明星
日が落ちるのが早くなったから。
自分の師匠は考え事を始めると時間なんか気にしないほうだから。
風邪でもひかれたら嫌だから。
だから、迎えに来たのだ。
きっと彼がいるだろう、この小高い丘の上に。
開けた視界の中、思ったとおり、ぽつんと置き去りにされたようにある小さく見える背中。
ナタクは近づいて声をかける。
「なにをしている?」
最初は蓬莱島にも一日があるのが不思議だった。
朝が来てやがて夜が来る。
こんな時間の止まったような場所にもやっぱり流れる時間があることが。
そんなことを思いながらその横に腰掛ける。
いつもなら笑顔で振り向いてくれる師はあいかわらず前を見たままで。
「見てるんだ」
でも、かけられた言葉にひかれるようにその顔を見て気がついた。
「何を。目を閉じているのに」
立てたひざの上にひじをついて、組み合わせた手の上にあごをのせて、それはそのまま遠くを見る姿勢なのに。
「うん?君も同じようにすれば見えるよ」
目を閉じたまま師は彼に言うのだ。
でも閉じられた瞳の先が、何かをとらえているようだったから。
ナタクも同じように目を閉じてみる。
そうやって「見えるもの」を見ようとしてみる。
「何も見えん」
でも、閉じた目に見えるものはやっぱりなくって。
いらだつようにナタクは言う。
「ホントに?ねえ、よく見てごらん、ナタク」
それでも律儀に目を閉じたままのナタクに太乙は言う。
「何にも見えん」
太乙が身じろぐ音がする。
衣擦れのその音は意外に大きく感じられて、驚いたナタクが目を開けようとしたそのとき。
「見えるよ」
閉じられた瞳の上にふわりと手が置かれた。
細いすべらかなその手の、でも印象を裏切るような高い熱。
それは寒い風の中でも、その存在の耀きのような強さを持って。
「ねえ」
じんわりと伝わってくるその熱が照らすそれは。
「見えん」
わかったのだ。
わかったのだけど。
でもわからなかったフリをして。
ナタクはその手を払う。
「見えたんじゃない?」
のぞきこむ太乙はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべていて。
瞳を閉じていたさっきまでの、その底に厳しさを含んだ表情はどこにもない。
ナタクはその表情に安心しながら、答える。
いつもと同じように。
「お前の言うことはオレには理解できん」
ナタクはわかってしまったのに、そう言う。
そうしてそれを太乙もわかってしまったはずなのに。
「ナタクは私の子だからね。いつかきっとわかるよ」
そんなふうに言う。
「じゃ、帰ろっか?」
太乙は立ち上がり、ナタクの手をとる。
太陽が落ち、急に暗さをました道を歩き出す。
こんなふうに小さな子供のように手をひかれて歩くことを、ナタクはひどく気恥ずかしく思った。
でも、うれしくないわけではないから。
そう思う自分はそれだけ子供なんだと思った。
それは奇妙なほどほっとできる現実、だった。
「太乙」
その大切な名前を呼びながら、ナタクは思う。
何にもわからない子供なら、きっとずっとここにいられる。
このやさしい、そうして自分をわかってくれる師のもとにいられる。
「何?」
振り向く笑顔。
自分に一番親しいもの。
「太乙」
本当はわかってしまったのだけど。
この笑顔を消して師が見つめていたもの。
わかってしまったのだけど。
でも、今はまだ。
師の傍にいつまでもいることはきっとできない。
でも、一緒にいた時間ははなくならない。
そういうことなのだ。
つながれた手を自分の意志で握り返す。
ふんわりした微笑みが返ってくる。
誰も何もなくさない。
ただ、それがあった場所にいられなくなるだけ。
だから。
目を閉じて。
あったものを思い浮かべて。
そうして。
目を開けて。
これから得るものを見据えて。
そんなふうに。
自分が得る「それ」を照らしているのはまだ師の耀き、なのかもしれない。
暗くなり始めた空に最初に耀く星と同じその名の耀き、なのかもしれない。
でもいつかは自分の力でつかむのだ。
「ナタク?帰ったら君の好きなもの作ろうか?」
何が欲しいとたずねてくれる師に少し甘えて。
そうして。
時が来るのを待つのだと、ナタクは思った。
end
40000Hitを踏ませていただき頂戴しました、太乙とナタク。
親子のような師弟のようなさらにそれ以上であるような。
揺るぎなくて微笑ましいふたりがとてもとても大好きで、そして彼らに「熱」を分けてもらっています。
あきさま、ありがとうございました。
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