「もお、いいだろ?」
実のところ軍議はまだ半分も終わっていなかったのだが、話に飽きた武王が散会をねだって。
窘めようとした楊ゼンに太公望が何か耳打ちをした。
「仕方がないですね。今日だけですよ」
「まあ、たまにはよいであろうよ。では、これで解散としよう」
こうしてこの夜、武王たちはいつもより少しだけ長い自由時間を手に入れたのだった。
かがり火の深い朱色が辺りを照らし、ぱちぱちと木のはぜる音がする。
天化が煙草に火を点けると小さな灯りが浮かび上がった。
いい夜だ。
星空の下、からりと乾いた風が微かにそよぐ。月はなく、炎の映える漆黒の闇が綺麗だ。
ふうっと白い煙を吐き出す天化の横で姫発は寝転び空を見ている。
どーせ転がってるならさっさと寝ればいいのさ。
そんな突っ込みが適当な刻限だったがそうは言わず、天化もただ煙草をくゆらせる。
篝火の向こうでは太公望と楊ゼンが何やら額をつきあわせ、天幕の中で終わったはずの軍議を再開している様子だった。
そう、誰もまだ寝む気にならない。今日はそんな夜だ。
静かにひそやかに、でも皆が闇のなか目覚めている。
一言も口を開かないまま一本目の煙草を吸い切った天化がじっ、と軽い音を立てて火を消したのと。
珍しくも沈黙を保っていた姫発がおっ、と声をあげて身を起こそうとしたのと。
通りかかった蝉玉がからかいまじりのよく通る声を掛けてきたのはほとんど同時だった。
「アンタたち、何やってんの?」
「おー。」
姫発はそのまま身を起こして蝉玉に、ひょっとすると脇にいた土行孫だけにか、手を振った。
「ちょっと来てみろよ。いいモン見れるぜ」
へっ?と驚いたのは天化だ。
先刻からずっと傍にいて、「いいモン見れるぜ」なんて言葉に思い当たる出来事も会話も全くなかったのだから。
プリンちゃんでも通りかかったさ?まさかね。そんなことが無かったと知っているのに姫発と土行孫という組み合わせだけでそう連想してしまうのはやはり偏見というものだろうかと、思いつきに少しだけ反省しながら天化は首を傾げる。
「なに?」
近づいてきた蝉玉が尋ねたのは当然だが、姫発は笑って答えない。
蝉玉がもの問いたげな視線を天化に移すのもこれまた当然だが、皆目見当もつかなかった天化は首を振った。
「俺っちも知らねえさ」
「何よ、意地悪ねっ!」
天化の返答を「隠している」と取ったらしい蝉玉がむくれる。んなこと言われても知らねえものは知らねえさ、そう答えたら蝉玉はますますふくれて天化は首をすくめた。
元凶の姫発はにやにやとそれを眺めて面白がっている。
「王サマ、いーかげんにするさ」
結局のところ蝉玉と一緒に姫発に遊ばれている天化の科白に彼が動じるはずもない。
やはり笑って答えないまま。天化は諦めてふうっと大きな息をついた。
まあ少なくとも王サマはモグラにだけ声を掛けたってわけじゃねぇみたいさ。
確かにプリンちゃんの出てくる余地は無いさ。王サマ、さっきまで空だけ見てたんだかんね。
天化は新しい煙草に火を点けて、何となく空を見上げる。
あ。
丁度それが天化の視界の端を掠めて流れた。
なるほど、さっきこれを見て王サマは起き上がったのさ?
「分かったさ」
「あ、黙ってろって」
姫発が言ってももう遅い。
「空?」
天化の反応に蝉玉も土行孫も空を見上げる。
「空がどうかした?」
月のない、星の綺麗な空。いつもと変わりない。
「んー。すぐには見えねえかも知れねえさ。寝っ転がって待ってるといいさ」
天化はさっき姫発がそうしていたように転がって、一つ大きな欠伸をした。
「わかった、流れ星ねっ?」
蝉玉の言葉に天化は答えない。姫発も答えずにまた寝転がる。
何時の間にか土行孫もそれに倣っていて、一瞬ためらった蝉玉も心を決めたようだ。
「うわあ」
ただ首だけで見上げるのとは、空の広さが違う。
星が流れていなくても、それは十分に壮観だった。
「素敵ねっ、ハニー」
語ったのはひとことだけ、蝉玉も星を眺める。
いつもそれくらいで黙ってりゃ文句なくカワイイ女なのになあ、と土行孫が思ったのはまあ理解できる、というより同情に値するところだが、天化が同じ感想を抱くのはたぶん余計なお世話というものか。
姫発はすげーだろ、と自慢げに鼻を鳴らし、あーたの空じゃないさ、と天化は肘をつついて突っ込む。
笑みを含んだ沈黙に、空を眺めたまま。
次の一瞬、四人は言葉を呑んだ。
「きゃあv」
最初に声を発したのはやはり蝉玉。
そう、白い星がすうっと南の空を横に流れたのだ。
喜びを隠さない声に、姫発も天化も起き上がって。蝉玉に視線を遣れば自ずと笑みが零れる。
「綺麗ねえ。ね、ね、ハニー、何をお願いした?」
はしゃいで問うその様に、あー、これはこれでイイ女だよななんて姫発は思う。
とはいえ問い詰められている土行孫にはそう考える余裕はないようだ。
「い、いや、その・・」
蝉玉、首に手を掛けての尋問はやりすぎさあ。
天化は目を白黒させている土行孫に助け舟を出してやった。
「あんたこそ何を願ったのさ?」
答えは明快、何のためらいもなく口にされ。
「もっちろん、「ハニーとふたりで幸せになるわっ!」って決まってるでしょ。」
「蝉玉、それって「お願い」とは違う気がするさ・・・」
それって決意表明さ。
「なーに小さなことにこだわってんのよ。アンタは何を願ったの?」
「俺っちは別に・・」
「俺は素敵なプリンちゃんに出会えるように、だな」
「アンタのは聞かなくたってわかるわよ。それはそうと天化、隠し事なんて男らしくないわよ」
「だって俺っちホントに何も願ってないさ。」
実際、天化は流れ星に願いを掛けるなんてこと思いつきもしなかったのだ。
「えー、何やってるのよ。そんなんだからアンタ彼女の一つもできないのよ?」
「うんうん、全くだな」
悪乗りした王サマが蝉玉に加勢する。それはさすがに天化の分が悪い。
「ほっといて欲しいさ。だいたい俺っちの願い事なんか聞いてどーするさ」
焦った天化が捨て鉢に言うと。
「あっ、そうだったわ。そーよ、アンタのことなんかどーでもいいのよ。それよりハニーよ。」
うっ。
いくらその気のない天化で相手が土行孫ひとすじの蝉玉だといえども、女の子にアンタのことなんかどーでもいいなんて言われればそれなりに傷ついてもやむを得ないところであって。いやそんなことより。
折角逸らした話は結局巡って土行孫のところへ戻ってしまったのだった。
しまったさ・・。
当の土行孫は蝉玉の視線に一歩後じさっている。
「ハニー?!」
「うっ・・・」
蝉玉は構わず実力行使にでた。こうなるともう天化にも姫発にも割って入る余地はなく。
「ぎゃーっ!わ、わかったからこの手を離せっつーの。言えばいいんだろ言えば」
土行孫が観念するのにさしたる時間は必要なかった。
しかし蝉玉が手を離しても土行孫は言葉をためらう。
そりゃあ、そうさね。天化は心底モグラに同情した。
蝉玉が怒り出すのが目に見えていることなんて言いたいわけもなく。
蝉玉が喜ぶことならそれこそ照れくさくて言いたくないところだ。
あ、もしかして俺っちたち席外したほうがいいさ?
思い至った天化が姫発の袖を引こうとする間もなく。
「ハニー?!」
蝉玉がもう一度実力行使に訴えようとして土行孫は慌てて言った。
「う・・・、「いい男になれますように」だよっ!」
早口で言うと彼はそそくさと地中に姿を消した。
居たたまれずに、三十六計逃げるに如かずということで。
土行孫をその視界から失った蝉玉はというと、眼の焦点が合ってない。
土行孫へと伸ばすはずだった手をたらんと下げて呆然と坐り込んでいる。
「おーい、蝉玉?」
姫発が蝉玉の目の前で手を振ったが、反応はない。
「怒り出すかと思ったさ」
天化がぼそっと呟くと、姫発が聞きとがめる。
「え、何でだ?狂喜するかと思ったぜ?」
二人は顔を見合わせる。誰のために「いい男」を目指すのか。土行孫は何も言っていない。
「そっか。蝉玉のためかもしれないさ?」
「まあ確かにこのさき会うプリンちゃんのためかも知れねえけどな」
お互いの思いつきを交換し、そしてもう一度蝉玉を見。
「そっ、そうよねっ!私のためよねっ!ああっ、ハニー愛してるわっ!」
不意に復活した蝉玉はすっくと立ちあがった。
二人には「じゃあねっ!おやすみ!」と高らかな声を残して、土行孫の天幕目指して駆けていく。
「・・・だからアンタのためかどうかは定かじゃないさ・・・」
「まあ、いいんじゃねえの?」
天化は首を振り、武王は大笑する。結局はつられて天化も笑った。
天頂をもうひとつ星が流れる。
今度は二人とも気付かない。
「王サマ、俺っちたちもそろそろ寝るさ。」
「そーだな」
ふわわ、と天化はもうひとつ大きな欠伸をし、今夜はやけに疲れたさ、とひとりごちる。
姫発も大きく伸びをして、くくっと溢れる思い出し笑いに腹が痛ぇな、と呟く。
「王サマ、今日は流れ星が見られるって知ってたのさ?」
天幕へと向かって歩きながら、天化が尋ねると姫発はあっさり否定した。
「いーや、全然。俺って、運がいいだろ?」
「はいはい、言ってるさ」
軽口を叩きながら二人の声も遠ざかっていった。
篝火の下、残るのは太公望と楊ゼンふたり。
ぱちぱちと木のはぜる音が闇に響く。
「やれやれ、やっと静かになったわ。にしてもあやつ今日が流星の盛りだと知らなんだのか。だから折角休みをやったとゆうに。」
「太公望師叔、貴方ほど星の運行に詳しい方がそうそう居る筈がないでしょう。
それにしても、ほんとうに今日は星見によい空合いでしたね。」
「おお、また流れたわ」
「何か願われますか?」
太公望と楊ゼンは顔を見合わせ、瞳の中を探り合う。
「うーむ、あやつらがもう少し大人しくなることでも願うかのう?」
「よくおっしゃいますね。ご自分でもあの賑やかさを楽しんでいらっしゃる癖に」
太公望は呵々と笑う。
「願いを口にしては叶うものも叶わないだろうよ。だからよかろう。」
「彼らも散々願いを人に聞かせてしまっていましたけどね」
「にょほほ、もはや星には叶えてもらえぬのう。・・・自分で何とかするであろうよ、結構なことだ」
「ああ、また星が」
実は今夜降る星の盛りはもう少し夜が更けてから。
若者たちが知らない静けさと深い闇と白い星、ふたりはいましばし悠々と楽しむのだった。
井ノ上涼さまに頂きました素敵なお話のお礼に、天化、蝉玉、姫発の若い三人組。
ご注文に土行孫は入っていないのですけれど、そこはどうかご容赦ください。
若いってなんだろう、と考えたら若くない人たちまで何時の間にか出張ってきました。
(楊ゼンさんを若くないに分類したら怒られるかな?ごめんなさい、楊ゼンさん)
四人組は、いえ紅一点の蝉玉ちゃんは、書いていてとても楽しいですv
井ノ上さまにも楽しんでいただけましたら幸いです。
天化、目がいいうえに運がいい・・おととしのしし座ほどの流星群でしたらともかく、
流れ星なんてなかなかちらっと見て見れるようなものではありませんね。
さて、そのしし座ほどのものは明らかに望みすぎですが、今年はなかなかいいのがないようですね。
今年の流れ星はこんな感じで(まるせのぺーじ)、
この話は一応7/29前後のみずがめ座デルタによる設定です。見られるといいな。
03.07.21 水波 拝