「綺麗な花には棘があるのですよ」と朕に語ったのは誰だったか。
似合わないことを言う、と思ったものだ。
如何ほど礼儀に喧しく祭事に通じていようとも、
如何ほど博識でさらに能吏であろうとも、
あれは武人だ。
それが花の美しさを口にするなど面白いこともあるものだ、と
確かからかったのであっただろうか。
「手を出して火傷したことでもあるのか、おまえでも?」
その身の回りに女の影など一寸たりとも落ちていないと承知しながら言ったのだった。
そう、あれは朕が成人を迎える僅か前。
いつもの端厳な声で朕に語ったのは無論、聞仲であった。
戯言には返事がないのを当然としつつ朕は枝に手を伸ばした。
棘があると言われれば近づきたくなるのが人情ではないか。
太師はすでに幾人の王を育てたか知れないのに、このような人あしらいは未だに不得手であるらしい。
まだ開き切っていない固い花。濃い、濃い赤に朝露が載り光をはじいている。
注意を払って枝をつまめば、手を傷めずにこれを折るのは造作もないことであったが。
一旦は指先でつまんだ枝をぐっと拳に握りこんだ。
ぷつ、と掌の皮が裂けた音を鮮明に聴いた。
しくんと痛みが走ったのもごく当然のことだ。
そのまま力を込めて一枝を折り取る。
目の前に花を寄せて手を緩めれば赤い血が滲んでいた。
深紅の花を得るには相応しい対価ではないか。
ふ、と笑い、舐めとってしまえばすぐに止まると考えたところに太師が真白い布を差し出してきた。
何気なく受け、拭って見返した聞仲の顔は案外に真剣で驚いた。
思えばわざわざ布を汚すほどの傷ではなかった。
武術の稽古中なら放っておいてそのまま忘れる、いや、気づきもしないような傷だったはずだ。
訝しむ朕に太師は言った。
「お戯れの相手は花だけになさるよう」
王宮のなか女官が整えた花壷いっぱいの薔薇を眺めて、
朕は遥か遠い遠い記憶を懐かしく思い起こした。
遠い記憶だ。
あれから成人の儀を行い正妃を迎え、その姜妃もそして黄貴妃も二太子も、さらには聞仲さえもが既に去った。
記憶が朧であるのも自然のことだ。
鮮やかなのは真紅の花だけ。
記憶の色は濃く美しい。目の前のそれと同様に。
とはいえこの花壷に手を伸ばす気にはならぬな、と朕は笑った。
薔薇などに手を伸ばさずとも。
朕はその手で傍らの、妲己の肩を引き寄せた。
いくらなんでも薔薇はないだろう、と思いつつも書いてそのあと調べてみたら、
案外中国原産の薔薇はたくさん。(雲南←主な原産地と殷は違うという突っ込みもありますが)
日本原産のものもあります。万葉集に茨すなわちノイバラが出てきます。
西洋では紀元前から栽培され、
これと中国の薔薇が18〜19世紀に出会って
現在の主流たる四季咲き大輪の薔薇が生まれたとのこと。
祝、初の聞仲さま。とはいえ決して彼の話ではないですね。