「アンタでいいよ。・・いや、アンタじゃなきゃ。」
そう言われて僕は、幾分か途惑った。
自分を信頼してくれる者などいない、などと思っていたわけではないのだけれど、
この言葉は予想外の方向から予想外の強さをもって僕に投げかけられたから。
声の主は張奎くんだ。
「元始では金鰲の者は誰一人納得しないよ。もちろん俺も。
まして崑崙山のことしか考えていないアイツは問題外。」
元始天尊さまにも燃燈様にも聞かせるつもりでいるのだろう、そんな声量で彼は話す。
僕の位置からはお二人の表情は窺えない。
「俺では、アンタたちが納得しないだろう?
で、太上老君も申公豹も他人と関わる気がない、と」
分かりやすい消去法だ。仙人界の教主となるのは僕しかいない。
ナタクがフンと鼻を鳴らした。異議はない、というのだろう。
理論的にその結論を是としながらも、つい僕は口を滑らせた。
「太公望師叔が居てくだされば」
むっとしたように言葉が即座に返る。
「楊ゼン?俺は『アンタじゃなきゃ』って言ってんだけど?」
死んだやつにとらわれるなよ、と彼は続け、その科白に今度は僕がむっとした。
軽々しく「死んだ」なんて言ってもらいたくない。
けれどこの感情を口にすることは、それこそとらわれていることの証左でしかないから。
一瞬、刺のある沈黙が流れる。
努力して口を閉ざしたのに、そのことがまた
とらわれている僕の心を雄弁に伝えるのだから世話はない。
それだけ理解しながら表情を緩めることもできない僕を彼は憐れんだかもしれない。
「仙人界の教主はアンタがいい、楊ゼン。強いし、・・俺は信頼してる」
彼は繰り返す。
それは慰めるような響きにも聞こえた。
太公望師叔はもうどこにもいない。それは動かせない事実。
残った者から教主を選ぶしかないことも。
そして彼は僕を選んだらしい。
他人の下に自らをおくことをためらわない人のよさが、
僕の耳には新鮮にも苛立たしくも聞こえる。
聞仲、師叔、そして僕?
「張奎くん。どうして僕なんだい?」
この手の質問は八つ当たりなのだろう。
僕しかいない、と知っているのに。
けれど何かが僕を苛つかせる。その苛立ちのままに僕は問う。
こんな問いにも彼は答える言葉を探してくれる。
でもいまはその善意も気に障るのだ。
自分が問うたにもかかわらずどんな答えも待てなくて、
堪らずに僕は言葉を重ねた。
「僕が妖怪だから?」
それはあまりに口が過ぎるというべきだった。
そしてそれ以上に衝撃だったのは、うっかりこんな言葉を口にするほどに、
自分がまだこんなことを気にしているのか、ということだった。
「は?」
張奎くんはまじまじと僕を見詰めた。
口にした僕自身にとっても意外な言葉だったのだから、彼のこの反応は無理もない。
彼はそんなことで人を選ばない。そんなことわかっている。
それを疑うこの言葉は、無礼極まりない。
言った瞬間から後悔していたけれど、彼の視線に後悔は膨らんで、僕は視線を泳がせた。
あるいは僕は、人のいい彼を傷つけたかったのかもしれない。
と、彼はへえ、という顔をして、笑った。
そしてさばさばした口調で言った。3度目の同じ科白だ。
「楊ゼン、俺はアンタがいいんだ。」
でも、と彼は付け加えた。
「そう言えばアンタは妖怪だから、
金鰲のみんなを納得させるときに俺が楽できるな。
やっぱ教主はアンタが適任だろ。」
腹を立ててもいいはずなんだけれど。
このように軽く流す、彼はどうしようもなく人がいい。
彼にとってはほんとうにこの程度の意味しかないことなのかもしれない。
口にされたが故にそれは理由でないことを逆に納得した僕は、思わず問いを重ねた。
「仮に、太公望師叔がいらっしゃったらどうかな?」
彼は首をかしげる。
「太公望は教主って柄じゃないんじゃないの?」
ああ、そうだね。耳に響いた言葉は頭の中で映像になる。
「教主などと面倒なことワシはやらぬわ」と、言うに違いない師叔。
自分の中に生まれた師叔の迷惑そうなその表情に、僕はくすっと笑った。
失った人を思い出すのは、辛いことばかりではなかった。
そんなふうに僕は自分のことだけを考えていて、張奎くんの独り言を聞き逃すところだった。
「それに俺はたぶん太公望は選べないよ。どうしても聞仲さまのことを思うから」
僕らはとらわれている者どうしなのかもしれない。
そう考えたとき僕は自分の苛立ちを理解した。
僕は太公望師叔のかわりではありたくなかったのだった。
妖怪だから、という理由で選ばれた方がまだましだと思うほどに。
あの人がいたら、そもそも教主というシステムを必要とはしないのだろうけれど。
「ふっ・・、僕しかいないのかな?」
僕は流れる髪をすっと払いながら、僕はこの仕事を引き受けた。
張奎くんと楊ゼンさんでもうひとつ。
実は亭主かなり張奎くんがお気に入りです。
この楊ゼンさんは・・どうでしょう?
楊ゼンさんにしても張奎くんにしても、
人生、悟りは1度きりのことではないから大変です。
人に言えることが自分で実行できるとも限らないし・・。
(でもそれは、言わない理由にはならないし)
妙なあとがきになってしまいました・・。