「メリー・クリスマス?」

 

12月25日。今日は誰もが心弾むクリスマスである。

しかし、そのような雰囲気を微塵も感じさせないのがビジネスの世界だ。特に今年は休日と重なっていないクリスマスの為、このまま仕事をしていたらクリスマスだという事を忘れてしまいそうな気さえしてしまう。

既に18時の定時を過ぎて1時間が経過しようとしていた。眼鏡をかけた優秀な営業マン・柏木巧斗(かしわぎたくと)は、次の営業先に向けた資料作りを終えてから「フゥッ・・・」と小さく溜め息をつき、腕時計の時間を見て、形の良い眉をわずかに顰める。

巧斗は眼鏡が大変似合う美男であると同時に、営業成績が優秀である事、そして社内一のプレイボーイとして知らない人はいなかった。

だからこそ、そんな巧斗をよく知る営業本部のメンバーたちは、定時を過ぎても残業している巧斗を不思議な瞳で見つめる者が多かった。モテモテの巧斗なら、今日のような日は定時に上がり、予め約束している素敵な女性を高級レストランへとエスコートするのだろう、と容易に想像出来たから。

とうとうその違和感に耐えられなくなったのか、巧斗の隣に座る仕事仲間・深浦明(ふかうらあきら)が声をかけた。

「なぁなぁ、柏木〜。今日はクリスマスだぜ〜?こんな時間まで会社にいて大丈夫なのか?」

「仕方ないだろう?まだやらなければならない仕事があるんだから。」

「へぇ〜・・・・ってかさ〜、おまえって、今日女と約束してんじゃねぇの?」

明のその言葉を受けて、巧斗が鋭い目線で明を見たその時だった。巧斗の席の電話が『トゥルルル』と鳴ったのは。

巧斗のクールで鋭い視線に明は一瞬タジタジになったものの、巧斗が電話に出た事で解放される事になる。

定時を1時間ほど過ぎたにも関わらず、このような時間に電話してくるのはどの輩だろうか?仕事はなかなか終わらないし、明の言う通り、せっかくのクリスマスだというのに愛する女性と共に過ごす事すら出来ない。

この不満、そして怒りをどこにぶつければ良いのだろう。いっその事、この電話でそれらをぶつけてみようかと巧斗は心に思ったものの、最初はそんな雰囲気を微塵も出さずに穏やかに切り出した。

「はい。営業本部、柏木です。」

「あっ・・あの、管理本部の早乙女です。お疲れ様です〜。」

電話口から聞こえてきた、高くて可愛い女性の声。それは巧斗が予想だにしていない人物からのものだった。

彼女・早乙女由依(さおとめゆい)からの電話であれば、それまでの不満やら怒りやらは全て消し飛んでしまう。巧斗は一気に満たされた気持ちになりながら返事をした。

「あぁ・・お疲れ様、由依ちゃん。もう、俺とのクリスマスの夜が待てなくなってる?」

「ちっ、違いますよ〜!今は、お仕事で巧斗さんに内線してるんです。」

お互いに名前で呼び合うこの2人は、実は恋人同士という関係だ。

しかし、社内でこの事実を知っている人はあまりいない。元々所属している部署が違うのもあるし、自由な会社の為、呼び名で下の名前を使う人が多いからだ。

「そうなの?この際、仕事なんてそっちのけにして、君と話していたいんだけど・・・」

「じゃあ、私の仕事を終わらせてからにして下さい!1つだけ、巧斗さんにお聞きしたい事があるんです。」

「そうか。何かな?ひょっとして、俺の出勤簿とパソコンのデータが合わない?」

巧斗のその言葉に、由依は驚きながら「はい、その通りです・・・」と認める事しか出来なかった。

なぜ巧斗には分かってしまうのだろう?由依の仕事内容を理解しているからだろうか?それとも、何かそれに関する心当たりでもあったのか。

いずれにせよ、頭の回転が早く、とても気のきく巧斗に由依は恋焦がれてしまうばかりだった。

「・・今月の15日なんです。出勤簿では1時間の残業になっているんですけど、打刻された時間が20時10分になっていて・・・・」

「15日か・・・・そうだね。俺の残業は1時間で終わったんだけど、その後他の人の仕事を手伝ったような気がするよ。だから、打刻がその時間になってしまったんだろうね。19時に打刻を訂正してもらっていいよ。」

「えっ?いいんですか!?」

「うん、いいよ。自分の仕事での残業じゃないし。」

「えぇっ!?でっ、でも、他の方のお仕事のお手伝いをされたからこそ、ちゃんと残業として付けられた方が・・・」

由依がそう言うと、巧斗は可笑しいのか、小さく笑いながら由依に答えた。

「フフッ・・確かに。由依ちゃんの言う通りなのかもしれないけれど、今回に限ってはいいんだ。何より、由依ちゃんの仕事を増やしたくないからね。」

「そんな!巧斗さん、そこで変な気を遣わないで下さい!」

由依がそう言うと、巧斗は少しだけ間を置いてから口を開いた。

「・・・ねぇ、由依ちゃん。月末の上に年末だから、君のいる管理本部はとっても忙しいよね?だから、いいんだよ。出勤簿を直すより、打刻時間を訂正する方が、処理としては早いだろう?」

「そっ、それは・・・確かに巧斗さんの言う通りですけど、これが私のお仕事なので・・・」

「そうだね。でも、今回は打刻間違いって事で処理してもらっていいかな?」

巧斗にそこまで言われてしまっては、由依はこれ以上深く言及する事は出来ない。

何より巧斗に気を遣わせてしまった事が申し訳なくて、由依の中では納得しきれなかったものの、これ以上巧斗に何か言っても堂々巡りになる事は明白だった為、由依はそれを了承するしかなかった。

「分かりました・・・・じゃあ、打刻の方を修正しておきます。」

「うん、よろしくね。これで、由依ちゃんの用は済んだかな?」

「はい、ありがとうございました!それでは、失礼しま・・・」

「待って、由依ちゃん。俺は、言ったよね?仕事より、君と話していたいって。」

「えっ!?そっ、それは・・・」

由依が困ったように口ごもると、巧斗はチャンスとばかりに電話口で甘く囁いてみせた。

「・・つれないな。せっかくのクリスマスなのに、昨日由依ちゃんは寝ちゃってたし・・・今日もそうして、俺と触れ合ってくれないの?」

「ウッ!!た、巧斗さん。そんな風に、囁かれても・・・・!」

「本当は仕事なんてなければ、君を抱いていたいんだよ?」

「!で、ですから巧斗さん!そんな風に囁かないで下さいよ〜・・・」

受話器を直接耳に当てている為、巧斗の甘く低い囁きがダイレクトに由依の耳元に伝わってくる。

巧斗の甘く低い声に、由依は初めて出会った時からドキドキを感じていた。付き合い始めてから今も尚、巧斗のこの囁きだけにはどうしても勝てない。それを巧斗は分かっている上で、こうしているのだ。

一体、巧斗は何を考えているのだろう?由依はドキドキしながら、巧斗の次の言葉を待った。

「・・どうして?フフッ・・仕事に集中出来ないから?」

「ウゥッ。分かってらっしゃるなら、どうしてそんな事するんですか〜・・・」

「そんな可愛い由依ちゃんが、たまらなく好きだからだよ。」

「!!た、巧斗さん!そっ、そんな事言われたら!私も、巧斗さんの事が・・・あぁっ、違います〜!お仕事中ですから、このお話は後にして下さい!」

思わずその言葉を言いかけた由依だったが、周りの目が気になってそんな事を言える状況ではなかった。

巧斗が言っていた通り、管理本部は今月末の締め、そして年末という事もあって、てんてこ舞いの状態なのだ。部長以外のメンバーが普通に残業している中で、とても電話口で愛を囁ける状況ではなかった。

それは巧斗の所でも同じだろうに、なぜ巧斗はサラッと言えてしまうのだろうか?元々巧斗が社内一のプレイボーイである事は有名の為、そう言ったセリフを聞き慣れているのだろうか?それはそれでちょっと怖い職場だなぁ、などと由依は思いながら、巧斗の言葉に耳を傾けた。

「フフッ・・それじゃあ、仕事が終わったらたっぷりと、ね・・・・ねぇ、由依ちゃん。今日は、何時頃に仕事が終わりそうかな?」

「は、はい。予定では、8時なんですが・・・」

「そうか。じゃあ、後40分位って所かな?俺の方もそれ位で終わりそうだから、いつもの所で待ち合わせしようか。」

「はい、是非!良かったです。今日は何としても、巧斗さんにお会いしたかったので・・・」

「そうなの?今日に限らず、毎日そう思ってくれていいんだよ?」

「そっ、それは!巧斗さんの仰る通りですけれど・・・やっぱり、今日はクリスマスですから・・・」

「そうだね・・・・昨日のツケもあるから、明日の朝まで、君を離さないよ。覚悟しててね?」

「ウッ!!巧斗さんのイジワル・・・」

由依自身エッチな方だと自覚しているのだが、巧斗ははるかにその上をいっている気がする。けれど、そんな巧斗と愛し合う時間が何にも変えられない幸せな時間だと由依は感じているのだ。

しかし、職場ではどうしても素直にその気持ちが言えない。実際、巧斗は由依の事を半分からかっている為、由依がそうしてちょっぴり抵抗してみせると、巧斗は電話口で小さく笑っていた。

「フフッ・・ごめんね、『イジワル』な彼氏で。」

「いえ。そんな巧斗さんが・・・って、ですから〜!このお話は後でです!!」

「アハハハハッ!そうだね、分かったよ。それじゃあ、また後でね。お疲れ様。」

「はい、また後で!お疲れ様です!」

こうして、由依がルンルン気分で巧斗との電話を終えたと同時に降り注がれた視線。それは、特に隣に座る由依の上司・茅場圭吾(かやばけいご)と、由依の向かい側に座る先輩・橋谷舞子(はしやまいこ)からのものだった。

「由依。あのなぁ〜、おまえ・・・顔赤くなったり青くなったり、モロに出すぎだろ?」

「ウッ・・ごめんなさい、圭吾君。」

「茅場君?早乙女ちゃんをいじめてる暇があるのなら、とっととデータ上げてもらえる?」

「ヘイヘイ。ったく、ハッシーは人使いの荒いこって・・・」

圭吾がポリポリ頭をかきながらパソコンとにらめっこする一方で、舞子はそれまで圭吾に向けていた視線を由依に移した。

「あなただから、尚更そうなるのよ。それより、早乙女ちゃん?」

「はい、何でしょうか?橋谷さん。」

由依が舞子の方を見ると、舞子は暇そうに自分の付けているシルバーのペンダントをいじりながら由依に告げた。

「仕事が終わったら、巧斗とデートなんでしょ?明日出勤する時は、腰を痛めないようにね。」

「えっ!?は、橋谷さん!?」

「姉御!それって、まさかの下ネタですか!?」

舞子の通称『下僕』の斉藤稜(さいとうりょう)がそう尋ねると、舞子はけろっとした表情であっさりそれを肯定した。

「まさかも何も、それ以外何があるって言うのよ?」

「あっ、姉御!!それはちょっと、仕事中に出す話じゃあ・・・」

「だ〜って〜、茅場君がち〜っともデータ上げてくれないから、あたし暇なんだも〜ん。それの確認、及びチェックをすればあなたもあたしもここから解放されるのよ?下僕。あなたももう少し、茅場君の仕事の不出来さを叱咤してよね。」

「いや、姉御。さすがに俺にはちょっと、それは荷が重すぎですよ〜。」

何気に圭吾の事を小馬鹿にしている舞子はさすがだなぁ、と思いつつ、由依がようやく落ち着いて仕事に取り組んだ、その時だった。

「・・ねぇ、早乙女ちゃん。巧斗のシンボルって、なかなかのジャンボでしょ?」

「えっ!?」

「ダーーーーッッ!!ハッシー、仕事の邪魔するなーーーー!!!」

圭吾の怒声がこだまする管理本部。あぁ、いつもの光景だなぁ、と由依は思う一方で、舞子の発言があまりにも衝撃的すぎて、いつものように心の中で笑う事が出来なかった。

「何よ〜、茅場君には何も言ってないじゃない。あたしは、今早乙女ちゃんと話してるの。」

「そーゆー話は休憩時間にしろっての!!ハッシーを暇にさせてる俺が悪いのは分かってるけど!」

「自覚してるなら、口だけじゃなくて手も動かしてもらえる?あたしも早乙女ちゃんも、下ネタ大好きなんだも〜ん。仕方ないじゃない。ねぇ?早乙女ちゃん。」

「アハハハハハ〜。そうですね、橋谷さ〜ん。」

「おい、由依。そこで素直に賛同しなくていいっての・・・」

「ごめんなさい、圭吾君・・・」

「ちょっと、茅場く〜ん。データまだ〜?」

「後5分で上げるって〜の!!」

管理本部内で盛り上がる一方で、時刻は19時40分。後20分頑張れば、巧斗に会える。

昨日は仕事で疲れてしまった為、つい眠ってしまった由依だったが、今日は違う。巧斗に会える喜びと幸せを感じながら、由依は最後の追い込みをかけるべく、仕事に励んだのだった。これから過ごすクリスマスの時間に向かって・・・・・・・・・・

 

END.







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