その頃、翔陽は電車に揺られていた。
ここのところ、同じ男子バレーボール部のチームメートである影山飛雄との間でいざこざがあり、そのことで頭がいっぱいだった。
いつ頃のことだったか――恐らく二週間前のことだ。飛雄に話があるからと言われ、わざわざ翔陽の家の前までついて来られ、一体何の話だと思ったら、告白をされ、初めてのキスまで奪われてしまった。
同性なのだからという以前に翔陽は恋愛に疎い。男でも女でも同じように接する。他人からすると、自分は天然のタラシらしいが、翔陽には全く理解できなかった。なので、今まで全く飛雄のことを恋愛の意味で意識したことがなく、突然の飛雄の行動にはびっくりした。
その日の夜は、明日飛雄に会ったらどんな顔をすればいいのか分からないと、翔陽は悩んだ。
あれは夢だったんじゃないかと思って安心しようと思ったが、そんな翔陽の気持ちを読むように、次の日の部活中に飛雄から「夢じゃないからな。好きだ」と耳打ちされてしまった。
その日から飛雄の地味な恋愛アピールが始まった。
ふと気付いた時、飛雄の熱い視線が近くにあり、飛雄からじっと見られている。飛雄に見つめられると、妙に胸が騒いだ。
鈍い翔陽が、飛雄から告白を受けた後では、どんな些細な変化でも気付いてしまう。
飛雄の自分への思いは本気なのだ。
唇が覚えている飛雄の唇の感触は生々しくて、忘れようたって忘れられない。
飛雄は一体自分のどこが好きなんだろうとか、いつから好きになったんだろうとか、いくつもの疑問が頭に浮かび上がる。
二人が通っている高校は、共学で女子に縁がないわけではなく、わざわざ男子の翔陽が飛雄に選ばれた理由がよく分からない。
翔陽に女らしい要素があるわけでもなく、平均より少し劣った身長以外は至って普通の男子高校生だ。
なぜ自分が飛雄から選ばれたのかが分からなくて翔陽は悩んだ。
飛雄の恋愛感情を気持ち悪いと切って捨てられたら楽なのに、できなかった。
受け入れることも拒絶することもできずに、気付いたら四六時中飛雄のことを考えている自分に気付き、動揺した。
翔陽は何も返答していないのに、飛雄は告白の返答を催促して来ない。
自分達の関係は、友達と恋人の境界線にあり、平行線のままだ。
そんなところに、偶然互いにバレーボールシューズが駄目になり、そこに休みが重なり、飛雄の誘いで一緒に買い物に出掛けることになった。
断ってしまえば良かったのに、この日を逃せば買いに行く時間が取れないと思うと結局断れなかった。
ふと窓を見れば、滅多に見られない都会の風景が見られた。
ぼーっと物思いに浸っている間に、駅の到着を知らせる放送が流れ、翔陽は電車から降りた。
携帯電話を見ると、待ち合わせ時間を少し過ぎていることに気付いた。
「やっべぇ! 影山怒るぞ!」と呟き、慌てて走った。
駅をすぐ出たところの大広場に飛雄はいた。
平均よりも少し高い身長のせいで大勢の中に居ても目立って見える。
「影山、ごめん!」
乱れた呼吸を整え、飛雄を見ると、
飛雄に「遅い!」と強く言われ、翔陽は「うわっ」と声を上げた。
「何ビビってんだよ」
「こんなところで大声出すなよ! びっくりするだろ!」
周囲に視線を走らせると、何事かと二人に視線を寄せていた人々は、すぐに視線をずらした。
人に見られていたことに気付き、翔陽は頬を赤く染めた。
「お前、ただでさぇ、でかくて目立つのに……」
こいつと一緒に歩くのやだな――翔陽は思った。背の高い飛雄と並んでいると自分がチビに見え、翔陽が抱えているコンプレックスを刺激される。
思わず、飛雄との距離を少しあけたのに、飛雄に距離を埋められる。
飛雄がぼそっと呟いた。
「日向と部活以外で二人きりで会うのって初めてだな」
「そうだな」
「来てくれないかと思ったけど……良かった」
「まさか……影山とちゃんと約束したのにドタキャンするわけないだろ」
今思えばドタキャンという選択もあったのかもしれないが、翔陽にはその発想が思い付かなかった。
「だって俺は日向に……」
自信がなさそうに小声で話す飛雄に翔陽は少し苛立った。
「あぁ、もう! 影山らしくない!」
思わず大声を出してしまい、周囲の人からの視線が飛び、はっと我に返った。
飛雄はきょとんとして翔陽を見ている。
「あっ、いやその……別におれは影山のことなんか全然気にしてないからそんなに意識しなくても大丈夫だって!」
ここに翔陽をよく知る者がいれば、お前って酷い奴だなと言いそうだ。実際に翔陽の見えないところで飛雄の心がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。それにも関わらず、翔陽は明るく笑っていた。その笑顔が飛雄にとどめを刺さなかっただけまだましだ。
落ち掛けた心を寸前のところでとどめ、飛雄は呟いた。
「お前は凄い奴だよ」
「へっ、何が?」
目的のスポーツ店の前に着くと、翔陽は「あっ!」と声を上げ、ディスプレイに飛び付いた。
「影山、影山! これって……」
「あぁ……」
「この前の世界選手権の予選で○○選手がはいていた靴だよな!」
「世界選手権の予選といえば……」
一人語り出した飛雄の話を翔陽は聞いていなかった。
翔陽の関心は目の前の靴に向けられている。
「欲しいなぁ……値段は……高っ」
お年玉があれば買えないこともないが、今年もらったお年玉はもう使い果たしたし、次にもらえるのはまだ先だ。
先日テレビで放送された男子バレーの世界選手権予選の試合結果について語っているのに、隣に居る翔陽には全く話を聞いてもらえず、飛雄は不満だ。目の前にある靴にも関心が薄れ、翔陽を中に入るように促した。
「日向、この靴買いに来たんじゃないだろ」
「あっ、そうだった」
「どれにしようかな」
あぁでもない、こうでもないとバレーシューズ売り場の前で翔陽は悩んでいた。
種類が多すぎてどれを選べばいいのか分からない。どれもいい靴のように見え、全部欲しくなる。
そんな翔陽を見た飛雄はさらっと言った。
「今まで使ってた靴にすればいいだろ」
「えぇーーっ!」
「何だよ?」
「だって、せっかく買い替えるんだから今度は別の靴にしたいじゃん」
「どれも似たり寄ったりだろ。肝心なのはその靴を使いこなす人間の中身だ」
「それってどういうこと?」
「つまりもっと練習して強くなれ!ってことだよ」
迷うことなく、飛雄は××メーカーの靴箱を手に取った。偶然見えたサイズ表示が自分のサイズよりも大きく、翔陽は少し落ち込んだ。
結局何もなかったな――翔陽は思った。
翔陽達は高校生の財布に優しい価格設定に釣られ、全国でチェーン展開しているファミリーレストランに入った。
今は注文した料理が出てくるのを待っているところだった。
ちょうどランチの時間帯で、店内は翔陽達と同じようにランチを食べに来ている客でいっぱいだ。その日が休日のせいか、学生やファミリーが多く、騒がしい。
翔陽の目の前では涼しげな表情で飛雄が水を飲んでいる。何だか周りから視線を感じるのは気のせいではないだろう。飛雄はこういう姿が実に絵になる。
ーー認めたくないけど、影山って男のおれから見てもカッコいいな。
最初の出会いが最悪で無ければ、バレーが強いプレイヤーだと認め、憧れていただろう。
先日は飛雄と一緒に出掛けるということで彼が何か行動を起こしてくるのかと無駄に悩んだが、その悩んだ時間が馬鹿らしくなるぐらい今日の飛雄はいつもと同じだった。思えば、今日だけじゃなく、同性の告白とキスを同時に体験したあの日以来、飛雄との間に何もなかった。このまま、時間だけが過ぎていくのかと思うと……。
思うと、何?――まるで影山との間に何かが起こるのを期待しているようで翔陽は違和感を抱いた。
何もしゃべらずにいるのは辛いと翔陽は口を開いた。
「あのさ……」
言いながら、何を話そうかと考える。
飛雄は目線だけで翔陽に先を促した。
緊張している時に限って無難な話題が出てこず、疑問が頭の中に浮かび上がる。
思うままに口を開いた。
「影山って本当におれのこと好きなの?」
飛雄はぶっと水を吹き出した。
「影山、汚ねぇ!」
飛沫が服に付着し、翔陽は慌ててお手拭で拭った。
「いきなり何言い出すんだ!」
「何怒ってんだよ!」
「お前が突然変なことを言うからだ」
「変なことって……おかしいのはお前だろ! おれのことが好きだとか言って突然キスするし」
「それは……」
飛雄は口ごもった。
堂々と告白しておいて、うやむやにするつもりなのかと翔陽は思った。
周りを気にしながら飛雄は言った。
「こんな場所で言えることじゃないだろう。日向、空気読めよ」
「読まない! 影山はおれのことが好きじゃないの?」
思いの他、大声だったのか、翔陽は他の客の視線を一斉に浴びた。
「あっ……」
よく考えれば、こんなに人が多く集まる場所で話せる話題ではない。
「ごめん」
「だから言ったんだよ。俺はどんなところでも告白出来るほど空気の読めない男じゃない」
「そ、そうだよな……おれってバカだ」
「俺の気持ちが聞きたいんだったらいくらでも話してやる。ただし、ここでは駄目だ」
「別に影山の気持ちなんてどうでもいいし……」
飛雄はふっと笑った。
「そうか」
「そうだよ! 何ニヤニヤしてんだよ。気持ち悪い」
どこからかクスクスと笑い声が聞こえ、翔陽は赤面した。
「あの子、可愛い。中学生かな?」
今の会話のどこに笑いの要素があったのか理解できない。
それに自分のことを可愛い、中学生と言われたのが聞き捨てならない。
「小学生にも見えない?」
「小さくて可愛い」
それを聞いていた飛雄はぷっと笑った。
「小学生だって……」
「影山、笑うなよ」
そうこうしているうちに店員が二人の料理を持ってやってきた。
「兄弟なんですか?」
「違います!」
「え? 違うんですか? 身長が離れているからてっきり兄弟かと……」
「部活仲間です。バレーボール部の」
「そうなんですか。これは失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
料理を目に前にしてすっかり翔陽は不機嫌になっていた。
「影山がデカすぎるから。兄弟とかチビだとか言われるんだよ。兄弟じゃねぇし、それにチビじゃねぇし」
「誰も小さいなんて言ってねぇよ」
「言ったようなもんだろ。小さくて可愛いなんて言われてもちっとも嬉しくない」
「女の褒め言葉だと思って受け取っておけよ。女は何でも可愛いを連発するんだよ。いいじゃねぇか、可愛いで。恐いと言われて避けられるよりかはマシだ」
「影山、恐いと言われて避けれたことあるんだ」
ニヤニヤと笑いながら翔陽は言う。
「ねぇよ!」
「またまた強がっちゃって。影山君は」
「お前、ムカつく。後で殴るから覚えてろ!」
「やだよ」
「思ったよりも早く終わったな。まだ時間あるけどこれからどうする?」
「んっ……」
飛雄の問いに翔陽は生返事で返した。
「どうしようかな……」
どうすると訊かれても困る。バレーボールシューズを買う予定しか立てていなかった。その用事が終わった今、特にすることはない。
普通の高校生ならカラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったりして適当に遊ぶんだろうけど、相手が飛雄だとどうやって時間を潰したらいいのか分からない。だからと言って、用事が終わったからここでさぁ、さよならは味気ない気もする。
翔陽は悩んだ末に口を開いた。
「影山はどうする?」
「そうだな……」
飛雄もその後のことは特に考えていないようだ。
その時ふと思い付いた案があって翔陽はそれを口にした。
「影山、おれの家、来る?」
「あ?」
「嫌? おれの家、妹もいてうるさいけど、影山が良かったら……」
「行く!」
「じゃあ、今から行こうか。何もないけど、お茶ぐらいなら出してやるよ」
そんなこんなで翔陽は飛雄を家に連れて来ることになった。
だが、その後、色々あり、飛雄の告白の件はうやむやのままになってしまったのだが、その時の二人には知る由もない。
そもそも、飛雄を誘った時点で飛雄の告白のことを翔陽は忘れていた。ただ時間を潰せる場所として自宅を選んだに過ぎない。
そうとも知らず、飛雄は一人、翔陽の家の中に入れることをワクワクしていた。