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| その日の練習中、オレはさり気なく三橋の様子をうかがってみた。 見たところ、さほど変わった様子はないような気がした。 やはり、三橋は全然気にもしていないのか……。 そう思いながら休憩に入り、タオルを取りに戻った時だった。 気配を感じ、汗を拭きながら後ろを振り向くと三橋が立っていた。自分のタオルを取るのにオレがジャマな位置にいるようだった。 「お疲れ。三橋、汗はちゃんと拭いとけよ、ほら」 いつもと同じように声をかけながら、三橋のタオルを取ってやる。 「……あ、うん」 ここで、なんとなく違和感は感じた。 タオルを受け取った三橋は、「……じゃ」とか「……先に……」とかもごもご言いながらオレの前から去って行った。 「ちょっ、みはっ、おい!」 休憩を取る場所なんて一緒なのに、どうして逃げるように去っていくんだろう。 しかも、全然目も合わない。 いや、視線が会わないのなんていつものことではあるけど、最近はまっすぐオレの目を見て笑ってくれるようになっていたのに。 それに、三橋がオドオドしている時は『視線が合わせられない』という感じなのに、今のは『視線を合わさない』ようにしていたのではなかろうか。 ――なんか……怒ってる? まさかな。 三橋が……怒る……? 呆然と遠くにいる三橋の背中を見ていると、ふいに肩に手を置かれた。 「あーべー」 「うわ、田島かっ。驚かすなよ」 「なに、驚いたの? ふぅん……」 「なんだよ?」 「うん、三橋があっち行くの待ってたんだ」 「みっ、三橋が? なんでだよっ」 「んー、なんていうかさぁ、あんまり変なことでウチのエースを落ち込ませるなよな?」 「なっ」 田島は言いながら、ぽんぽんとオレの背中を叩く。 なんだ、その慰めてるような諌めているような叩き方は……。 「オレは別に……っ、ていうか、アイツだってそんなに落ち込んでねぇだろっ」 本当なら、ここでは『なんでアイツが落ち込まないといけないんだよ』的な返答をしないといけなかったのに、ちょっと間違ってしまった。 が、田島はとくにこだわる風もなく、 「教室ではかなり変だったって。ま、よく見てみろよ」 そういい置いて、みんなの所に走っていった。 「……三橋が、変だった?」 思わず小声で呟いてしまった。 もし、田島の言うとおりオレの見ていない教室では様子が変だったというのなら。 それなら、今さっき感じた違和感は――。 オレは、ぎゅっとタオルを握りしめ、今日は三橋から目を離さないでおこうと誓ったのだった。 そして、練習が終わりいつものように着替えを終え……ようとした時。 「おっ、お疲れさま、でしたっ」 バタバタと忙しない動作で、三橋が鞄をつかんで部室を飛び出そうとしていた。 「――っと、待て三橋っ」 間一髪、三橋の鞄を掴み取る。 「わっ」 反動でよろけた三橋を、近くにいた花井がキャッチする。 「っと、大丈夫か?」 「だ、大丈夫! あっ、ありがとう……!」 と言いながら、また先に帰ろうとしていたが、あいにく鞄はオレが持ってるし、花井も三橋の腕を掴んだまま放さない。 花井がちらりとオレに視線を寄こす。 「阿部、どうすんだ?」 「悪い、ちょっと話があるから」 「あー、わかった。じゃ、戸締りよろしく。……ま、穏やかに頼むな?」 「――了解」 そして、他の部員達はそれぞれ帰っていった。 急に静かになった部室で、オレたちはしばらく黙り込んでいた。 三橋はシャツの裾を何度も握りなおし、居心地が悪そうにしていたが、帰ろうにも鞄はまだオレが握りしめている。 「……三橋」 「――っ」 「オマエさ、今日、その……なんつうか、怒ってなかった……?」 「う……えっ? お、こる? オレが?」 さも驚いたように、三橋の顔が上がる。 投球練習をしている時をのぞいて、今日初めて正面から顔が向き合った。 「ああ、怒るっていうか、まぁそんな感じで」 「おっ、怒ってない、よ。怒る理由、ないし」 「じゃ、怒ってないとして。なんで今日、オレと視線合わせないんだ?」 「う……」 こっちはごまかせないようだ。 またきゅっと俯いてしまった。 「なぁ、なんか言いたいことあるなら、ちゃんと言えよ」 「な、いっ、何もないよっ」 「ウソつけ」 「ウソじゃ、ない。オレが阿部君に言えることなんて……何もない」 「なんだよそれ。言いたいことあんならちゃんと言えって、いっつも言ってるだろ」 「だから、なにもないって、オレ言ってるっ」 「じゃ、なんでオマエそんな涙目になってんだよ。なんかあるんだろ?」 だいたい、いつになく口調が頑なで強情だし。 しかし、押し問答が続きそうなのでこっちから話を振ってみる。 「……今日、なんか聞いたんだろ。その、オレが『付き合ってる人』がどうのってやつ」 俯いた三橋の肩が、ぴくりと動いた。 オレは、なかなか素直に話をしない三橋にじれったさを感じながらも、内心ガッツポーズを作っていた。 だって、あの噂に対して三橋の反応がコレだってことは……。 そんな喜びが外に出ないように、オレはわざと仏頂面を作ったまま言葉を重ねた。 「三橋、頼むから正直に話してくれないか? じゃねぇと、今日みたいにオマエに視線そらされっぱなしじゃ、オレちょっと嫌なんだけど」 それでも三橋は俯いたまま口を開かない。 オレは、三橋の鞄をそっと置き、静かに三橋に歩み寄った。 逃げるなよ――と、心の中で頼みながら注意深く近づき、三橋の頭に手をやって小さく撫でてみる。 撫でながら、 「なぁ、なんか思ったんだろ……? オレが悪かったら、謝るから」 と、囁いてみると、ようやく三橋の声が聞こえてきた。 「阿部君は――悪いことなんて、してないよ」 「ん?」 「オレ、……阿部君に、付き合ってる人がいるって聞いたから……」 「うん」 「それで――っ、あ、阿部君には付き合ってるヒト、いるんだ、って。……お、オレ、今まで知らなくてっ」 「…………おい、いるだろ、付き合ってるヤツ」 「だ、よね。オレ、ずっと知らなくて、浮かれて阿部君のこと、独り占めしてたみたいで……」 なんだ? なんか話の方向が変な気がする。 「そうだよね、阿部君、付き合ってるヒト、いるよね。オレなんかじゃ――」 オレは、ちょっと言葉にできない気持ちを味わった。 「三橋……オレと付き合ってるヤツって、そりゃオマエだろ…………!?」 「え? お、オレ――、」 当たり前だろうと怒鳴り返そうとした時、三橋が付け加えた。 「――だけ?」 ちょっと待て。 「なんだよソレっ!?」 「え、だってっ、今日いっぱい付き合ってる人の話を聞いたしっ」 「どの噂信じてんだよオマエ! つかどの噂も信じるな! うわ、信じらんねぇっ、オレそんなに信用ないのかよっ」 「だっ、だけどっ」 「だけどじゃねぇよ!」 「でも、お、お、オレと付き合ってるって言っても……つ、付き合ってない時とそんなに変わらないし、って思ったし……」 「なっ」 「そしたら、やっぱり皆が言ってるような相手が、い、いるのかなって……っ」 「おま……、そりゃねぇだろ……」 今と付き合う前とが変わらない、だと? それはオレが我慢に我慢を重ねて、いわゆる紳士的な対応をしてるからだろっ。 ちょっと触ろうとするだけで三橋が身体を強ばらせるから、だから三橋の気持ちと身体が追いつくまで、と必死に耐えてきたオレの努力は何だったのか。 「だけど、仕方ないなって思っても、オレやっぱり阿部君のこと好きだし……っ、阿部君がオレのこと、好きだって言ってくれた時のこと思い出したら、オレ、なんか――気持ちぐちゃぐちゃになっちゃってっ」 そういう三橋の顔も、涙でぐちゃぐちゃになっていた。 そして、手の甲でぐいぐいと涙を拭いながら、 「でも、投げる時は、ちゃんと投げたから」 と、まっすぐオレを見て言う。 ――ああもう、堪らないな。 そう思った。 堪んないというか、仕方ないというか。 もうオレが必死になるしかないんだろうな。 オレは、大きく深呼吸を一つして、口を開いた。 「――あのな、一応言っとくけど。オレが付き合ってるのは三橋だけだ。今日オマエが聞いたような話は、全部ウソだからな」 「ほ、ほんとに?」 「本当に。まぁ、色々と言いたいことはあるけど」 本当に言いたいことは色々あるけど。 でも、それはこれから三橋の意識を変えていくことで解決することに決めた。 たった今、そう決心した。 今日から意識改革だ。 というか、行動改革か? そう思ったオレは、この対話をもう少し実りあるものにしようと言葉を続ける。 「――でもオマエ、今日はその噂聞いて、さ」 言いながら、少し強引に三橋を抱き寄せる。 「――妬いてくれたんだろ?」 「や……っ!?」 「だろ?」 そして、三橋の顔に手をかけて少し上向かせて――本気が伝わるようにと願いながらキスをした。 「……んっ」 ほとんど不意打ちだったせいか、するりと舌を侵入させることができた。 三橋の手に力が入り、オレを押しのけようとする動きを見せたけど、本気の抵抗じゃなかった。 舌で舌を絡めとり、口を開かせて至るところを刺激してやる。 「ん……っ、ふ……」 上顎をなぞり、舌先を舐めて吸ってみる。 いつの間にか、三橋の手はオレの背中にまわり、縋りつくようになっていた。 それは、震えがくるほどオレの気持ちを昂ぶらせるものだった。 さらに激しく口腔内を探り、つと舌を抜いて下唇をかるく噛んでみる。 「……ふ……ぁ」 背中にまわされた手にさらに力がこもり、もっと強くしがみつかれる。 三橋の腰が落ちて力が抜けかけていることに気付き、支えてやりながらゆっくり座らせた。 「三橋……気持ちいい、か?」 三橋は無言でオレの胸元に額をすり寄せた。 「な、教えてくれ」 わざわざ聞かなくても答なんてわかっているけれど、でも今日は容赦するつもりはなかった。 重ねて聞くと、三橋は小さく首を縦に振った。 「それじゃわかんねぇよ」 「…………き、もち、イイと、思う……っ」 胸元で小さく呟かれる。 「ん。オレも。――で、これでも付き合う前と付き合う後と変わらないって、まだ思うか?」 「……っ」 「それとも、これじゃ足りない?」 三橋の答を聞く前に、もう一度キスを仕掛ける。 何度も角度を変えながら唇を合わせ、ゆっくりと三橋を床に押し倒す。 「……んっ」 唇を、三橋の耳朶に移動させ、かるく舌を差し込んでみる。 「やぁ……っ、あっ、いや、それ……っ」 「――耳、弱いんだ」 「んぁ……や……」 耳元で喋ると、息がかかるのかそれも弱いらしく、オレの下半身を直撃するような声を出す。 ――やばい、かるくやばい。 ちょっとだけのつもりなのに。 オレはヤバイ、と思いつつ三橋のシャツの裾をたくし上げて手を中に滑らせた。 脇腹をなでると、ちょっと驚くほどに三橋の身体が跳ねる。 まるきり力の入らない手で、オレの腕をどかそうとしている様子は、なんだか堪らなくオレを煽った。 オレの手が、さらに上に進んで小さな胸の突起に触れた時だった――。 「ん……や、阿部君、こ、ここじゃ、だめ……っ」 ――ここじゃ、だめ。 「……そうか、ここじゃなきゃ、いいんだな?」 遥か彼方に飛び去っていた理性が、ほんの少しだけ戻ってくる。 ほんの少しでも充分だった。 もともとの目的は、今日イタダいてしまうことではなかったぞと、思考回路が動き出す。 あくまでも、意識改革・関係改善・行動改革。 それに限れば100パーセント達成ではないか。 ――ここじゃ、だめ。 オレの頭のなかにこだまする。 ここじゃなければ、オレとエッチするのはヤブサカではないコトだよな? ということは、オレとそういう関係だとわかったってコトだよな? あとは、オレが回りに女の影をちらつかせなきゃ、今日の疑いははれるってコトだよな? というか、元々女の影なんてないのだけれど、とりあえず色々と用心しとかないと三橋にはマズイってことだよな。 とりあえず、三橋を起こして服を元に戻し、触れるだけのキスをしながら言ってみる。 「今度の休み、オレんち来ないか? ――家族が旅行でいないんだよ」 三橋はまだ頬を上気させたまま、蕩けた目をしている。 それでも、小さく頷いてくれた。 たぶん、意味を深く考えてはいないのだろうけど。 だけど、たとえオレの下心が空振りに終わったとしても。 この日、オレの『一方通行』疑惑はかけらも残さず、消えたのだった。 おわり |