桃花の賑い



朝からやわらかく明るく陽が照って、ミミズもモグラも土から顔を出すような。
そんなのどかな一日に、でも蝉玉はいつものように元気だ。

「ねえ、ハニー見なかった?」

走ってくるなり軽く弾んだ息で問いかける。
そのたびごとに男たちは顔を見合わせて答えるのが常だった。

「さあのう」
「知らねえさ」

それは知っていてもいなくても同じ返事。
まあ何と言っても追われる者への同情も確かにあった。
そうでなくても彼女が持ち前のパワフルさで首尾よく相手を捕まえるか、
飽きずに追い続ける蝉玉を見ていられなくなった土行孫が自ら姿を現すか。
いずれにせよその日の鬼ごっこがめでたく終わることを誰もが知っていたのだから。

「ったく、どこ行ったのよハニー!
アタシたちこんなに愛し合っているのに!!」

高くてよく通る眩しい声だ。
愛してる、ならともかく、愛し合ってるかどうかなんて誰にもわからねえさ、などと内心突っ込む傍観者たちも 野暮は言わずにまた走り去っていく彼女を眺めている。


けれどうららかな今日、御簾の内からゆったりと穏やかな声が彼女に降り注がれた。
「精が出るのう、蝉玉。
じゃが、たまには私のところで休んで行かぬか?」
時には女同士で語らうのも悪くなかろう。
茶菓の用意も無くはないが?

足を止めた蝉玉は、わが身を包むぽかぽかとした陽気にふと気がつく。
「そうねたまにはおしゃべりも悪くないわねっ!」
そうして一時のちにはほのかに香の薫る浄室で、
甘いお菓子をお供にしながら話に花を咲かせていた。

「ハニーと私ってばもう絶対赤い糸で結ばれてんのよ!」
「あ、この桜餅美味しいわねえ」
「どうしてハニーってばあんなに照れ屋なのかしら!?」

ふむふむ、と微笑を絶やさずに純潔の仙女は話を聞いている。
赤雲と碧雲も控える室の様子はそれこそ土行孫が知ったら羨むこと違いなかった。
そして天化あたりが見たならどうして女って生き物は食って喋るだけにそうも時間を費やせるのさと呆れたことだろう。

「あんたたちは好きな人いないの?」
「ええと・・・いえまだ修行中の身ですから・・・」
「あら憧れている人がいたんじゃなかったっけ?」
遠慮のない蝉玉の質問に水を向けられた碧雲が歯切れ悪く返事をし、赤雲が茶々を入れ。
すべてを公主は面白がって聞いている。
「でも好きなら一緒にいたいじゃない!?」
「いえでも・・」
「そうね蔭から眺めているのも女のロマンかもねっ!」
きっと当人たちは至極まっとうに話しているつもりなのだろうけれど、
言葉の伝えるものというより言葉を交わすことそのものをより楽しんでいるように公主には見え、
その若いものたちの姿が愛しくて、ほほ、とひさしぶりに声をあげて笑いもした。

そしてふと彼女は席を立つ。
「公主さま?」
弟子たちの気遣う声にはすぐ戻るゆえ構わぬよ、と視線で答え、
じきに戻ったときにはふくよかな清しい香りをいっぱいに携えて来た。

「あら?」
その香りにいち早く反応して笑ったのは赤雲。
公主はそのまま黙ってとくとくと手ずから注いで。
「あら、公主さま!」
そこでようやく碧雲が悟ってまた笑った。
公主がみなに回したものは、酒、だった。

白磁の杯に透き通った酒、そして浮かんでいるのは刻んだ薄桃色の花びら。

先ほどまで漂っていた香の薫りとはまた違う心地よさが部屋を包む。
「おっしゃってくだされば私たちが用意いたしましたのに・・」
「まあたまにはよいであろう?私からの春の祝いじゃよ。」

そして珍しく言葉のない蝉玉のほうへと三人は振り向いた。
彼女はまだぼうっと杯を眺め、ほんのり上気した紅い頬は春の陽気そのものだった。
「キレイね・・・・・。公主、これ何?」
どこか心ここにあらずでもやっぱり褒めるのも問うのも率直な彼女。

「蝉玉、そなたこれは初めてか?そのように喜んでもらえると嬉しいが。
これは桃花酒というのじゃよ」
「「そして飲めば色白く美しくなると言われているのですわ」」
力説する二人の声がぴったりと重なった。

「そうなの?!」

美しいの一言に意識は現実に飛んで帰ってきたらしい。
公主は頷きかえして言葉を重ねる。
「おぬしもいける口であろう?飲むがよい、そなたの恋がうまくいくようにの」
蝉玉はからからと笑って答えた。
「あたしたちはもううまくいってるけど、でもやっぱり女はいつも美しさに磨きをかけなきゃねっ! いただくわっ!」

その言葉に竜吉公主はもう一度頷いた。
それはもうまっすぐに蝉玉を見つめて頷いたので、蝉玉は口付けた杯を離して問いかけた。
「公主?」

いや、失礼をした、と言いながら視線はまだ外れない。
「公主?どうかした?」
再度の問いにようやく答えが返った。

「おぬしの眩しさに吸い寄せられたのじゃよ」
桃花酒には厄払いの力もあるのじゃが、
おぬしには酒の手助けなどいらぬのう、と思うたら嬉しくての。

蝉玉はわからない、という顔のまま。
よい、気にするなと言いかけて公主はそれを止めたようだった。

「蝉玉。何よりもうまくいく、と信じることじゃよ。
そしてしかしそのための努力は怠らぬことじゃ。
おぬしがいまそうしておるように」

おぬしには容易かろう、と笑いかけられた蝉玉の返事は「もちろんよ!」
その掌の中で桃の花が元気にたぷんと揺れた。

そう、相手の心など本当はわからぬが。
ただおぬしに一点の曇りないなら。
それならば蝉玉、若く眩しいおぬし自身が邪を払うであろうよ。
うまくゆく。
春風に衣を緩めぬ者はおらぬゆえ。

その声は蝉玉に届いたのかとどいていないのか。

「おいしいわね、これ!」
杯を干した彼女に公主はまた一杯と注いだ。

「そうじゃの。たまには土行孫のところだけでなく、私たちとも過ごしてくれぬか?」
私も今日は久しぶりに若々しく晴れやかな日を過ごしたゆえ。
おぬしたちのお蔭で気分が良いわ。

そうしてまた女たちは笑いさざめいてひとしきり、酒と茶と菓子と話に興じた。


この日走り回って追われることのなかった土行孫には、
たぶんすこし物足りない春のうららだったのかもしれない。



ともかく春が書きたかったのです。
それから余所様で蝉玉ちゃんを拝見していて書きたくなったのです。
ということでいまさら臆面もなくひなまつり。桃花酒飲んでみたいなあ。
桃の花は刻む説刻まない説、酒も清酒説、白酒説とあったのですが、
亭主の好みで選びました。
ちなみに亭主は辛いものでも甘いものでも酒が飲めます。

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