傷付いたような表情を見せた。
――お前だって、俺に言わなかっただろ。
 ここで「おれは影山を心配しているのに!」のような反応が返ってくることを期待したが、実際は、
「そ、そうだよな。おれには関係ないよな。ごめん、影山、余計なこと言って!」
という反応が返ってきて、がっかりした。
――何だよ、それ。
「そうだ。お前には関係ない」
 つい意地になってそのようなことを言う。
「だから余計なこと訊くな。俺達は別に友達でもなんでもないんだからな」
 自分で言っておいてずきっと胸が痛んだ。
 日向との関係は友達じゃない。だが、日向との間に何らかの繋がりはある。
「おい、日向!」
 影山はぎょっとした。
 日向は痛みを堪えるような表情で唇を噛みしめ、目には涙が浮かんでいる。
「男の癖に何泣いてんだよ! 泣くな!」
 影山と違って日向は感情に素直だ。悔しかったり、悲しかったりした時は人前だろうが平気で涙を見せる。人前で涙を見せるのは男らしくないと感じるので、日向のそういったところが影山は好かない。
「別におれ泣いてるわけじゃないし」
 ぐすんと鼻すすっておいて何言ってんだよ、と影山は心の中で思った。
「おれさ……影山のこと、最初は嫌な奴だと思ってたけど、こうやって一緒にバレーやってるうちに……だから何でもないって言われると……」
 日向の話を聞いて、影山が言ったことで日向を傷付けたのだと分かった。「あっ」と影山の口から無意味な言葉が出る。このような経験を今までの人生で味わったことがなかったから、こういった時どうしたらいいのか分からない。
日向を傷付けたのは自分なのに、胸が痛い。
 日向の顔をまともに見れなかった。
 日向について出会った頃からあまり良い印象はなかった。だが、烏野高校のバレーボール部で日向と過ごしている内に気付いたら好きになっていた。
 好きなのに、なんでその愛情を真っ直ぐに向けられないんだろう。現実では、どこか歪んだ方向に愛情を向けてしまう。
「影山はおれとは何でもないって思うのかもしれないけど……」
 影山は日向を見た。日向は涙を拭うときっと影山を睨み付けた。一体何が起こるんだろうと影山は構えた。
「おれにとって、影山は最高の相棒だ!!」
 その小さな身体からどうやって出してるんだと思うぐらいのボリュームで怒鳴るように言われた。日向の大声に、何だ何だと周りからの関心が向く。
「あっ、あっ……」
 周りから注目されて今度はオドオドとしている。そんな日向にぽかーんとしていた影山ははっと我に返って日向の背中を叩いた。
「ボゲ日向! それは俺の台詞だ。俺の台詞とってんじゃねぇーよ」
 日向に最高の相棒だと言われて嬉しかった。だが、その思いをストレートに伝えるのはできなくて、このような反応で思いを伝えるのが精一杯。
「叩くなよ。言ったもん勝ちだろ!!」
 「やっぱ影山ってやな奴! いーだー!!」と日向は舌を出した。そんな日向に対して影山は大人げなく日向の頭を叩くのだった。


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