ナルトの病室に遅くまで滞在した後、サスケは火影室に向かっていた。
サスケが火影室の扉を数回ノックすると、「入れ」と綱手の声が聞こえた。
サスケは中に入ると、前置きもなく、次の任務のキャンセルを願い出た。
綱手に理由を問われ、ナルトの傍にいたいのだと答えた。
「何の理由かと思えばそんな理由かい。任務を私情でキャンセルするのは許されないのはお前も知ってるね」
「あぁ。断られることは分かった上で来た。分かっている、オレに任務を断る権利はないことは」
「自分の身分をよく分かってるじゃないか。そうだ、お前に任務を断る権利はない」
未だに木ノ葉はサスケの過去の過ちを許していない。死罪、監禁こそないが、死ぬまで忍として里のために働かなければならない。つまり、火影から任務の話をされれば、断る権利はない。どの任務を受けるか選ぶこともできない。当然ながら、一度受けた任務をキャンセルすることもできない。
「闇に落ちかけていたオレを救ってくれたのはナルトだった。あいつがいるから今オレはここにいるんだ。だからナルトの傍にいて支えてやりたい」
「ナルトのためにお前は一体何ができるんだい? あいつの問題はあいつ自身が解決するしかないよ。お前があいつの痛みを肩代わりできるわけじゃあるまいし」
「肩代わりできるならオレが代わってやりたい。あいつは火影にならなきゃいけない人間なんだ。オレよりも里に必要だ」
「サスケはナルトに火影になって欲しいのかい?」
「あぁ。火影はあいつの長年の夢だった」
綱手も知っているはずだ。
「残念だけど、今のままではナルトを火影にできないよ。あいつには火影になるために必要な何かが欠けている」
「何でだ?」
思わず怒鳴ったサスケに、誰かのために熱くなるなんて変わったなと、ふっと綱手は笑った。
「お前のことじゃないのに何でそんなに熱くなるんだ? ナルトが火影にならなかったら、お前が火影になれるかもしれないよ」
「オレは火影にはならないし、火影に向いていない。オレはナルトと違って、この里に特別な思い入れがあるわけじゃねぇからな。そんなオレがこの里を火影として守れるとは思えない。それに過ちを犯したオレが火影なんてこの里の人間は受け入れないだろう」
「里に思い入れがあるかどうかなんてどうでもいいんだ。里の人間に好かれる必要もない。火影が死なずに、この里を生かし続けることができればそれでいい」
「だが、オレよりもナルトのほうが火影に向いている」
「本当にそう思っているのか?」
綱手にそう訊かれるとサスケは黙り込んだ。
「何が言いたい?」
「私よりもお前の方がナルトと一緒にいることが多いのだから気付いているだろう。ナルトの問題に」
「……」
「とにかく、私はナルトが火影になるのは認めないよ。忍としてあいつは優秀だと思う。それは私も認める。だが、この里のリーダーとなると話は別だ。ナルトに火影としてこの里を任せられない。あいつには何かが決定的に欠けている」
「……」
「話が脱線したな。さっきの話に戻るが、任務を断ることは認めない。お前の個人的な理由ならな」
「じゃあ……」
「私やサクラは忙しくてずっとナルトの傍にいるわけにはいかない。だから代わりにお前がついてやれ。火影命令だ」
「御意」
綱手は他にも、ナルトが病室から抜け出さないように見張ること、ナルトの様子を毎日報告することをサスケに了承させた。
翌日いつものようにナルトの病室を訪れた。
ナルトに会った時、真っ先に顔色を見て、体調を判断し、今日は安定しているなと安心した。サクラのように医療知識のないサスケでも、ナルトの顔色を見れば体調の良し悪しは、大体想像が付く。
「元気そうだな」
「オレはいつだって元気だってばよ!」
「バカは死なないからな」
「何だって! お前、一言余計だってばよ!」
こうやってムキになるのは体調が安定している証拠だ。
「本当サスケってば、可愛くねぇの。もう少し可愛げを身に付けたらどうなんだ」
「男に可愛さなんて必要ねぇ」
「そういうこと言ってるんじゃねぇってばよ。性格の可愛さのことを言ってるんだって。こういうの何て言うんだっけ……う〜ん……」
「やっぱり、ウスラトンカチだな」
言葉を知らないナルトをバカにしてサスケはふっと笑った。
「そういうところが一言余計なんだってばよ!」
いい案を思い付いたとでも言うようにぽんと手を叩くとナルトは言った。
「えぇっと、ツンデレ?」
「誰がツンデレだよ」
ムッとしてサスケは言う。前にサクラに同じことを言われたのを思い出して、またかと思った。
――こいつ意味分かってんのか。
「お前だよ、お前! 自覚ねぇの?」
「お前、ツンデレの意味、分かって言ってんのか?」
「だって、サクラちゃん、サスケのこと、ツンデレだって言ってたし」
――サクラの奴、一体ナルトにオレのこと何て言ってるんだ。
「ふん、やっぱり意味分かってねぇんじゃねぇか」
「分かってるってばよ! えっと……サスケみたいにスカしてる奴のことだろ?」
「……」
「やっぱりそうだろ! オレってば、天才!!」
「全然あってねぇじゃねぇか! ツンデレってのはなぁ……」
サスケはナルトにツンデレの意味について分かりやすく話した。言いながらこんなこと説明してどうするんだと虚しくなってきた。
「要するにツンツンしていてデレデレしている奴のこと言うんだな」
「まぁ、そういうことだ」
――オレ達は一体何の話してたんだ?
「はぁ……お前と話してると疲れる」
ふぅっと息をついた。
「サスケの話聞いてると、サスケがツンデレじゃねぇような気がしてきた。全然優しくねぇし」
「そもそも、オレはツンデレじゃねぇよ! お前が勝手に言ったんだろうが。それよりも優しくないとは聞き捨てならねぇな。オレはちゃんと優しいだろうが!」
「優しい? どこが。意地悪の間違いだろ! 嫌みったらしいし。どんだけ性格歪んでんだよ」
「ナルトはどんだけオレが優しい人間か分かってねぇんだな。目腐ってんじゃねぇか」
「腐ってねぇよ! っつうか、自分で優しいって言うな!」
「だから、オレは優しいんだよ! こうやって毎日ここに通ってやってるだろうが」
「別に頼んでねぇよ! そんなにサスケが優しい人間だって言うんなら、証明しろってばよ。サスケちゃんは優しいんだろ?」
「じゃあ、これからはバカなナルトにもよーく分かるように優しくしてやるからな」
「バカは余計だってばよ。本当、サスケって意地悪!」
ナルトは先程散々喋って騒ぎ飽きたのか黙っている。サスケは無口な人間で頻繁に話をするわけではない。ナルトが喋らないからサスケも何も話さない。
室内が沈黙で満たされているから居心地が悪いかというとそういったこともなく、逆にそんな空間が居心地いいと思う。
書物に落としていた視線を上げ、ナルトを見た。まるで早く外に出たいとでも主張するように外を眺めていた。
その寂しげな横顔は、先程騒いでいたナルトとは180度違い、サスケの中で何かが反応した。
サスケを含め、周りの人間の前では懸命に何でもないように見せるが、内心では今の状況に堪えているのかもしれない。
表では懸命に明るく振る舞っているのに、時折ふと寂しげな表情を見せることがあり、ナルトのそんな健気な部分に保護欲をそそられ、一生傍にいて守ってやりたい、なんて思う。そんなことライバルであり同じ男であるサスケに言われたらナルトは反発するだろうから口には出さない。
今の状況はナルトには不幸だとしか思えないのだが、サスケにとってはナルトを落とすチャンスだ。誰に何て言われようが、二度と訪れるかも分からない今のチャンスを手放すつもりはない。先日ナルトに宣言したように絶対にナルトを落としてやる!という覚悟でサスケは今ここにいる。
ふと先日の綱手とのやり取りを思い出した。
綱手はナルトが火影には向いていないと断言した。
あれはどういうことなのだろう。
彼女は本気でナルトが火影に向いていないと思い、ナルト以外の誰かを火影に推薦しようと思っているのか。
サスケはそうだとは思えない。
綱手だって、ナルトが長年火影の夢を追い続けているのは知っているはずだ。
サスケと方向性は違うが、綱手もナルトのことを深く想っている。その綱手がなぜサスケにあんなことを言ったのか分からない。
綱手が何の意味もなく、サスケにあんなことを言ったとは思えない。何か意図があるのだろう。
「ナルト」
ナルトはサスケを見た。
「お前、まだ火影目指してんのか?」
「当たり前だってばよ!」
「絶対になりたいか?」
「絶対になる!」
「もしなれなかったら? 世の中には一生懸命頑張っても手に入れられないこともある」
時には諦めることも大事だと思うのだ。ナルトもあと少しで30になる。もういい大人だ。いつまでも夢見る子供のままではいられない。ナルトは大人になっても心が子供のままだ。
「サスケ、何でそんなこと言うんだってばよ」
もし火影が一生懸命頑張っても得られないと分かった時、ナルトはどうなるんだろう。いつか努力が報われると信じる彼はその苦痛に耐えられるのか、サスケは想像も付かない。
「仮定の話をしているだけだ。お前ももういい大人なんだから、夢を追うだけじゃなくて夢が破れた時の事も考えろ」
「やっぱりサスケはやな奴だってば……全然優しくない」
震えるような声でナルトは言った。
今にも泣き出しそうだとサスケは思ったが、ナルトは泣かなかった。
ナルトの燃えるような視線がサスケを射る。
「火影になれないって言うのか! サスケだって知ってるだろ。オレが今までずっと火影を目指して頑張ってきたこと」
「知ってる」
ナルトが火影になれるといいなと応援する気持ちと同時に、火影を目指して日々がむしゃらに頑張るナルトを痛々しく思い、いっそのこと火影の夢が破れればいいのにと思う気持ちがあるのも事実だ
「だったら何でオレが火影になれないみたいなこと言うんだ? いくらサスケでも言って良いことと悪いことがある
」
「前から聞きたいと思ってたんだが、お前はなんでそんなに火影にこだわるんだ?」
「そりゃさ……火影ってのはみんなの憧れじゃん。サスケだってなりたいだろ?」
「なっ、そうだろ!」とキラキラした目でナルトは言う。
「別に。火影が凄いのは分かるが、オレは今まで一度も火影になりたいと思ったことはない」
「えーっ! 何でだよ!」
口を大きく膨らませたナルトにサスケはお前は子供か!と心の中で思う。
「特に理由はない」
「まぁ、無理になれとは言わないってばよ。ライバルは一人でも少ない方がいいし……」
そう言いながらも、まだ納得できないとでも言うようにナルトはサスケを見る。
「むしろ、オレはなんでお前がそこまで火影にこだわるのか分からない」
「じゃあ聞くけど、サスケは何のために忍をやってるんだってばよ?」
思ってもいない質問をされてサスケは言葉に詰まった。ナルトみたいに何か目指すものがあって忍をしているわけではない。この里に愛着があり守りたい、そんな理由でもない。
「別に考え込むことでもないだろ。理由がないとか言うのはなしだからな」
「強いて言うなら兄さんに憧れていたからかな。それにオレの周りの人間は忍ばっかりだったから忍しか選択がなかったんだ。ナルトみたいに大きな目的があったわけじゃない。だからといってオレが間違っているか?」
「別にそうじゃねぇけど……」
言っていることと表情が違う。サスケは間違ってないと言いながらも、表情でそれを否定している。
サスケは心の中で思った。火影になる目的があるから何だ。だからナルトは忍として尊いのか。ナルトのように大きな目的がないサスケはナルトよりも格下なのか。
ナルトのことを好きでも、忍に関する考えは相容れない。
「忍になりたいと思って忍になるんじゃない。忍に選ばれた人間が忍なんだ」
「そんなの納得できねぇ! オレは忍になりたいと思ったから今、忍なんだ」
「納得できなくてもいいが、それが真理だ。なりたいだけでみんな忍になれるわけじゃない」
「サスケとは考えが合わないってばよ」
「オレもそう思う」
昔からナルトと考えが一致したことがなかった。それが原因なのか揉めることもよくある。男同士だから口だけでは終わらず、時には身体でぶつかりあったりもする。相性はきっと最悪だろう。
サスケの里抜けがあって、ナルトとは道が完全に別れるのかと思ったが、結局今こうして二人一緒にいる。
ナルトとは合わないことのほうが多いのに惹かれるのはなぜだろう。サスケが持っていない何かをナルトは持っているから惹かれるのか。
「サスケの考えだと、火影に選ばれた人間が火影だと言うんだな? 火影に選ばれない人間が努力しても無駄だってことか?」
「そういうことだな。だから無駄足掻きはやめろ」
綱手の口から直接、ナルトが火影に向いていないと聞いた今では、火影になるためにがむしゃらに頑張るナルトがますます痛々しく見え、イライラする。
「無駄足掻きじゃねぇ! たとえ、火影になれない確率が99%でも、1%でもなれる見込みがあるなら誰になんと言われてもオレは諦めねぇってばよ」
「馬鹿馬鹿しい。何でそこまで火影にこだわるんだ。オレには理解できないな」
「別にサスケに理解してもらわなくてもいい。オレは絶対に火影になるんだ」
サスケは何か言おうとしたが、ナルトの瞳の中、強い意志を示すように静かに熱く燃える青い炎を目にし、何も言えなかった。
諦めないところはナルトの長所だとサスケは認めている。ナルトが諦めなかったから救われた人が何人いるか。サスケもその一人だ。今サスケがここにいるのは、何度拒絶されてもサスケを里に取り戻すのをナルトが諦めなかったからだ。
だが長所は時に短所となることもある。ナルトの諦めない部分が短所となってナルトの足を引っ張らないことをサスケは願った。
夜になって一人になるとその日サスケに言われたことを思い出してナルトは心を揺らした。
サスケは選ばれた人間が火影になるのだと言った。
サスケが言うことはもしかしたら正しいのかもしれない。だが、なりたいからなるのだと信じたかった。
ナルトはこれまで里のいくつもの危機を救ってきた。それだけの功績があるなら今頃火影になっていてもおかしくない。ナルトの父であるミナトも若くして火影になったが、未だにナルトは上忍のままで、火影または火影候補に選ばれる気配もなく、忍として働かされる。
火影になりたいと願っていればいつかなれるのだという考えにしがみついていないと、いつか心が折れて動けなくなってしまいそうだ。
現に今のナルトは身も心もボロボロだ。いつ折れるか分からない不安定な場所に立っている。
今の不安定な身体の状態は、その表れかもしれない。
サスケはナルトにもし火影になれなかったらどうするんだと聞いたが、それはナルトのほうが訊きたかった。
今まで火影になれると信じて懸命に頑張ってきたから、なれなかった時にどうなるのか分からない。サスケが過去にそうだったように、闇に転落してしまうのだろうか。
正直言って火影になれなかった自分を考えるのは恐い。
一瞬でも浮かんでしまったあってはならない自分の未来の姿を頭の中からかき消し、ナルトは決意を固くするのだった。絶対に火影になってやる!
そのためには、一刻も早く任務に復帰しなければいけない。その思いを胸に刻むと、ナルトは眠りについた。
近頃ナルトの頭の片隅で引っかかっていることがある。問題と言える程、大したことではないが、気になる。
つい最近、サスケから勝負を投げ掛けられたのは、記憶に新しい。あれから時間が経った今も、肝心要の"何"で勝負するのかが分からない。
その何かをサスケより先に落とすことよりも、それが何なのか、考えることのほうがナルトには先だ。
サスケに直接訊いてしまえばすんなり解決するかもしれない。だがそうするのはサスケに負けるような気がしてナルトは訊けなかった。
あれから今までずっとサスケが何を落としたいのか考えているのだが答えは見つからない。
ナルトが試行錯誤している間にもしかしたらサスケが先に落としてしまっているかもしれない。
サスケが何を落としたいのか分からないまま勝手に勝負が決まってしまうのは何だか悔しいような気がして、ナルトは中身の詰まっていない脳みそをフル活用して考える。
「一体何なんだってばよ」
「う〜ん」と唸った。
「サスケが落としたいもの……」
それは何だ?
ぶつぶつと呟く。
ナルトにとってサスケは一生涯のライバルでサスケと勝負することはよくあったが、何で勝負するのか分からないのは初めてだ。
「あ? 何か言ったか?」
まさか独り言に返事があるとは思わず顔を上げれば、目の前にサスケの姿がある。
「あ、サスケ……」
腹が立つぐらいにすっきりとした表情でサスケは目の前に立っていた。彼は同じ男でも惚れるぐらいに均整のとれた容姿をしている。もしもナルトが女性だったらサスケに惚れている自信がある。悔しいけど、やっぱりサスケはカッコいい。
「何だよ、人の顔ジロジロ見て。何か言いたいことでもあんのか?」
「べ、別に……何でもないってばよ」
ナルトがそう答えると、サスケはそれ以上突っ込んでこなかった。いつものように椅子に腰掛けると、膝の上に巻物を広げる。その姿もきまっている。イケメンは何をしていてもカッコいいとは本当だとナルトは思った。
容姿良し。当然女性にモテる。一生暮らしても余るほどの財産があり、忍の能力もピカイチ。そんなサスケが落としたいものとは一体何なんだろう。何もかもを持っているサスケが欲しがるのだから簡単に手に入らないものなのは確実だ。
それなのに毎日ここに来てのほほんと一日を過ごしているサスケは変だ。そうしている間にナルトに落としたいものを取られてしまうと思わないのか。
サスケが落としたいものをナルトが分かるわけがないと、舐めてかかっているのだろうとナルトは思った。
もしその何かをサスケが落としてしまえば、ナルトの負けは決定的で後で悔しい思いをすると分かっていながらも、サスケの行動は腑に落ちなかった。
――やる気あんのか?
もし舐められているのだとしたら腹立たしい。
そもそも、なぜサスケは毎日ここに来られるのだろう。
里外に出ることが希なサクラが忙しくて毎日来ないのに、里外任務が多くあり、かつその日数が長いサスケが毎日来るのはおかしい。
もうそろそろ任務に出掛けてもおかしくないのに、今日も当たり前のようにここを訪れるのは何故だ。
いったんそのことが気になりだしたら、他のことなんて頭の中から吹っ飛んでしまう。
「なぁ、サスケ」
「何だよ?」
巻物に目を通しながら、めんどくさそうな調子でサスケは答える。
「なんで毎日オレに会いに来てくれるんだ?」
ナルトの問いにサスケが「え?」と戸惑ったような表情を見せたのに、ナルトは驚いた。その表情は一瞬だけのことですぐに前の表情に戻った。
「会いに行ったら駄目か?」
「別にやなわけじゃねぇけど……サスケだって暇じゃねぇだろ? 別に無理してここに来てくれなくても……」
ここでナルトがよく知るサスケなら、ウスラトンカチのために仕方なくここに来ているなどと意地悪なことを言って、明日から来なくなるのだ。実際は違った。
「別にオレは無理なんてしてない」
「あっ、そう」
サスケから意地悪な回答が返ってくることを疑っていなかったから今の言葉も聞き流そうとした。
「えっ?」
だが後からサスケが言ったことを理解して、まさかサスケからそんな反応が返ってくるとは思わなくて、ナルトは戸惑った。
ナルトを見るサスケの表情が優しくて余計に戸惑う。
「……」
ナルトが何も言えないでいると、部屋の中が沈黙で満たされ、時計の音だけが響き渡る。
沈黙になると落ち着かないのは、元々騒がしい性格のナルトだ。何か喋ろうと頭を捻ってもまともなことが思い浮かばず焦る。焦れば焦るほど頭の中がごちゃごちゃになってナルトは混乱した。
「あ、あ……あのさ!」
ナルトが口を開けば、サスケは「何だ?」という表情でナルトを見る。
「サスケ、任務っていつからなんだ?」
そういえばあの時、一週間後に任務だとか言っていたような気がする。もうそろそろ任務に旅立っていてもおかしくないのになぜサスケはここにいるのだろう。
「あぁ、それなら、キャンセルにした」
何でもないことのようにサスケは答えた。
「そっか。ってぇ! ええええええ!!」
「何だ?」
「『何だ?』じゃねぇよ! キャンセルってどういうことだってばよ!! 綱手のバアちゃん、許したのか?」
ナルトがよく知る綱手は一度受けた任務を私情でキャンセルにするのを許さない。特にサスケに関しては、任務を受けるか断るかの選択の権利はなく、一度受けた任務をキャンセルする権利もない。
何かの間違いだと思いたいが、サスケがここにいるということはサスケの言う通りなのだろう。
ふつふつと怒りが浮上し、ナルトは勢いのまま行動に出た。
「サスケ、お前、何考えてんだよ!」
立ち上がったナルトは、目の前にいるサスケの胸倉を掴んだ。
今自分が外に出られる状況ではないからこそ、自由に外に出られるはずのサスケが任務をキャンセルにしたのが許せない。
「綱手のバアちゃんが許してもオレは許さねぇ!」
「ナルト、落ち着け!」
「これが落ち着いてなんていられっかよ!」
「これはオレの問題だ!」
サスケが強い声で言うと、ナルトははっと我に返り、サスケの胸倉を強く掴んでいる自分の手に気付いて慌てて手を離す。
「お前には関係ない。オレが任務に行こうが、行かなかろうがどうでもいいだろ。オレが決めたことに口を出すな」
「そうかよ。じゃあ、勝手にしろよ!!」
サスケから関係ないと言われたことに傷付き、不貞腐れたように言う。
「サスケが任務をキャンセルするのがオレに関係ないなら、オレがここにいるのもサスケには関係ないことだよな。だから……」
『もうここに来るな!』というナルトの言葉は次のサスケの言葉に掻き消された。
「勘違いするな」
「何がだよ! 別にオレは勘違いなんか……。べ、別にオレ、一人は慣れてるし、サスケがここに来てくれなくたって別に平気だし。むしろ、もうここに来んな! オレに何も言わないで勝手に任務キャンセルしたサスケなんて知らねぇよ!」
「悪かった。だから、もう来るな、なんて言わないでくれ」
「嫌だってばよ!」
サスケが任務を断る、断らない以前に、身体や心が弱っているところにサスケに傍にいて欲しくない。
「何でだ?」
「だから嫌なんだってば!」
「答えになってない。ちゃんと理由を話せ!」
「なんで命令? さっきも言っただろ! 任務を勝手にキャンセルする奴なんかオレは"大嫌い"だ!!」
言い終わってから、「あっ、言い過ぎたかな」と思ったが言ってしまったことは取り消せない。
だが、あくまでもナルトは強気だった。悪いのはサスケであって自分ではない。任務を勝手にキャンセルしたほうが悪いのだ。
「大嫌い……」とぶつぶつと何かを言っているサスケに気をとられていると、唐突にサスケに身体を抱き寄せられた。
あまりにも自然に起こったものだから、一瞬何が起こっているのかナルトは分からず言葉を失う。
妙にざわざわとする胸の内を感じながらナルトはサスケに声を掛けた。
「サスケ、ちょっと……近いってばよ!」
サスケとの近すぎる距離感に焦ってナルトは悲鳴のような声を上げる。不思議なことに気持ち悪いとは感じなかった。
「離せ!!」
「嫌だ。絶対に離さない!」
「何、我侭言ってんだよ!」
サスケに離してもらえないなら自分から離れようとナルトはもがくが、もがけばもがく程、サスケとの結び付きは強くなる。
――何だよ、この馬鹿力。
サスケは言った。
「オレから離れるなんて許さねぇ……」
腹の底から聞こえるような低い声だった。
「許さねぇって言われてもさ。オレがどう行動しようがオレの勝手だろ。サスケに指図される覚えはねぇ。なっ、分かっただろ? 分かったらオレを離せ!」
「嫌だ!」
何を言ってもサスケは「嫌だ!」の一点張りでナルトを離さない。
そんなサスケの様子をナルトは拗ねているのだと判断した。
何がサスケをそうさせたのか。ナルトには思い当たることがない。
いい歳した男が拗ねるのを内心めんどくせぇと思いながら、サスケに離してもらえる方法を考える。
怒ったり、跳ね除けたりするのはNGと沸点の低い自分に言い聞かせる。そんなことをすれば、サスケが拗ねるのをこじらせて余計に面倒なことになりそうだ。
「サスケ、落ち着けよ。な?」
サスケからの拘束が強くなるのに焦りながらやっと言えたのはこの言葉だった。
ミシミシと骨が軋む音が聞こえるのは気のせいではない。
「く、苦しいって……」
今の状態はサスケから抱き締められると言うよりも拘束と言ったほうが正しく、ロマンティックの欠片もなかった。
ナルトはこのままサスケに絞め殺されてしまうのではないかと思った。
「サ、サスケ!」
苦し紛れにナルトがサスケの名を呼ぶと、サスケは拘束を緩めたが、完全には解かない。
治まったかに思えたナルトの怒りが再び浮上してきた。
――サスケの奴、いったい何なんだよ!
こんなに粘着質な性格だとは思わなかった。だが、今までを振り返ると、その青春時代を復讐に費やしたサスケはまさにそうだ。
元々任務をキャンセルしたサスケが悪いのになんでこちらが一方的に拗ねられなければいけないんだろう。ここで「もうサスケとは絶交だ!」などと口にすればサスケに殺されるんじゃないかと思う。
退院して自由に外に出られるようになったら毎日ラーメンを奢らせよう。サスケへの怒りで頭が沸騰しそうな中、ナルトはそう決めた。
「分かったってばよ。明日でも明後日でもいつでも好きなだけここに来いよ」
サスケのしつこさに負け、こう言うしかなかった。
もうどうにでもなれとナルトは思った。
してやったりといった感じでサスケがにやりと笑っているのにナルトは気付かなかった。