ただひとり


「あんたはもう天子じゃねえ。なぜなら誰もあんたを天子と思っちゃいねぇからさ」

怒号と土煙と剣戟と、その他あらゆる音の中でも、
その声は俺の耳にはっきり聞こえたのだ。

天化。

俺にも耳の痛いことを、あっさりと言ってくれるぜ。怖いほどの真実を。

それじゃあお前にとって俺はなんだ?
お前に言葉を届かせることもかなわねえ、俺は。
戦いの間は忘れていた腹の傷が疼いた。


お前にとって俺は王じゃねえ。どんなにお前が王サマ、と俺を呼ぼうと。
そんなことは俺たちともに承知のことだ。 お前に忠誠を誓われるなんて俺のほうから願い下げ。
俺たちの関係はそんなんじゃねえ。でも。

「スース!俺っち達もすぐ・・・」
苛立ち焦る天化の声が、今度は遠くに聞こえる。 けれどいったん混戦が終局したこの状況で、仙道だけの朝歌入城など太公望が許すはずもない。 あいつだってわかっているだろう。
それでも。
それでも言う。たぶんそういうヤツだから、俺にも紂王にも声が届くのだ。
言わない言葉は決して届かない。


天化の苛立ちを意識の片隅で感じつづけながら俺は軍を差配していく。 負傷兵の救護、捕虜の収容、しなければならないことは山とあるのだ。 次から次へと指示を出し、報告を受ける。
とにもかくにも俺は王だから。
三十万の軍、ありがたいことにその多くが生き残ってくれたようだった。 朝歌へ向かうのは五万でいい、か。さすがにそのへんは太公望にも聞かねーとな。 そうして動くと、また腹の傷が疼いた。

歩を進めるごとに天化の苛立ちが近くなる。
アホ顔の太公望と軽口を叩く間も、向こうを向いた天化のことばかりが気になっていた。

俺が心配してやらなきゃならねえヤツらは大勢いるのに。 ついさっきも数えたばかりじゃねえか。配下に三十万の兵。その後ろには百万の家族。 負傷したヤツ、死んだヤツ、これから生きていかなきゃいけねえヤツら。今この瞬間にも瀕死の兵だって幾人もいる。 俺はそいつらの王なのに。 どうしても気になるのはそこにただ立っているひとり。

俺は天化の王じゃねえのに。

俺たちの関係はそんなんじゃねえ、それでよかったはずなのに。
腹の痛みにすこしぼうっとなりながら、思わず願った。
王命でお前を引きとめられるなら、俺はお前の王になりたい、と。
それはいままでかけらも望まなかったこと、きっと傷が俺に願わせたのだ。

願いを言えば何かを壊す。確実に壊す。挙句にそれは叶わねえ。決して叶わねえ。
失ってそして何も得られない。
お前の背中が無機質な断崖絶壁に見えたよ。

けれど太公望との話を終えると俺は逡巡する暇ももたずお前の背中に呼びかけた。
ためらっている時間はないのだ。
言わない言葉は届かないのだ。

「天化」

     ***

「朝歌へは武王と軍が最初に入らねば意味がない」

そういう言葉が返ってくるとはわかっていた。でも。でもさ。
血がどくどくと流れ出ている。

革命を語るとき、「紂王は仙人サマに殺されました」じゃあ、新しい人間界とは言えないさね。
それは解るさ。スース、あーたは正しいのさ、いつも。

でも俺っちは、このまま死ぬのはどうしたって納得いかねえさ。

スースが、そして仙人界が望んでいるのは仙道のいない新しい人の世界。
武王の率いた軍、親父の鍛えた兵、それらはすべて人のもの。
ここまでえんえん歩いてきたのは人が歴史をつくるため。
スースの目指すモノだから、それは正しいと思うさ。
王サマのしてきたことを、無駄にしたいとも思わないさ。

でも。でも俺っちにはそんなこと、結局はどうでもいい。
俺っちにとって切実なのは、この傷がどうしようもなく広がったこと、それだけ。
心臓が鼓動を打つごとに血が流れ出る。そう、時間がないのさ。


戦わせてほしいさ。
確かめさせてほしいさ。
俺っちが生きたこと。オヤジを超えるために生きたこと。

俺っち自身が納得したいのさ。
ほかのすべてはいま俺っちにとって意味をもたねえ。


それはスースと王サマのこれまでを無にすることだと知っているけど。
俺っちは王サマに仕えたつもりは全然ない。
でもこれは裏切りというんだろう。

いやこれこそが。

王サマ。武王姫発。
最初会ったときには俺っちとたいして変わらない歳に見えたのに。
あーたにも長い革命だったさね。髭が伸びて、ちょっと肩幅広くなって。
どんどんどんどん変わっていく。あーたは人。
そして何よりあーたはほんとに王サマになった。

みんなから好かれて、そしてそれ以上の何か。
ついて行きたいと、盛り立ててやりたいと、結構たくさんの奴が思ってるさね。
あーたのために生きたいと思っている。
ほかのヤツにそう思わせるって、結構たいしたことなんじゃねえ?

でも悪いけど俺っちは。
あーたのためには生きられねえから。
あーただってそんなこと望んでねえさ?

そう、だから。

だからあーたは俺っちを止められねえ。


左手で傷を押さえる。全身が拍動を感じる。
右の拳を握り締める。
この望みだけは譲れねえ。


スースは俺っちを止めるだろう。
言葉で、そして力で。
それでも俺っちは行くさ。スースと戦ってでも。
勝てねえかどうかなんて、やってみなけりゃわからねえ。

スースは俺っちを止めるから。俺っちの望みを通すのにためらいはねえけど。

けどあーたのいままでを無に帰すのは。たぶんそれこそが、それだけが裏切り。

でも俺っちは自分に納得したいのさ。
オヤジの様に。
そんな俺っちをあーたはわかっちまう。だから止められねえ。

あーたは俺っちの王じゃないから。
俺っちが、俺っちのために生きること、それをこそわかってくれるから。
だから俺っちは。

あーたと別れる。


「天化」

聞き慣れた、そしていつもより少しこわばったその声に、俺っちはゆっくり振り向いた。

   ***

絶対にその言葉を、言うつもりだったのに。


振り向いた天化は真っ直ぐに俺を見て口をゆがめて無言で笑った。
声こそなかったけれど。
それはいつものお前の笑い顔。

負けず嫌いで意志が固くて皮肉屋な。
ばかやろう。
お前さっきまで、ぜってーそんな顔してなかっただろうに。

それがお前の答えなのかよ。
揺るがない、心を決めたその表情。
それはすげえ悲しいのに、悔しいのに、それなのに。

何てことだよ。俺はそいつを失いたくねえ。


喉の先まで出かかっていた引き止める言葉を、俺は捨てた。
願いを言って壊れる何かは、俺にとって大きすぎたのだ。

こんなふうに笑いかけられて、こんなふうに意地を張られて、こんなふうにわかってしまう、そんな関係。
おたがいに、ただひとり。

止められねえ。

どくん、と腹の傷もきしんだ。

お前を失いたくねえのに。どんな手段を使っても引き止めたいのに。
その願いは嘘じゃねえのに。


でも俺はなによりも、お前の友でいたいのだ。


王も臣も仙道も人間も関係なく、お前がひとりの男として望むことだから。
背中を叩いて送り出してやりたい、行ってこい、と。
引き止めたいのは俺の望みだけど。進みたいのは、お前の望みだから。

言えねえよ。いや、言わねえ。

ばかやろう、天化。
一言も言わないうちに俺の言いたかった言葉を奪いやがって。

言わない言葉は届かねえのに。
でも俺はわがままに、言葉が運ぶものよりもはるかに多くを望んでしまう。


俺は天化の視線を受ける。
ぐっと見返して、そしてふん、と鼻を鳴らした。
行けよ。
見ててやるから。もう二度と会えなくても、最期まで揺らがずに見届けてやるから。
お前が紂王を殺したって、人の世界は俺が何とかする。
望むとおりに、精一杯生きろよ。

そのまま俺は踵を返した。
一瞬視線を交わせば、それ以上の時間は必要ねえ。
俺はみんなの王に戻る。

また腹の傷が疼いた。
行ってこい、天化。



姫発は二度と振り帰らない。その姿が人の輪のなか見えなくなるまで天化は眺めた。

すまねぇさ、王サマ。んでもって、サンキューさ。


無言
Don't Copy 禁無断転載


1周年企画、ようやくひとつめです。
「姫発と天化」で、「友人としての永遠の別れの場面」を。
TENさま、リクエストありがとうございました。
1年間(と言いますかその前から)、とてもとてもお世話になりました。
ほかに遊びにいらしてくださっているみなさまにも、ありがとうございました、を。

このリクエスト、書きたい、けれどなかなか書けない、 というあたりを書く絶好の機会をいただいたと思います。
思い入れは山のようです(<客観的な文章を書きましょう)、 TENさま、どうぞご笑納くださいませ。
photo by しゃらくさま

02.01.23  水波 拝

02.01.28     追記

TENさまから相変わらず素敵な姫発と天化の挿絵をいただきましたv
今まで積み重ねてきた年月の重みをふたりともに感じました。
TENさま、ありがとうございました。どうかこれからもよろしくお願いします。
▲書斎へ
▲▲正門へ

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル