元旦。武成王府は改まった空気の中にも、祝いの慶びがあふれていた。
何と言っても今この屋敷には、主黄飛虎をはじめとして妻と3人の息子、
2人の実弟、4人の義兄弟が居るのである。この大家族、しかも屈強な男たちが大半の
大家族が酒を酌み交わしているのだから、賑わしいのも当然だ。
賈氏と侍女たちが腕を振るった祝い膳を前に、箸の動きも止まらず、
話も、酒も、尽きない様子である。毎年のことながら、元旦の一日ずっと祝いの席は続くのだ。
だがひとしきり話に興じたあと、賈氏は夫に目配せをして席を立った。
2人は連れ立って外に出る。皆、笑って黙って見送った。
これも毎年のこと、賈氏は年に一度、元旦の日だけ武成王府から外出する。
後宮の黄貴妃と語らうためで、賈氏がこのときを心待ちにしていることを、屋敷中誰もが知っていた。
「あなた、」
肩を並べて庭を進みながら、賈氏は夫に呼びかける。
「あん?なんだ?」
そう返しながらも、飛虎はこの後に続く言葉を知っていた。
「本年も、よろしくお願いいたします」
自分を見上げる妻の目は、つよく美しい。かれこれ15年も前、はじめて自分を見つめたときと同じだ。
家同士が決めた婚姻だった。けれど「幾久しくお願い申し上げます」、そう言って顔を上げ、真っ直ぐ自分を見たその目に射られた瞬間、飛虎は心底この女に惚れたのだ。強く、聡く、美しい女性だと思った。この思いは、15年間一度も裏切られることはなかった。
「ああ、こちらこそな」
飛虎は、足を止めて妻を見下ろし、言葉を返した。
賈氏は微笑んだ。
ざわわ、と風が賈氏の黒髪を揺らし、竹林を騒がせて駆け抜けていく。
「ではいつものように、後宮の義妹に会いに行って来ますわ。お正月でもなければ、会えませんものね。」
「ああ。ついて行ってやりてえが、後宮に男は入れねえ。止めはしねえが、気をつけろよ。」
言って、飛虎は賈氏の小さな肩を抱いた。
* * *
昼下がり。大人たちはようやく宴たけなわというところ、子どもたちはお節にも満足して双六やら、独楽やらと遊んでいるところだった。
息せき切った兵士が1人、駆け込んで来る。
「武成王さま!奥方さまと、黄貴妃さまが!!」
武成王府は騒然となった。
「・・・賈氏と、黄氏が、死んだ?」
「・・はい」
「何故?」
「詳しいことは分かりませんが、お二方とも摘星楼から飛び降りられたと・・」
「・・その場に誰が居たのか、わかるか?」
「紂王陛下と、皇后さまがいらっしゃったと聞いております。」
「・・・」
それだけ聞けば、十分だった。臣下の妻が、君主に会うことは許されない。会えば君主の心はその女性に動かされるかも知れず、君主に望まれればその女は、そして臣下は、これを拒むことができないからだ。賈氏は、自分への義を貫いて、自ら身を投げたのだろう。そして黄氏も。妹が、兄の足枷になることを案じていると、想像はしていたのだ。・・想像はしていたのに、なんの手も打てなかった。
「言いにくい報告を、よく伝えてくれた。ご苦労だった。しばらく退がって休むがいい」
「は。」
「うっ・・」兵士が退がり、家族だけになると、天爵が喉を詰まらせた。
「かあさま、・・?どうしちゃったの?」事情がまだ飲み込めないらしい天祥の声が響く。
天禄は何も言えずに二人の弟の手を握る。
「もう黙っちゃいられねえぜ!」
「造反しかないでございますよ」
「そうだ、ここまでされて殷にいることなんかねえだろ。」
等々。大人たちは、黄飛虎に向かって口々に訴えた。
飛虎は、応えない。腕を組んで、ぐっと宙を睨んでいる。
「兄貴!」
「義兄上!!」
「うるせえ!ちょっとでいいから黙ってろ!」
一喝して飛虎は、目を閉じた。
丸くて大きくて、黒いひとみが、脳裏に浮かぶ。つい先ほど見たはずの、つよく美しい輝き。
ばかな奴だ・・俺に義を立ててくれたって、俺を愛してくれたって、死んでしまったらどうしようもないだろう?・・・信ずることのために命を懸けられる人間。部下なら褒めてやれるのに。妻には・・どんなかたちであろうと・・まず生きていて欲しかった。
わかってる、これは俺のわがままだ。
俺は、あいつがどんなに「生きていて」と願おうと、俺が命を懸けるべきだと信じたときには、命をいといはしないのだから。
あいつもそれを知っていた。俺が戦いに出るときには、ひっそりと、万が一の覚悟と備えをしていたことを、俺は知ってる。
あいつは俺と、同じ類の人間だった。だから惚れたんだ。
守られるだけじゃない、強く、聡く、美しい人間だった。
今でも惚れてるぜ、賈氏。
おまえの生き様を、愛している。
飛虎が目を開けると、庭の竹林の緑が目に飛び込んだ。
清冽な緑は、強い風にもしなやかに優しく揺れていた。
「明日、陛下にお会いする」
「兄上!?」
「そして、ここを立つ。行き先は西岐。」
「義兄上!!」
周りがわっと、喜びの声を上げる。
喜ぶか・・おまえはどうだ?賈氏。俺は切なくもあるが、おまえはこの感情も、俺と共にしてくれるか?
まあいい、俺が決めたことだ。
俺は俺が決めたように生きるよ、今まで通り。
そしてそう生きぬいて、死を迎えるときにも、きっとおまえを愛している。
じゃあな。
それでも、弱くとも醜くとも、生きていて欲しかったよ、賈氏。
ええと、1月24日は、旧正月でして。
中国では春節、と言うそうですが、お正月です。
よってお正月の話・・いえ、ただのこじつけです。暗いし。
最後の方の飛虎さん、ちょっとかなり別人だし。
(あまりしゃべらせない方がいいんだけど・・それじゃあまとめられない・・)
この手の話は、ふっと突然書きたくなるのです。
天化バージョンとかも書いてみたいなあ・・
「できた人たちだったさ」の裏側。
お節に双六、独楽なんかはお遊びです。
もっと適切な(殷周時代の中国での)ご馳走や遊びがあったら教えてください。
独楽はあったかなあ・・?双六は平安末期にはやったんだっけ?
(日本の話だろ、おい)