「真似」

 

ある日の放課後。誰も来ない、すっかりお気に入りの場所となったいつもの屋上にいた加地葵は、これから何をしようか考えていた。

「日野さんは、今日も練習かな?今回のコンサートでは、僕の出番1曲しかないし・・・・僕、本当に日野さんの力になれてるのかな?」

本当は香穂子に会いに行きたかった。だが、一生懸命練習している香穂子の練習を邪魔したくない。香穂子から紡ぎ出される旋律は何とも言えず清らかで、葵の理想の音なのだから。
このまま今日は、屋上で過ごすのも悪くない。秋晴れの外は心地良いから・・・・
少しだけ昼寝でもしようかと、葵が目を閉じかけた、その時だった。屋上のドアが金属音を立てて開いたのは・・・・・

「あっ、加地く〜ん!!み〜つけた!」
「えっ?日野さん?」

そう。ダッシュで横たわっていた葵の元に駆け付けてしゃがみ込んで来たのは、いつでもニコニコした笑顔と、赤い長い髪がサラサラと印象的な、正に葵の全てと言っても過言ではない日野香穂子だった。
香穂子はいつになく、ウキウキとした笑顔で葵を見つめている。一体、どうしたと言うのだろうか?

「加地くん、ここにいたんだね!色々な所探しちゃったけど、最初からここに来れば良かったんだなぁ〜。失敗しちゃった・・・・」
「日野さん?それより、どうしたの?僕に会いに来てくれた?」

起き上がりながら、いつもの軽い調子で葵は香穂子に尋ねる。当然葵は、いつものように『相変わらず加地君は冗談ばっかり。』などと言う香穂子の反応が来ると思っていたが、今日は違った。
香穂子は1度だけ首を大きく縦に振ると、ちょこんと葵の隣に座って笑顔を見せた。

「うん、加地くんに会いに来ちゃった。でも、加地くん寝ようとしてたよね?私、ひょっとしてまずい時に来ちゃった!?」
「そんな事ないよ!僕の事なら気にしないで。日野さんとこうして一緒にいられるなら、これほど嬉しい事はないもの。」
「ありがとう!あのね、今日はちょっとだけ、加地くんをこらしめようと思ったんだ〜。」
「『こらしめる』?日野さんが、僕の事を?」

そこで『どうして?』という疑問符が湧いて出たが、もはや自他共に認める香穂子ファンの葵にとって、そんな疑問はどうでも良かった。むしろ香穂子にこらしめられるのも悪くないなぁ、などと思いながら、葵は香穂子を見つめる。

「うん。えっと、ちょっと恥ずかしいんだけど・・・・私、ね。加地くんのファンなんだ・・・・」
「えっ・・・!?日野さん。今、何て・・・?」
「え、えっと。私、加地くんのファン、で・・・・」
「日野さん!!」

ガバッという効果音がする勢いで、葵は香穂子を即座に抱き締めた。香穂子は顔を赤らめながら、恥ずかしそうにしている。

「キャッ!か、加地くん・・・!?」
「それが、君の言う『こらしめ』?だとしたら、意味が分からない。僕が、日野さんのファンって言うのが嫌なの?」
「い、嫌、じゃないけど・・・は、恥ずかしい、から、ね・・・その。あんまり、言わないで欲しいなぁ、って・・・」
「僕はちっとも恥ずかしくない。だって、僕は本当に日野さんのファンだから。日野さんの演奏も、日野さん自身も、大好きなんだ・・・」
「!か、加地くん・・・・」

突然の告白を受けたことで、香穂子の顔は真っ赤になっていた。葵をこらしめに来た筈の香穂子だが、今ではすっかり形成逆転してしまっている。

「ふふっ・・日野さん、顔が真っ赤だよ?可愛いなぁ・・・」
「か、加地くん!?そんなこと言われたら、私、加地くんのことこらしめられないじゃない・・・!」
「まだ、僕のことこらしめる気でいた?残念だけど、この気持ちはもう変わらないよ?それに、日野さんが僕のファンだと言うなら、尚更僕は日野さんの事を離さない。だって、僕たち両思いだもの。」
「え、えっと、加地くん。だから・・・・ん・・っ・・・!」

香穂子の言葉の続きを聞きたくなかった。だから葵は、自らの唇で香穂子の唇を塞ぐように重ねた。それが、葵の誰にも負けない気持ちだから。

「・・日野さん・・・」
「加地、くん・・・」
「・・・ねぇ、日野さん。日野さんは、僕がファンだって言うの、嫌なの?僕のこの気持ちも、迷惑・・・?」
「ち、違うよ!迷惑だなんて思わないけど!ただ、その。ファンとかって言われるの、初めてだから、どうしたら良いか分からなくなって・・・・だから加地くんの真似して、私が『加地くんのファンです』って言ったら、どうなるのかな?って思って・・・・」
「日野さん・・・・ふふっ。僕が日野さんにそんな事言われたら、即OKに決まってるじゃない。僕で試すのは無駄だよ。こらしめるのも無理。」
「うっ・・加地くんにそう言われたら、何が何でもこらしめたくなっちゃうんだけど・・・」
「やだなぁ。日野さんって、実はSなの?」
「キャアァッ!!もう、何って話してるの!?不謹慎だよ〜。」
「日野さんったら、また顔が真っ赤だよ?ふふっ、可愛い。」
「加地く〜ん。もう、そんな風に言われたら、どうすればいいか分からないじゃない・・・・ウゥッ。加地くんのイジワル・・・」

顔を真っ赤にして、少し唇を尖らせる香穂子はこの上なく愛らしかった。そんな香穂子を見つめながら、葵は再び香穂子を抱き締める。

「『イジワル』でもいいよ。こうして日野さんの傍にいられるなら・・・」
「・・・もう、どうしてだろ。私、逆に加地くんにこらしめられちゃった・・・」
「ふふっ。今回は、僕の勝ちだね。じゃあ、負けた代償として、僕にキスするって事でどう?」
「うっ・・加地くんは、本当にイジワルなんだから・・・」
「そんな事ないよ。負けた日野さんの責任なんだから、ね?」
「うぅっ。でも、今度は負けないんだから・・・!」

そう言って、1人で闘争心を燃やす香穂子の瞳は、強い輝きに満ち溢れていた。
最初は香穂子の演奏に惹かれたが、こうして一緒にいる今、香穂子の全てが愛しくてたまらない。この強く輝く瞳にも魅入られたのだなぁ、と葵は感じながら、香穂子にゆっくり顔を近付けた。
再び重なる、葵の唇と香穂子の唇。温かくて甘い感触は、互いの心をとらえて離さなかった。

「・・日野さん。好きだよ・・・今はコンサートで忙しいから、返事は聞かないけど・・・落ち着いたら、その時は・・・・」
「うぅん、大丈夫・・・・私、加地くんファンって言うの、ウソじゃないから・・・」
「えっ・・・?日野さん?」

葵が驚くと、香穂子はニッコリとまぶしい笑顔を見せた。

「私、加地くんが好き。大好きだよ・・・今度のコンサートが終わったら、2人でゆっくり出かけようね。」
「日野さん・・・・!どうしよう。信じられない・・・僕、自惚れていいの?日野さんが、僕のものになったって・・・」
「や、やだなぁ〜。そう言われると、ちょっと恥ずかしいんだけど・・・」
「恥ずかしくなんかないよ。よし、日野さん!行こう!!」

葵はそう言うと、すぐに香穂子の手を取って立った。葵に手を握られたことで、香穂子も何が何だかよく分からないまま、続いて立ち上がった。

「えっ!?加地くん、『行こう』って、どこに!?」
「決まってるじゃない!デートだよ、デート!さ、日野さん!僕たちには時間がないんだから、急いで!!」
「ええぇぇっ!?ちょっ、加地くん!?待って!!私、まだ心の準備が・・・!」

葵に手を引かれながら、かろうじて香穂子が着いて行く。

「いつもの所でソフトクリームを食べてから、日野さんと一緒に練習するのもいいね!それから、公園を散歩するのも悪くない。日野さんの色んな顔が見れるって考えただけで、わくわくしちゃうなぁ・・・」
「か、加地くん!?ちょっと待って!私の意見は無視〜!?」
「えっ!?あぁ、ごめん!!日野さん。そんなつもりはなかったんだけど、つい日野さんと一緒にいられるって考えたら、止まらなくなっちゃって・・・」
「アハ、アハハハハハ。加地くんったら・・・・でも、ありがとう。」

こうして葵と香穂子は笑顔を浮かべ、幸せな気持ちを共有していた。
未だに香穂子が自分の気持ちに応えてくれたことが、葵には信じられなかった。それまで香穂子は手の届かない、舞い降りてきた天使のような存在だったのに・・・・・
だが、こんなことを考えていても始まらない。確かに香穂子は今、自分と共にいる。その事実があれば、葵には何もいらなかった。ただ香穂子がこうしていてくれれば・・・・・

「今度は僕が、日野さんの真似してみようかな?」
「えっ?真似って、どんな?」
「ふふっ・・今から研究するから、期待してて。」
「えっ!?やっ、加地くん!そんなこと、しなくてイイから・・・!!」

慌てふためいて、顔を赤くする香穂子は本当に可愛かった。そんな香穂子を見つめながら、葵は幸せに包まれる自分に少し違和感を覚えながらも、この幸せが続けば良いと願ったのだった・・・・・・

 

END.






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