平らな世界



「顔も見せぬような輩の言うことなど聞けぬな」

目の前の桃盗人は私に向かって言い放った。
ごもっとも。
それがあなたの理念ですね。

この狭い小さな世界の中では、窃盗は死刑。
それは働かざるもの食うべからずと同義の定め、この世界の基本理念だ。

そして同じく、この仮面も。
彼はその意味に気がついているのだろう。

ここは下界と隔絶された、小さな完結した世界。
争いのない世界。
何故ならこの小さな世界は争いによってたやすく無に帰されてしまうから。
わずかな火種でも燃え始めればすぐに、そして誰もいなくなった、との結末を迎えるだろう。

何故この世界があるのかを私は知らない。
そこに義父の意思がどこまで関与しているかもわからない。
ただ私がここに来たとき既にここはひとつの世界としてあり、
そして既に十分に危ういほど小さかった。

だから私は仮面を着けた。
義父はただ夢の中で微笑ったから、彼には私がそうすることがわかっていたようだった。
そのうちに皆が仮面を付けた。
これは決して法ではなかったが。
いつのまにか私はこの世界の裁判長のようになっていた。

ここは個を消す仮面に覆われた場所。だから平等。だから争いがない。

この狭い世界では、自給しなければ自足できない。
故に働かなければ食べられない。
さらには働いて食べるものと働かずに食べるものとの二者を許容するほどの余地もないのだ。

平等、それがこの世界の理念。


「顔も見せぬような輩の言うことなど聞けぬな」

私がこの男を試しているのと同様に、この男もこの世界を、私を、試している。
広い外から吹いてきた一陣の風。
自ら個として立つと言っている。そして私にもそうしろと。

そう、この男と向かい合うには私も私でなければならないだろう。
彼を試し、そして見極めようとするならば。

あっさりと仮面をはずすと相手が少しうろたえたのが可笑しかった。
すべて人は、個人として尊重される。
それがあなたの理念。私もそれを共有することができるでしょう。
世界が十分に広くとも、その道は険しいけれど。

軽くなった髪に優しい風があたって、私は時が満ち始めるのを知った。
いずれ私達は桃源郷を離れることになるだろう。

それではよろしくね、太公望さん。


久しぶりに日本国憲法を読みました。
学生時代、「第13条の幸福追求権」なんて概念はもてあそんでも、
条文の文章を読んではいなかったようにいまさら思い返され赤面の至りです。
ではみなさま良いゴールデンウイークを(笑)。

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