「ふわわわわ」
大きなあくびをすると、不意に声が降ってきた。
「この期に及んで、まだ眠っていたのですか。まったく、相変わらずですね」
「この期に及んで、っていつもとおなじ一日だよ?まあ、ちょっと暑いかもしれないけどね」
私は眠い目をこすって声の主に返した。目をこするなんてことのできる肉体がまだ残っていれば、の話だけれど。
「確かに、そうですね」
まったくあなたは、そんなところも悠久の時を経ても変わらない。
そう応えた彼も、相変わらずで笑んでいた。知りたがり、動きたがりの大きな眼の輝きがむかしのまま。
それらはもうかたちとしてはいまここにはないものだけれど、やっぱり変わらないのだ。
「久しぶりだけど、元気そうじゃない」
言ってやると、はっきりと笑われた。
「ここは、見飽きることがありませんからね」
いつもそうだ。
彼はひとところには留まらず、この星のあちらこちらを覗きまわる。
不意に私のところに来て、喋る。
またいなくなり、また現れる。そしていつも目を輝かせて笑んでいる。
いつになってもとどまることを知らない。
彼の相方が天寿を迎え、繁殖力を誇ったヒトの進化が代を譲り、仙道がみな朽ちて、そうして数多の生き物の交代を見た。そのどれをも、大きな瞳は細大漏らさず眺めていた。
精神の入れ物としての肉体は、物質である以上必ず朽ちる。
けれど漆黒の瞳が表しているものは変わらない。
彼がそれを手放したのも、私のからだが風に溶けたのも、いつのことだったか覚えてはいないんだけど。
私たちは変わらずに、元気で、折節おなじ時を過ごした。
ふわわわわ。
まあ、それもそろそろ十二分に楽しんだかな。
「それで?」
今日の今日、この日の訪問の理由に水を向けてみる。
おそらくは今日がその節目だと、私も彼も何となくわかるから。
これがまた、この星に「一日」なんてものがまだ残っていればの話だけれど。
「愚痴を聞いてもらいに来たんですよ」
ほら。
めずらしいどころではない初めての話題にも、私はさして驚かない。
彼も私が驚かないことを当然として、話す。
「彼との勝負はとっておいたのにですよ、結局、ケリがつけられませんでした」
そうだねえ。
あんまり予想通りの愚痴だったから、答えてあげるのもめんどくさい。
けれどその反応には不満らしくて、彼はぎろっとこちらを睨んでくる。
「それは残念だったね」
仕方がないからご要望に応えたら、やっぱり睨まれた。
「心にもないことをおっしゃいますね、あなたも」
あはは。
「キミはケリをつけなかったぶん楽しんだろうに」
「まあ、そうですけど」
けれどこう、腹立たしいじゃありませんか。
彼と来たらニョホホと捉えどころのないまま。
彼はここにいるはずですからね。それなのにケリをつけないままとは。
「彼がここにいるって分かるのかな?」
「いますよ」
軽くからかったつもりだったけれど、きっぱり返された。
彼の気配はもう私には辿れない。彼がその持てる能力のすべてを身を隠すことに費やしていれば、
申公豹にも辿れないはずだった。
「信用してるんだね」
「ただの事実です」
私の言葉に申公豹は顔をしかめる。剣呑な気も相変わらずだ。
面白いからもう少し遊んでみる。
「ではキミは、彼にふられたわけだね。彼にはともかく太母に負けたんだ」
「だから愚痴だといっているでしょう」
彼はここを捨てることもできただろうけど。
彼がここにいるのなら、それはマザーと共に在るということ。
ならば彼らはいましばしここに居るだろう。
さらにその身を大きく広げて。
今日はこの星の最後の日。
大きく膨れ上がった太陽に、やがてここは溶けてゆく。
さらにしばしの時を経て、太陽は自らのかたちを保てず宇宙に広がる。
彼らはそれも見届けるだろう。
この星の太母は宇宙の太母になるのだ。
「そう。まあ、今日ぐらいは愚痴を聞いてあげてもいいよ。最期だからね」
太母ではない私は、そろそろ節目を迎えてもいいだろう。今日まで十分に楽しませてもらったから。
そして彼も、そう考えているのだ。
「そうですよ。最期の日ぐらい何かあってもいいでしょう?まったく薄情なんですから」
それは私に向けられた苦情ではなかったから、私はただ笑った。
申公豹も口ほど気分を害しているわけでないのはいつものこと。
そうして私たちが目を見交わしたそのとき。
ふわっと。
ありえない方向から風が吹いた。
「まったく、だから腹立たしいというのですよ」
かたちのない別れの言葉をひとつ、確かに私たちは受け取って。
この星とともに眠りに就く。
おやすみ、とそっとひとこと。
どこかで彼も、かたちはなくとも、これを受け取って笑っているに違いない。
長生き、させすぎましたでしょうか。天文学的長生き。
どの人物を想定してのお題か・・・思いっきり外している可能性も高いですね。
リクエストありがとうございました。ご希望に添えているといいのですが(^^ゞ
どなたからのリクエストかわからないのはやっぱりどきどきですね。
ちなみにリクエスト頂いた文章の先後は、厳正なる抽選(笑)によっています。
さて、地球の寿命は太陽の寿命とほぼ同じ、おそらくあと50億年。(
ほぼ日あたりで(^o^)
ちなみに宇宙の寿命は無限で、いまの年齢は137億歳、との
観測結果が有力。
国立科学博物館バーチャルミュージアムで、
太陽/
宇宙についての質問箱など。
老荘というのは案外自然科学、らしいですよ(笑)。