「オレっち仙人サマにスカウトされちゃったさ。」
いつも通り扉ではなく欄干から上り入ってくる小さな子供は、開口一番そう言ってのけた。
イ ー ジ ー チ ョ イ ス
「・・・で、何をしにきたのだお前は。」
「べつに?遊びにきちゃダメだったさ?」
いつもの様に私の前に座る子供はそう言って月餅を頬張った。私だけの時には決して出される事の無い甘味。
その様子に溜息を一つつき、茶を淹れた杯に口をつける。
いつからだっただろうか、この奇妙とも言える時間が日常になったのは。
初めはこの太師府に子供が出入りすると言う事に眉を顰めもしたが、特に悪さを仕出かすでも無し。
別に府内に子猫やその類が入り込む事だってある。皆も子供位、と思う様になってきていた。
今では私が休憩の時を狙い定めたかの様に現れる子供の為に府内で一番小さな杯が専用として置かれている。
しかし茶と供に菓子も出される程この府に馴染んだ子供が此処へ来るなり言ったのだ。
「仙人にスカウトされた」のだと。人間界を、離れるかもしれないのだと。
だがその子供はそれっきりその事について何も触れようとしない。
只ゆっくりと時間は焦らずに流れていった。
「・・・遊びに来たっていうか、そーだんっていうか、考え事しにきたんさ。」
噛み潰した月餅を飲み込むと少し躊躇しながら子供は口を開く。
漸く話す気になったのだろうか。
子供は小さな杯で口を潤すとぽつぽつと話し始めた。
「スカウトされたのは別にいーんだけど、それってここをはなれなきゃダメなんでしょ?
仙人になったら強くなれるけど、そしたらオヤジの力にはなれねーさ。
でもここでなれる強さっていうのも限界があるし・・・。それに・・・、」
俯き瞳を影らせ、見た事の無い表情で小さく呟いた。
「それに、みんなとはなれるのはちょっとさみしーさ。」
ちょっと、何ていうのは只精一杯の強がりで。
本当はもっと寂しいと思っているだろう事はその初めて見る今にも泣き出しそうな顔で察する事はできた。
だからこそ、私は少し、その迎えに来たのだという崑崙の仙人を恨んだ。
普通仙人骨を持つ者を仙人界に連れて行くのは急激な環境の変化に着いて行ける様もっと幼い歳に連れて行く筈だ。
もしくは一人で物事を理解し行動できる様になった成人か。そのどちらかだ。
こんなどちらともつかぬ歳の子供を連れて行くのは少々異例とも言える。人間の多い崑崙ならば尚更。
あと十年、いや五年でも待てばいいものを、そこまで急ぐ必要が何処にあるのだろうか。悠久の時を約束された仙人が。
そんな事を考えながら黙っているとその子供は、弱音を吐いた事が恥ずかしかったのか赤い顔で身を乗り出した。
「そ、それより!聞太師は何で仙人になろうと思ったさ?!」
話を逸らそうとしている事は見え透いていて。それでも、今日は逸らされてやろうと思った。
「そうだな、私は・・・護ろうと思う物が有ったからだ。」
「まもるもの・・・?それって殷のことさっ?」
小さく頷いてやると、「やっぱり!」といって嬉しそうに笑った。
その顔を見て私も口の端を少し吊り上げた。但し、自嘲的とでも言うように。
護りたいものが有った。それは紛れも無い事実。しかし、違うのだ。
あの頃の私にはそれしかなく他には何も無かった、何としてでも護りたかった。それだけの事。
その為に、強くなると約束をしたのだ。
「少しは参考になったか?」
「ん、ありがとうさ・・・。」
「さぁ、私がお前に言ってやれる事はこれまでだ。どちらにするか、私は決めてやる事は出来ない。」
そう言うと、子供は「わかってる。」と言い眼を細め口の端をほんの少し歪めた。
初めから答えはこの子供の中に有った。守りたいものの有る、強さを求めるこの子には簡単な選択。
その為に負うリスクに戸惑っていただけで、どうするかなど此処へ来る前から決まっていたのだろう。
只その選択が間違っていないか確かめたかったのかもしれない。
同じ道の先を歩く私に。
「決めた。聞太師、おれっち仙人になる!」
そう言って私を真直ぐに見上げてくるその新緑色は吹っ切れたかの様に澄んでいて。
意味も無く、「強くなるだろうな」と感じた。
「飛虎達に相談しなくても良いのか?」
「うー、いいの!これはおれっちの問題さ。反対されてもせっとくするから!」
「そうか・・・。そこまで決めているのなら誰も反対は出来まい。」
「あ、おれっち今からオヤジや母ちゃん達に言ってくるさ!お茶とお菓子ごちそう様でしたっ!」
一旦手を合わせ頭を下げてからわたわたと忙しく椅子を降りる。
欄干へと背を向けたところを呼び止めた。
「仙人界へ上がる前にもう一度、また此処へこい。祝いに美味い菓子でも用意して待っているぞ。」
立ち上がりそう告げると驚いた様に大きな眼を更に大きく開いた。
そして力強く頷く。
「もちろん!」
それだけ叫ぶと欄干から飛び降り庭を横切り、やがて視界から消えていった。
いつもそうだ。風の様に現れては雲のように消えて行く。
あのつむじ風の様な子供が居なくなるとこの府も物寂しくなるな、などと。
私らしくも無い考えだと笑うと、休憩の終わりを告げる様に扉を叩く音が響いた。