土曜日の夕方、書店では一人のイマジンが本を前にして悩んでいた。
いや、困っていたと言ってもいいかもしれない。
「彼女が必ず気に入るデートコース」
「日帰りで遊んで楽しめる場所・100選」
「時間がなくても楽しめる余暇の過ごし方」
手に取った雑誌の中身をめくりながら、どれがいいだろうかと悩むのは人間で
はなかった。
イマジンのデネブである。
「オデブちゃん、何を真剣に悩んでるの」
どきりとして振り返ったデネブは、慌てて本を背中に隠した。
そこにいたのはウラタロスだった。
憑依体ではなくイマジンの姿のままなのだが、女性連れというところが流石に
天性の釣り師といえるだろう。
「い、いや、別に悩んでなんか」
慌てて取り繕うが、この態度でバレているようなものである。
というより、隠し事が下手な性格といってもおかしくはない。
そしてウラタロスはお見通しといわんばかりに肩を竦めた。
恋愛についての悩み、相談なら僕がいるじゃないかと言われてデネブの心はぐ
らりと揺らいだ。
「ふーん、デートコースの下調べか、それで悩んでいるわけだ」
「そ、そうなんた」
公園のベンチでデネブが買った本を珍しそうに眺めながら、ウラタロスは僕な
らこんなものは参考にならないねと呟いた。
「考えてごらんよ、オデブちゃん、付け焼き刃なんてボロが出るだけだよ。そ
れよりもストレートにありのままの自分でぶつかった方がよくないかい」
「そ、そうかもしれないが」
「格好つけたい気持ちもわからないでもないけどね。彼女にしてもオデブちゃ
んの性格を知らないわけじゃないんだしね」
出会って一週間、一月という浅い付き合いならいいかもしれない。
しかし、二人の付き合いはそういうものではない。
ここはシンプルにスタンダートに攻めたほうがよくないかいとウラタロスは助
言をした。
「外でデートも良いかもしれないけどさ、そんなときに他のイマジンなんかに
見つかって、邪魔されたりするの嫌でしょ」
この言葉にデネブの脳裏をよぎったのは思い出したくもない光景だった。
あれは、そう、遊園地でのこと。
それは無難なデートコースといえるだろう。
しかし、デネブは正直にいうと、この選択に不安を抱いていた。
若い娘ならいざしらず、大人の彼女である。
だが、小さな子供の頃に何度か来ただけで、珍しいからと彼女も悦んでくれた
のだ。
観覧車、魚釣り、メリーゴーランド、絶叫系の乗り物を避けて、ちなみにお化
け屋敷も却下である。
これは彼女もだが、デネブもかなりの恐がりということで意見があったのだ。
昼になると園内の芝生の上にシートを敷いて、朝早くに起きて作った弁当を広
げた。
好き嫌いはあまりなく、和食が食べたいという彼女のリクエストで大きめのラ
ンチボックスには巻き寿司、だし巻き卵、白和え、おからに里芋のにっころが
しなど、色々なおかずを沢山詰めたのだ。
それを見て、彼女はとても喜んでくれたのだが。
「へえっ、うまそうじゃねえか」
いきなり伸びてきた赤い手が、巻き寿司を掴んだのだ。
「あーっ、卵焼きだあっ、僕、これ好きなんだ」
今度は紫色の手が伸びてきた。
「おおっ、うまそうやないか」
続いて黄色の手が。
どこから現れたのか、凄いタイミングで自分と彼女の間にちゃっかりとモモタ
ロスとリュウタロス、キンタロスの三人が座っていたのだ。
「ちょっと、皆、折角のオデブちゃんの初デートを邪魔するなんて」
そのとき、カメ、いや、ウラタロスが現れたのだが。
食べ始めたモモタロスが腰を上げる様子はない。
当然と言えば、無理もないが。
しかし、このとき四タロズ達が恐れる存在が現れた。
「バカモモ、あんた達、何やってんのよ」
可愛らしい声がしてコハナが現れたのは、まさに天の助けとしか言いようがな
かった。
だが、雰囲気はぶちこわしである。
二人きりの筈、だったのだが。
これが一度や二度ではないのだ。
思い出しただけで疲れる光景だ、デネブは思わず溜息をついた。
「別に外に出掛けるなんてことしなくても、美味しい御飯を作って、DVDを観
たりするとか、部屋の中でゆっくり過ごすのもいいんじゃない。その方が僕な
んかは楽しいけどね、二人きりになれるし」
ウラタロスの声が、意味ありげに艶っぽく響く。
普段からマイペース、鈍いといわれているデネブも、このときばかりはドキリ
とした。
公園でウラタロスと別れたデネブはゼロライナーに向かって歩き出した。
ところが、その足は偶然にも止まってしまった。
通り過ぎようとしたドラッグストアから大きな袋を抱えて出て来る彼女の姿を
見つけたのだ。
「デネブ、もしかしてバイトの帰り」
「ああ、君も」
「そう、仕事が遅くなって、パンとジュースを買ったんだけど」
「駄目だ、ちゃんと御飯を食べないと、体に良くないぞ」
デネブの言葉に、じゃあ、作ってくれないと彼女は笑いながら歩き出した。
「ねえっ、我が儘を言ってもいい」
明日の朝御飯も作ってくれると嬉しいんだけどなあ、突然、相手の口から出て
きた言葉にデネブは驚いた。
それは、まさかと思うが自分が彼女の家に泊まって、朝御飯を作るということ
なのだろうか。
いや、まさか、早合点はするなと自分に言い聞かせた。
「どうしたの、図々しい事を言ってると思う」
「そ、そんなことは」
ないときっぱりと言えればいいのだが、言葉が出てこない。
泊まっていけばいいから。
その一言に思わず咳き込んでしまったのは、恥ずかしい限りである。
(どうして、そんな言葉を簡単にさらりと口にできるんだ、慣れているのか。
そうなのか、いや、そうなんだろうなあっ)
自分の方が焦ってドキドキしているのがみっともないというか、恥ずかしい。
ちらりと隣に視線を向けたデネブの足が、このとき止まった。
同時に彼女も歩くのをやめた。
顔を見るお互いの視線は、すぐに外れてしまった。
沈黙が漂う時間は、長くはなかった。
そして、次の瞬間、デネブは彼女の手を握った。
「可愛いなあ」
イマジンの表情というのは、少し見ただけではわからないが、明らかにこのと
きデネブは笑っていた。
いや、にこにこと破顔していたといってもいいだろう。
何故なら、わかってしまったからだ。
「照れてるところが、凄く可愛いなあ、未佐緒は」
女は反らし気味の視線になった。
だが、黒いイマジンの顔から逃げることはしなかった。
ただ、小さな声で顔も体もを熱くさせた。
そして、あなたが、デネブの方が可愛いわと言うのがやっとだった。
だが、そんな様子をデバガメがこっそりと見ていたなど、二人は気づくわけも
なかった。