「お菓子、食べたいな・・・」
大人たちが辛いの甘いのと食の好みで大騒ぎをしているころ。
稽古を終えて一休み中の兄弟たちの間でも天祥が呟いた。
これは、少々まずい事態かも。とっさに返事のできなかった天禄は、内心ではかなり焦った。
「・・・何か持って来てもらうかい?天祥」
それから言葉を継いではみたものの、どうやら天禄の予想は正しかったようだった。
「そんなんじゃなくって。・・・・ううん、いい。ごめん、兄さま」
天禄は天爵と顔を見合わせる。天爵はひどく困った表情で、おそらく自分もそうであるに違いなかった。
いかに辛い料理の多い西岐だとて菓子が無いはずもなく、求められているのがそれそのものなら女官に手配してもらうなり街へ出るなりどうにでも対処のしようはある。
けれど天祥が言っているのはそういうことではないのだった。そもそも菓子をにぎやかにねだるのではなく呟くなんて、やっぱり問題の所在はそこにはないということだった。
父との稽古のあとで、にっこり笑って手ずから菓子を渡してくれた母の顔を天禄は思い出す。
それは天禄にとってはもう遥かな記憶だが、天祥にとってはついこの間のことなのだ。
困ったなあ・・・
だからといってこの場で慰めを言うのも愚かだから。
弟は決して寂しいとか悲しいとか言っているわけではないのだ。
「菓子なら俺っちが作ってやるさ?・・・や、それより一緒に作るさ?」
ここで天祥の返事は聞いていたのだかいないのか、横合いからかけられた軽い声に天禄は心底驚いた。
思わず大声で突っ込んでしまったくらいだ。
「天化?!お前料理なんてできたのか?」
「兄貴、そんなに驚かなくてもいいさ。向こうではいろいろやらされたんでね、ひととおりのもんはできるさ」
「ホントに?」
「あー、信じてないさ?わかったさ、兄貴も一緒に来るさ。天爵も」
信じてないわけじゃないんだが。あんまり驚いたから、つい。
微妙にむくれたらしい天化を先頭に、兄弟は台所へと向かう。
天爵は「天化兄さん、すごいねぇ」と笑みを絶やさずに兄二人のやり取りを見ていて。
天祥は兄たちの騒ぎに目をぱちくりさせながら、興味津々の足取りでついてきた。
がさごそと台所を勝手に荒らせば、出てきたのは今年大豊作のサツマイモ。
これだけあれば多少失敬しても構わない、と天化は勝手に決めたらしい。
3つ4つ手早く洗ってこちらに放ってきた。
「天祥、皮剥いてくれるさ?」
「うん!」
元気な返事だけれど天祥はもちろん剣はともかく包丁なんて持ったことがない。
芋と包丁を握ってさてどこから手をつけようかなと考えているらしい天祥と、
それを心配そうに見てどう声を掛けたものかと考えているらしい天禄。
天爵は天化に「天祥に包丁の使い方教えてやってよ」とささやく。
「あ?あ、そっか。すまねぇさ。天祥、芋は左手で、包丁は右手さ。
そんで、こう握って、親指を刃の先に持ってきて、こう。そうそう、上手いさ」
へえ。見本を見せながら器用にしゃきしゃきとあっという間にひとつを剥ききってしまう天化に天禄は素直に感心した。
軍に入れば炊事だって何だってやらされるから天禄だって全く包丁を持ったことがないわけではなかったが、
天化には敵わないなあというのが正直な気分だ。
直後、それよりも何よりもひとかけらもためらわずに天祥にやらせてみるというその態度に感心している自分がいることに彼は気がついて、こっそり苦笑した。
おふくろが死んだことをいちばん引き摺っているのは俺なのかも。
あらゆるリスクを避けようと気を回し過ぎている、きっと。
確かに母のいないいま、父と並んで自分が弟たちの保護者と思ってはいるが。
それは何もかもから闇雲に守るということではないはずで、少なくとも母はそうではなかった。
受け入れるべき事実もあれば、体験して初めてわかることもあり、そしてそれらは少しずつ危険も痛みも伴う。
いま天祥ははじめてやってみる容易くはない作業に真剣で、他のことなんてすっかり忘れてしまったように手元に意識を集中している。どうにかひとつ剥き上げたときの顔は稽古で一本とったときと同じ。
「おー、天祥偉いさ。もひとつやってみるさ?」
「うん!」
危険のあとでしか手に入らないものは確かにあるのだ。眺めている天禄の顔も自然に緩んだ。
「天爵も見てないで手伝うさ」
「そうですね」
こと料理にあっては天祥とたいして経験に差のないはずの天爵も、天化から包丁を受け取るとためらいなく刃を動かした。それに天禄はまたこっそりと微笑む。さっきの天祥への説明のおかげでできるに違いない、そんなことを表に出さない彼はひどく要領がいいのだ。
そう、天禄が何もかもを心配する必要はない。
弟に指図されたままに動くのもたまには悪くないものだ。
「兄貴、適当な鉢に水を張ってほしいさ。それが済んだらふるいと、蒸し器と・・」
「はいはい」
皮を剥いたあとさいの目に切ったサツマイモ。
天祥が切った分はざっくりと大きめで、天爵が切った分は正確な立方体に近い。
多分天化が切るとさくさくと多少不揃いながら手早くて、自分がやればつい手をかけて小ぶりになるだろうか。
それらを水にさらしておいて、小麦粉をふるう。
「ちょっとだけ上新粉をいれるのがコツさ〜」
「ふふ」
何となく得意げに話す天化の様子に、天爵が笑う。天祥が「それから?次は?」と目を輝かせている。
蒸し器を火にかけておいて、みんなで天祥が粉を練っていくのを眺める。
んー、もう少し水入れるかな、なんて天化が考え込んでいるのを見るのも楽しくて。
ぼったりと混ざった生地に芋をどっさり、湯の沸いた蒸し器に少しずつ並べて落として。
「ん、あとは半時待つだけさ」
何やかやまた騒がしく片付けなどやっていると、待つまでもなくサツマイモの匂いが漂い始める。
「ね、もういい?」
「もうちょっと待つさ」
なんてやり取りを2、3度繰り返したあとで。
「ん〜、そろそろいけるさ?」
蒸し器の蓋を開けるとふわっと部屋いっぱいに甘くあたたかな空気が広がった。
「これ、刺してみるさ」
ひょい、と天禄に抱き上げられた天祥は蒸し器の中を覗き込んで天化に渡された竹串を刺す。
「べたべたしたものが付いてこなかったらできあがりさ」
「大丈夫!」
それじゃ、と天化は無造作に蒸し器の中からひとつを取り出した。
「ほら、天祥。熱いから気をつけるさ」
「ありがとう、天化兄さま!」
蒸したてのまんじゅうはそれはもう熱くて、わ、わ、と天祥は右手に左手に持ち替えている。
火傷しないか?と天禄がまた心配したのは事実だが、これもささやかな危険と甘味の等価交換。
そうして一口。
「おいしい!」
天禄の心配とここまでの作業は十分に報われたようだった。
それはよかったさ、と天化は呟き、天爵にも天禄にもひとつづつを渡し、みんな一口かぶりつく。
「かあさまのと同じ味がするよ」
「そうさ?」
たぶん誰が作ったってそんなに味が変わるようなものではないのだけれど。
けれど天祥がこの味が好きだというならそれだけでそれは十分よいことで。
そして母の思い出を笑って話せるようになるのなら、それはなおさら善いことだった。