「優しい焦り」

 天化はぼんやりして寝転がっている。
 ゆっくりと草花が揺れて若い薫りが漂う。爽やかな風が吹いて彼のまっすぐな髪を揺らしていた。
 青い空は限りなく澄んで彼が吸っている煙草の煙はゆっくりと昇りつつ途中で風に吹き消されていく。
 ぼんやりして自分の吐き出した煙を見つめている。遠くの方から天祥が呼びかける声が聞こえた。
「兄ちゃん!‥‥にいちゃーん!天化兄ちゃーん‥‥」
 天化はにやっと笑って起き上がると弟の姿を探して目をきょろっと動かした。天祥は丘を駆け上がって天化の方へやってくる。
 それをみて、苦笑いをしながら天化は立ち上がると服についた土をパンっと払って彼の方へ歩いていく。
 片手で煙草を口からつまみ出して気だるそうに話しかけた。
「おー‥転ぶんじゃねーさ‥‥俺っちは何処にも消えねーさ?のんびり歩いて来ーい‥‥」
 天化はそう叫んで縮んだ背筋を伸ばして大きく腕を伸ばした。指先からつまんでいる煙草の煙がうっすらと風に溶けていく。
 片手で煙草をにじり消すと指先にチリっと肌を焼く痛みが走る。天化は顔色を変えずにタバコの火を消して吸殻を投げ捨てた。肌に刺す痛みは心には響かない。
 天祥は明るい笑顔で走りながら、天化から目を離さない。天化は立ち止まって飛びついてくる天祥を抱き上げた。
 飛びつく瞬間、ドスンっと彼の体重は体にかかってくる。天化は腹に力を入れて彼を一気に抱き上げて肩の上に上げる。血の止まらない腹にじわっと天化の血が滲む。天化はそれをベストで隠して天祥に笑いかけた。
「‥‥はぁ‥重いさー‥天祥。そろそろ肩車もしんどいさぁ〜‥‥」
 普段弱音を吐かない天化の意外な言葉に天祥ははっとする。彼の頭を抱えつつ表情を一変させて顔を覗き込んだ。
「俺!歩く!」
 天祥はそう叫んで体を動かすが、天化はゲラゲラ笑って天祥の足を掴んだまま歩き出した。
 降りようとしてもがく天祥をニヤニヤ笑って担いだまま彼は言う。
「天祥もそのうち俺っちよりでっかくなるぜー。あはは!たくさん食ってでかくなるさ‥‥親父みたいにな。」
 彼はそう呟いて一気に丘を駆け下りていった。眼下に見える周軍の周営地を目指して駆けていく。
 天祥は急にスピードが出て慌てて天化の頭にしがみ付くと流れていく風景を見て頭上できゃーきゃー騒いでいた。
 天化はにやりと笑って調子が出るとピョンっと一跳ねして体を捻りながら飛び歩く。軽々と飛んで歩く天化に天祥は不安も一掃されてにっこりと元気に笑い始めた。
 それを四不象は丘の下からポツンと見ていたのだった。
 
 
 天化と天祥の父・黄飛虎が亡くなってから天祥は天化から離れない。天化は今まで以上に弟の傍にいて彼と一緒に遊んでいた。天化の体は日に日に悪くなっている。腹に出来た傷から毎日血液が失われている。この頃の天化の顔色は白くて元気がなくなってきている。それでも彼は弟の前では気丈に明るい笑顔を見せていた。
 四不象は彼を見つめていて気になって仕方がない。
(天化くん‥天祥くんの前では明るいけど、一人になると考え込んでるッスー‥‥何を思いつめているッスかねぇ〜?)
 広場で天祥と遊んでいる天化を見つめつつ四不象が溜息をつくと楊ゼンが聞く。
「四不象、太公望師叔は?」
 彼はそう呟いて傍にやってくる。四不象ははっとして『さぁ?知らないッスよ?』と答えた。
 楊ゼンは、また桃かな?、と考えてふっと溜息をつくと四不象から離れていく。四不象は離れていく彼を見ながら話しかけた。
「何ッスか?ご主人に急用なら探してくるッス!」
「ん?そうだね‥‥仙界もなくなったし、これからどうするか方針ぐらいは聞こうかな、と考えていたんだけど‥‥」
 楊ゼンはそう答えて振り返る。視界に天化たちが遊んでいる姿が入る。
 四不象は彼の隣でふんわり体を浮かばせると勇んで楊ゼンに話した。
「多分、元始天尊さまのところか太乙さんたちの特設ラボッス!ボク探して呼んで来るッスよ!」
「え?‥‥あぁ‥そうだね。じゃ、この辺で待ってようかな‥‥」
 楊ゼンはそう言ってにっこり笑うと、飛んでいく四不象を見送った。
 彼はそのままポケッとして天化たちを眺めていた。
 天化は天祥を肩に乗せたまま走ったり飛んだりして弟を楽しませている。本当なら寝ていなければ体力が落ちてしまう。しかし、楊ゼンは注意できずに見ている。腹からうっすらと出血の色が見える。天化は自分でも知っているはずだ。
 長くない。
 顔色の悪さから血液の不足を知る。じっとりと額に汗が滲んでいる。天化がこれぐらいの運動で汗を掻くはずがない。楊ゼンは切なくなって黙っていた。誰もが知っていて誰もが口には出さない。彼らに掛ける言葉が浮かばない。
 崑崙も金剛も消えた今、戦いは一時宙ぶらりんで立ち止まっていた。兵士たちは次の行動が思いつかずにぼんやりしている。天化たちの明るさが不気味なまでに浮いていた。
 彼らの両親は戦いで亡くなり、道士たちの多くは自分の師父を失った。天化の師父も例外なく殺されていた。その上彼は自分の体が負傷して思うままに動けずにいた。だから、天化はこの機会に一時戦線離脱すると楊ゼンは考えていたのだ。
(もしくは‥‥もう天化くんの体は使えないかも知れないな‥‥これからきつい戦いになりそうだ‥‥)
 ぼんやりと考えながら楊ゼンが見ていると天化が気づいて笑いかけてきた。
「何さぁ〜?楊ゼンさん?あーたも構って欲しいんかい?」
 天化は立ち止まって楊ゼンを見ると皮肉げににやりと笑う。天祥を担いだまま口に煙草を入れる。そのまま火をつけずにのんびり歩いてやってくる。天祥は天化の肩に乗ったまま楊ゼンを見下ろして笑っている。
 楊ゼンは苦笑いして言う。
「‥‥天祥くん、元気になったね。」
 天祥を見てそう言うと天祥は苦笑いして黙っていた。天化は彼の下で豪快にゲラゲラ笑って答える。
「ったりめーさぁ!何たって俺っちの弟は黄家の血をひく男だかんね!いつまでも泣いてられっかい!‥‥な?天祥、この兄ちゃんにちゃんと教えてやるさ。」
 明るく呼びかけると天祥は照れ笑いをしながら天化の頭に抱きついて言う。
「俺、これからお父さんの分もたくさん戦う!天化兄ちゃんも守ってあげるからね!」
 天祥はそう言って天化の髪の毛を抱きしめる。楊ゼンはそれを黙って見つめてにっこり笑う。彼には何も言えない。
 天化も抱きつかれて苦笑いしたまま目をそらしていた。彼はポツンと『俺っちは強ぇから守られなくても平気さ』と呟いた。
 そのまま抱きついている甘えん坊を無視して天化は楊ゼンに聞く。
「‥‥出発は決まったかい?」
 楊ゼンはぼんやりして聞いていた。やがて彼の言葉の意味に気がついて答える。
「‥‥。ん‥太公望師叔とこれから話すところなんだけど‥‥」
「早く決めるさ。太師が亡くなったって殷が消えたわけじゃねぇ。ボサボサしてっとダッキに逃げられるぜ。」
「‥そうだね‥‥だけど、体勢を立て直すのも‥大事かな‥‥」
 ぼんやりして呟くと天化はふふっと笑って頭をカリカリかく。口にくわえた煙草がくるっと動いて口端に移動する。彼はくわえたまま火をつけようとはしない。天祥と遊んでいる時は禁煙だ。
 天化は笑って答える。
「ふ‥‥ないものを搾り出すのは無理さ。これ以上仙道は減ることはあっても増えねーさ。人間の兵が落ち着いたらもう出発したらどうだい?俺っちがスースに提案してやるぜ。」
「(何でそんなに早く行きたがるのかなぁ‥‥)焦ることはないよ。そうでなくても‥‥ダッキは今のままでは太刀打ちできない。玉砕覚悟で突っ込むのは‥‥馬鹿と言うものだよ。」
「はは‥‥馬鹿、か‥(らしい一言さ‥‥)」
 天化が眉を高く上げて楊ゼンに照れ笑いを見せると四不象が背中に太公望をつれて戻ってきた。
 太公望は彼らをちらりと見て怒鳴りつけた。
「天化!寝ておれ!ここ一番で貧血で倒れるではないか!役立たずは置いていくぞ!」
 太公望は白い顔をして弟をあやしている彼をまず怒鳴りつけて睨む。天化は彼の言葉に答える。
「お?スース、俺っち使ってもらえっかい?へっへ‥‥さすがは軍師サマ、使える奴を知ってるぜ。」
「選り好みしておる余裕はないわ!(黙っててもついてくるくせに強がりじゃのーっ!)」
「(だったら最初から仙界戦で使ってりゃぁ‥‥親父が死ぬのを見ずに済んだぜ。)‥へっ‥‥ま、見てな。俺っちの実力の程をな。ダッキを討つのは俺っちの仕事さ。」
 天化は静かに呟いて天祥を肩から下ろす。
 太公望は彼を見つめていたが、それ以上何も言わずに楊ゼンに言う。
「楊ゼン、わしはちょっとこれから出かけてくるわい。殷への侵攻と戦場の指揮はわしが戻るまでおぬしに頼むぞ。」
「はい?‥‥どちらへ?」
「老子のところじゃ!」
「太上老君ですかっ?!(世捨て人と噂のっ!それが秘策かっ!)」
 叫んだ楊ゼンを見て気軽に『ではさらばじゃぁ〜』と太公望は飛んでいく。
 天化は彼を見送って『太上老君って何さ?ジジイ?』と呟いた。楊ゼンはふっと冷や汗を隠して笑うと『心配は要らないよ』と答えてその場を立ち去ったのだった。
 
 
 雷震子は楊ゼンの訓練中怒鳴っている。『何で俺様ばっかり狙われんだ?!てめーっ!他にもサボってる奴は山ほどいるだろ!天化はどうしたんだよー?!』
 道士の腕を上げる訓練を始めつつ、楊ゼンはふっと笑って振り返る。寝ている韋護の隣で天化もぐっすり寝ている。天祥は彼から離れてナタクにあやされている。天化はあまり動かなくなって怠け者になっていた。
 怒鳴る雷震子に天化はつまらなそうに答える。
「あーた、清源妙道真君サマの指導を受けられるなんて運がいいぜぇ‥‥何せ彼は弟子を取らねーことで有名だからさぁ‥‥」
 天化の口からトロ〜ンとのんびり煙草の煙が流れていく。
 のんびりした彼の周りの時間とは反対に雷震子は楊ゼンの攻撃から四苦八苦して逃げていた。
 天化は雷震子の挑発にも乗らず、ぼんやりして寝転んでいた。
 天祥はナタクの背中の上で笑いながら空を飛んで兄の寝ている姿を見下ろしていた。
(天化兄ちゃん具合悪いのかな‥?‥‥痛いかな‥‥俺、甘えすぎちゃったのかな?)
 チラチラ見ている彼の視線にナタクも気がついて彼の言う通り飛びながら問い掛ける。
「‥‥もう降りたいか?」
 呼びかけられて天祥はしばらく考えて言う。
「うん。‥‥俺も鍛えてもらいたい!」
 ナタクは彼の言葉を聞いて無表情で下降する。そのまま楊ゼンの方へやって来てナタクは『俺たちと戦え』と呟いた。
 楊ゼンは苦笑いして宝貝を握ると『2人かい?』と問い掛ける。天化はそれを黙って見つめていた。天祥は元気に槍を手にするとクルンクルンと回しながら間合いを詰めていく。歳と見かけの割に武芸の出来る子供だ。
 天化はしばらく見つめて頬杖をつく。ナタクが彼の援護をするのを見ながら試合を見始めた。
(‥‥案外、あいつは使える男さ。まだ、若いのが癪だけどな‥‥今のうちに鍛えておけばいざという時使えるぜ。)
 天化は弟を見つめてそう考えていた。
 小さな体に似合わず楊ゼンの隙を狙ってヒュルンっと風のように素早く動く。
 予想以上の動きに楊ゼンもにやりと笑ってナタクの動きと天祥の攻撃の間合いを見つめ始めた。
 細長い天祥の槍の俊敏な動きを見ていると飛虎の棒術を思い出す。天化はぼんやりしてそれを見つめる。
 飛虎の手の中で自由自在に動いて風を切る。バシンっという力強い音が耳に叩かれる。驚くほど大きなその衝撃音の後に雷光のような激震がやってくる。受け止めれば腕が痺れてしばらくは使い物にならない。
 強かった。誰が打ち込んでもびくともしなかった。天化にとってあれほどの”絶対的な強さ”は他にはなかったのだ。
 彼の最期を思い出す。
 降りしきる酸の雨の中、彼は体を溶かされながらも聞仲を思いっきり素手で殴っていた。
 2人は殴り合って力の限り喧嘩して泣いていた。逃げられたのに、最期まで戦った。どちらも引こうとしなかった。殷を思い最期まで戦った聞仲と、新しい時代に彼を引き込もうと説得を続けた父。死を賭して彼らは意地をぶつけ合っていた。
 天化は天祥と楊ゼンの試合を見ながら歯軋りする。隣で韋護は深く帽子をかぶって寝ている。
(‥‥死ぬな!‥そんな言葉は上っ面さ‥‥良く戦ったぜ‥良く戦ったぜ!よく生きたぜ!見届けてやったぜ!親父‥‥)
 天化の腰には楊ゼンから手渡された師父の宝貝が一度も使われずに刺さっていた。ずっしりとした存在感が体にくっついている。肌に触れれば一息に残りの生気を吸われて目眩がする。
 滅多に戦おうとしない人だ。血の気の多い天化に『勝負は参加することに意義があるっ!スポーツ万歳っ!』と教え込んでいた男だ。それが戦いの最中に死んだ。彼は最期まで『参加することに‥‥』などと言っていたのだろうか?
(いや‥‥死んだらダメさ‥‥あーたも馬鹿な師匠だったぜ‥参加したら多分そうなるだろうとは考えていたけどさ‥‥あっけなく逝っちまいやがって。‥‥死んでも勝てよ‥‥コーチ‥遣り残したことはなかったのか?)
 自分の寿命の尽きるまでに後悔は微塵も残したくない。天祥が生きる時代にダッキはいらない。
 天祥は目の前で元気に跳ね回っている。輝くばかりの生気が溢れていて彼は生きていることを楽しんでいる。
 楊ゼンの攻撃を体に受けつつ、楊ゼンの強さに彼自身身震いしている。目がキラキラと輝いて羨ましいほどだ。天化はそれを見つめて黙って口から煙を吐いた。
 目の前に覆っていた暗闇は天祥を見ていると晴れてくる気がする。何をするべきか、何が遣り残せるのか。
 天化が天祥の槍の動きを見つめて笑い始めた。韋護は隣でニヤニヤ笑って帽子の上から痒そうに髪の毛を掻いた。
 カッシャン!と天祥の軽い槍の音が鳴るのを聞く。熱い日差しに焼けてヤリ先がピカッと光った。
 その瞬間、天化は不意に韋護の隣から消えていた。韋護は不思議そうに帽子を持ち上げて消えた天化の姿を探した。
 ナタクは楊ゼンを狙った両腕を伸ばしたまま、じっと見つめていた。
 天化は天祥の前で師父から譲られた宝剣を振り払って彼を切りつけていた。不意打ちを受けた楊ゼンは呆然として切られた肌から流れる血を手で押えて天化の真剣な目を見ていた。
 天化の後ろで天祥がぼんやりして見ている。雷震子はかかかっと笑って言う。
「天化!やっぱり出てきたぜーっ!ホントはやりてーのか?!」
 天化は呆然として黙っている。目の奥で飛虎の魂魄が現れて消えていった。
 幻光が視界から消えると楊ゼンが何も言わずに黙って見ている。
 天化は気がついてにやっと笑い、言う。
「‥‥。へっ‥思わず出ちまったさ。見学は性にあわねぇ‥‥体力温存して向こうで寝るさ。」
 彼はそのまま宝剣の光を消すと気だるそうに煙草を吸いながら歩いて離れていく。
 天祥は気がついて慌てて走って追いかけた。背中に抱きつく天祥を天化は苦笑いして抱き上げた。楊ゼンは何も言わずに彼らを見送って雷震子に稽古を仕掛けなおしたのだった。
 
 
 天祥は天化から離れない。
 彼を守るのは自分しかいない。
 天祥は彼の体に甘えて縋りつきながら、まだ生きていることを実感して呟いた。
 『俺、早く兄ちゃんみたいに強くなろー!皆を守ってあげるんだ!』
 天化は苦笑いして見ているだけだ。小さな頃、父親に似たセリフを叫んだことを思い出した。
 
 
 
 
みずなみさんの『莫邪』に感化されました。戦いって切ないねぇ‥‥。
追悼モノは今まで真正面から書きたくなかったのだが、『そろそろ戦うかな?』なんて考えてしまいました。
強さを求める天化に楊ゼンは何を教えることができるのだろう?みずなみさんの視点に興味があります。
みずなみさん、これからも頑張って下さい。
tomoya

なんと小池知也さまにお話を頂戴いたしました。
嬉しくて、そして緊張します。
頑張ろう。
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