迎春の鬼
ぼんやりと、白い日差しが満ちている。
窓枠に頬杖をつき向こうの空を眺めていた雷震子は窓を開けることにした。
風もなく、静かにおだやかに空気が動く。
寒くはない。
中庭に梅の枝がほころんでいるのも見えたが、ゆっくりと部屋の中に漂ってきたのは煎り豆の匂いだった。
「誰が鬼なんだ？」
ぼそっと外を向いたまま彼は呟く。
「小兄さまですよ」
それでも律儀で目敏く耳聡い兄が答えを返してくれるから。
「何でだ？！」
「適任でしょう」
いくら発兄とは言え仮にも一国の王がわざわざ、と思った常識人の弟は、兄の一言にあっさり沈んだ。
また、世界は静かになる。
念のために言っておけば、本日、ここ西岐の城では豆まき大会が催される。
厨房では仕度に余念がないようだ。
「何で鬼を払うんだ？」
今度弟は部屋の中に向き直り、旦に問いかける。
変わらず大豆の香ばしい匂いは鼻に届いてくるけれど。
「雷震子、立派な男は鬼のことなど語らないものですよ」
淡々とそう諭した兄はしかし、雷震子が不満に思う間もなく言葉を続けた。
「それはそれとして、そうですね、それこそがクニの役目だからですよ」
「はあ？」
豆撒きが？
でもってしかもそれなのに、王たる発兄が鬼なのか。
答えてくれるのはありがたいが、展開に雷震子はついていけない。
首を傾げる彼の耳を、きゃあきゃあと騒ぐ発や蝉玉たちの声が打った。
「貴方は行かないのですか」
書簡に眼を落としながら仕事熱心な下の兄はそんなことを言う。
「や、まあ、あとで覗きに行くけどよ」
静かな執務室に居るのもたまには悪くない。
雷震子にはするべき仕事があるわけでないが、だから一層居心地がいいのかもしれない。
能う限りこの部屋から脱け出そうとしている上の兄を思って、雷震子は少し笑った。
「旦兄は、何してるんだ？」
聞いてみて、聞いたのが初めてだということに雷震子は気づいた。
まつりごとについて彼はそういえば何も知らない。
何かを書き付けながら答えようとした周公旦は、ふと顔を上げ、筆を擱いた。
「鬼を払っているんですよ」
いつものお堅い表情のなかの、まっすぐな眼。
めずらしく手を止めてのこの答えは、たぶん冗談ではないのだけれど。
雷震子はまた首を傾げた。
まあ確かに、税収がどう、土地の区画がどう、戦災孤児がどうの市場がどうの訴訟がどうの言われても、中身を理解できたとは思えねぇけど。
鬼、ねぇ。
鬼を払い、福を招くのがきょうの祭り。幸あれかし、と人は祈る。
不幸せなことを減らす。好いことを増やす。
それがクニの仕事だと旦は言っているのだろう。
少し考えてそれに思い至った雷震子は、もういちど問いを繰り返さないわけにはいかなかった。
「で、何で発兄が鬼なんだ？」
鬼を払う仕事は、嫌なのかな。そんなことねぇよな。
雷震子の呟きに、周公旦は微かに表情を緩めた。
幸いにして、そうではありませんよ。雷震子を宥めてから、言葉を探す。
「わたしたちは、鬼なのですよ。だから、適任でしょう」
雷震子は、瞬きをした。
わからない。
いや、この答えじゃあわからねぇのは俺様だけじゃないはずだ、と思った彼はきっと正しい。
鬼を払うのが仕事だと言いながら、自身が鬼ではまったくもって世話はない。
「クニなんて、ない方がいいのか？」
「いいえ」
「鬼って、払わなくてもいいのか？」
「いいえ」
思いつく疑問には、それぞれきっぱりと答えが返る。
クニは不幸せの種だろうか。
否。そうではないはずだが、雷震子は自分がそんな現実も知っていたことに気がついた。
水を独占する領主。奪わなければ納めることの出来ない税。
それは西岐の話ではなかったが、そうであってもおかしくはない、と兄は言っている。
「鬼を払おうとしてても？」
「ええ」
「福を招こうとしてるだけでも？」
「ええ」
クニのちからは強大で、そして実際には何が鬼かも難しい問題なのですよ。
それにほんとうに鬼だとて、ただ追い払われるだけでは気の毒でしょう？
何か事情があるかもしれません。
彼にとっては私が鬼に見えるでしょうよ。
そうは言いながらこの兄が法を曲げることがないのも雷震子は知っている。
言うとこの下の兄は頷いて笑った。
「だから。小兄さまは適任でしょう？」
自分がすっかり説得されたことに気がついて、雷震子も苦笑する。
仕事に戻った周公旦を邪魔しないように雷震子は窓から飛び立ち、鬼の準備を整えただろう上の兄を冷やかしに行くことにしたのだった。
もう立春、もさらに日が変わってますが。
ほんとはもひとつ違うテーマもあったのに、完全に飛びました(^^ゞ。別途書けるかな？
ともあれ雷ちゃんと旦、という組み合わせが書きたかったのです。
雷ちゃんは案外自分でいろいろ考えて、旦に付いていくイメージです。
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