ありうべき


ねぇ。

「細胞には死がプログラムされているんだよ」

傷つけたいわけじゃなくてね。
ただ見ていられないだけなんだけど。

「永遠の生命なんてありえないモノ、君は望んでいたわけ?」

太乙は手元の資料からいっとき目を上げ私を見ると、またその瞳を伏せた。
そんなとき君の長い睫がきれいだなあってどうでもいいことを感じたりする。

「ありえないかな」

そうだねぇ、ありえないっていうのは言い過ぎだった。

「大腸菌なんかは死なないけどね。」
こんど太乙ははっきりとこっちを向いて嫌そうな顔。
はは、君が顔を上げてくれるなら言ってみる価値があるってものだよね。
話を続けるのにも張りが出るじゃない。

「個体の区別と永遠の生命は両立しないよ」

過去すなわち親とは異なる遺伝子を生成するため考案された「個体」。
それは同時に古い遺伝子を消去する「死」の獲得。それは生命の進化の賜物。

死は個体のすべての細胞にプログラムされている。ヒトにも蝶にも桜にもね。
そして自分と同じコピーしかつくらない大腸菌はふつう死なない。

だから。君が「誰か」を惜しむなら、その誰かとの別れは必然で不可欠。

そんなこと私の言葉で確認しなくたって君も知っていることだけど。
いまは私が言ってあげてもいいかなって思うんだよ。
いまの君を見ていられないから。

だからもちろん君はどうして、なんて聞き返してはこなかった。
すこし経って紡がれた言葉はこう。

「望んでる、のかな」

「どうなの?」
いくらいまの私でもそんな問いには答えられない。
もっと別の質問なら答えてあげるから。

「いけないかな」

そうそう。
それなら答えられる。甘やかしてあげてもいいよ。

「望んでもいいよ。で、君は望んでいたの」

太乙はしばらく首を傾げたあとそのままだまって横に振った。

甘やかせ甲斐のないひとだねえ。それは賢明な答えだよ。
ただしやっぱり苦しそうで見ていられないんだけど?

何より私としてはそれじゃあつまらないんだよね。

羽目を外した私たちを止めてくれるって人もめっきり減った。
でもだからこそたまには羽目を外してくれないと。
私たちはひとりだけで残されたわけじゃないから。

そうして私はそそのかす。
「どうして。望めばいいのに」
無理なんかしないで。

「ありえないのに?」
はは、ありえないってことは確認したんだね。でもね。

「ありえないなら望まないの?」

「だって」

私の言葉が「臆病だね」と聞こえたのか、太乙はすこし口を尖らせた。
うん、そう聞こえるなら自分の中に思うところがあるからだねぇ。

「いまも私たちの体の中ではたくさんの細胞が、 あるいはプログラムに従ってあるいは自分で選択して死んでいるけど。 だからって永遠を望んじゃいけないってことはないよ。そうでしょ?」

「ありえない」から「望まない」は論理的に導き出されるものじゃない。

望みたければ、望んだらいい。
違う、もう望んでしまっている。それを認めたらいい、それだけ。
それはありえない。どんなに研究を重ねても、叶わない。
そうと知ってもどうしても望んでしまう、そういうものじゃないのかねぇ。

だって生きていてほしかった、そうでしょ?
誰でもいい誰かじゃなくて、代わりのいない「誰か」に。

止めないよ。
いやそそのかしてるんだけど。

ほんとは私がそそのかすまでもないんだよね。
どうしようもないじゃない、その望みってさ。

どうしたって私がそれを望めないのと同様に。

ありえないから望まないのは、望んだことが叶わないのが辛いから。
それは賢明で臆病な選択肢。
それを選んだ私が言うんだからねぇ。間違いないって。
私はこれしか選ばない。

でも永遠のありえなさを確かめれば確かめるほど。
君にはそれを望んでほしい。

望んでもいいんだよ。
辛いけど。
でも。

誰か、に生きていてほしかったのはほんとうだから。

永遠の生命なんてありえないモノ、君はすでに望んでいる。
君の心のあるべきすがた。
実はうらやましいんだよ。私は望まないけど。

私が身勝手なのはいまに始まったことじゃないでしょ?

「望んでいいかな」

「ありえないけどね」

言って浮かべた私の笑みにつられてなのかすこし太乙の表情も緩んだ。
とりあえず見ていられないとは感じなくなったその整った顔。

私はただただ君の強さが嬉しくて笑っている、ただそれだけなんだけど。


それにしても、私が君を慰めるつもりだったのに。
どうして私が喜んでいるのかねぇ。

1周年感謝企画その2です。ちなみに、その2で終わりです。
「雲中子」に「笑って欲しいと。」
あきさま、リクエストほんとうにありがとうございました。
亭主の力不足からたいへんにお待たせいたしましたけれど、実は楽しくて楽しくて。
書いているあいだかけらも悲しくなくてただふわふわと笑っていたのは私自身でした。
雲中子さまの場の空気は不思議で幸せです。

必要な補足。大腸菌は「ふつうは」死にませんが、事故死はします。
温度湿度栄養その他必要な環境が整っていれば永遠に生きるそうですが、
環境に異変が起これば死んでしまい、ウイルスに感染したとき自死する機構も持っています。
もちろんヒトはどんなに環境が整っていようとも時が満ちれば死を迎えます。

お読みになると亭主の付け焼刃っぷりがあからさまになりますけど参考文献。
「死の起源 遺伝子からの問いかけ」田沼靖一 朝日選書 2001

01.02.04 水波 拝
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