家の構成



「ただいまっ!」
「おかえり」
「・・・フン」


(1)

その子が声を張り上げるから、だから自分は迎えに出るのだと太乙は胸のうちで呟いた。
迎えに出るなんて言ったってそうたいしたことをするわけでもない。
声が聞こえればラボから出てくる。居間で本を読んでいたのなら視線を上げる。
遠くからにぎやかな会話が聞こえれば庭先まで出たっていいかもしれない。
そんなささやかな行動だ。
たかだかこれだけのことだから。また声に出さずに呟いて太乙は自分でも不思議に思う。
私はこれだけのことをこれだけのことと言い訳せずにいられないみたいだ。

こんなこと、前からやっていたはずなんだけど。
それは嘘ではなかったが、無意識の底から浮かぶ言い訳を消せるほどの真実でもなかった。
ナタクと二人でいたときも、声が聞こえれば、あるいは何かの壊れる音がすれば、
とにかくナタクが帰って来たと気がつけば、いまと同じことはしたのだ。
気がつけば。
その頻度がいまと異なることは、毎日このときナタクの表情を見ることが嬉しくて仕方ない太乙自身の感情が証明している。

だって、気付かなかったんだもの。あの子だってただいまって言ってくれないしさ。
寂しかったのは私の方なんだけどと密かに拗ねてみせても、ナタクにそれを教えなかったのはほかならぬ太乙なのだから、誰を責めるわけにもいかない。

天祥がただいま、と言うから。
答えが返ることが期待されているから。
返事がなければ探しに来るから。

だから太乙は迎えに出る。
ナタクは天祥の横でただ立っている。そして一瞬太乙と目を交わす。
天祥がただいまと言ってくれるのも嬉しいけれど。いや、嬉しいというよりそれはこの家の当然の日常になったのだけれど。
それでも太乙はこの一瞬が嬉しい。

不思議だ、と太乙は思う。
その感情は角度を変えればすこしの悔しさで、目を見張る驚きで、そして心底からの感謝だったりする。
この子はナタクを変えてしまった。

違う、ナタクだけじゃない。たぶん私も。
私たちはむかしから、いまと変わらず互いが大事だ。
かつて二人でいたときだって、気付けばおかえりと迎えたようにナタクも太乙と視線を合わせた。
ただ二人ともとりたててそれを求め合うそぶりは見せず、結果その回数も多くはなかったというだけ。

それは変わらないけど、けれど私たちは変わったのだ。
この子のおかげで。

君がこの家に来てくれてよかったと思いながらもそうは言わずに。

太乙は胸の中にいろんな言い訳を抱きながらただおかえりと毎日ふたりを迎えに出る。



(2)

おかえりって言ってくれる人が家にいるから、だから帰ってきたときにはただいまと言うのだと。
天祥はそれを疑ってみたことはなかった。

はじめてこの建物に足を踏み入れたとき、天祥はナタクと一緒だったけれど、
そして太乙はもうその中にいたけれど、もちろん天祥はただいまとは言わなかった。

崑崙山2で飛んでいたときも、蓬莱島に着いてから太乙がとんかんとんかんとこれを建てていたときも、 天祥はナタクと太乙と一緒に生活していたけれど。そして今日からはここで暮らすのだと、ここでナタクと一緒に寝て起きて食事をするのだと、そういうつもりでもいたけれど。
そのとき「ただいま」なんて単語は頭の片隅にも浮かんでこなかった。
ただいまというのは自分の家に帰ってきたときの言葉だ。
ナタクもなにも言わなかったし。

もとよりすべてが目新しい建物に興味を引かれないはずはなく、中に入ってそのまま天祥とナタクは部屋部屋を隈なく回った。
とりあえず開くものはみんな開けてみて、閉まるものはみんな閉めてみて、覗き込んだりもぐってみたり上ってみたり下がってみたり、にぎやかにそうこうしていればそのうちに太乙のいた部屋にたどり着くのは当然のこと。
そのとき太乙は研究室で首を傾げてはああでもないこうでもないと資材を並べ返していたのだけれど、騒がしい二人が入ってきたから組んでいた腕を解いて振り返った。

「あ、おかえり。・・・え、やだ、もうこんな時間?」

「ただいまっ!」

そうして窓の外を見て慌てて、すぐここ片付けるから、ごめんねふたりともお腹空いたでしょ、ちょっと待っててなんて早口で続ける太乙に、天祥の元気な声が重なった。おかえりなさいって言われたから、だからただいまと言うのはこれしかありえない当然の反応で。

ごく自然に、無意識といっていいくらいの言葉を返してから、天祥は思った。
ここがぼくの家なのだと。
ただいまというのは自分の家に帰ってきたときの言葉だ。

横のナタクを見上げると、ナタクはフンと鼻を鳴らして太乙を見て、そうしたら太乙は微笑んだ。
そのときにはもうナタクは別の方を向いていたけれど、これがこの二人のただいまとおかえりらしいと天祥は知る。

ここがぼくの家なんだ、と天祥がそう思うのは、おかえりって言ってくれる人がいるからだ。
太乙は天祥の親でもなければ、師でもないけど。
ナタクと天祥も兄弟でも師弟でもないけど、それでも。

ここが天祥の家だから。
おかえりって声が返るから。
だから天祥は今日も声を張り上げて、ただいまっ!と元気にここへ帰る。
そのささやかな行為に太乙とナタクが照れながら感謝していることを、きっと彼はずっと知らない。



カウンタ12345を踏んでくださいました清さまに捧げます。
おいでくださって、そしてご申告くださってありがとうございます。
お題は「蓬莱島での太乙と天祥を中心に」ほのぼのと楽しく書かせていただきましたv

当初は二人きりで書くつもりだったんですけど、どうしてもこんな風に。
私がナタクを好きだからというより、天祥も太乙もナタクが好きなせいだということで(^^ゞ。
もちろんお互いにも好きでしょうが、ナタクが入るから一層深いのだと思います。
家を離れていても家族は厳然としてあり、共に暮らしてもだからといって家族ではなく、
けれど家は家としてあって、けれどその所以はやはりそこに暮らしているからではなく、
現実でもどう定義してよいものだか不思議です。

素敵なリクエストをありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

04.02.16 水波 拝

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