別れて遠くにいたという家族に対するごくごく真っ当な天祥の質問に、
返ってきた答えは単純でそして理解しがたいものだった。
「仙界ってどんなとこだったの?」
「うーん、高いところさね」
「え?」
そんなのは答えになってない、と膨れる天祥の反応は尤もだと思いつつ、でも天化は答えをごまかしているつもりはなかった。浮岩から見た景色を彼は思い出す。
「ここよりちょっと冷え込んで、ちょっとまぶしいさ」
「うん」
「非常識で、静かなところさ」
「うん・・」
「広くって狭いところさ」
「うん?」
「上も下も空さ」
「うーん」
兄の口調はからかっているようではなかったから、それでも天祥は真剣に聞いていたのだけれど。
説明を加えられてもさっぱり兄の言わんとするところはわからずに、わかんないよ、と口を尖らせた。
そうさね、と兄は頭を掻く。
「うーん、でもほかになんて言っていいのか俺っちもわかんねえさ。
ごつごつした岩が幾つか浮いてて、そこに座ってると下の方に雲が見えるさ。
だけど上を向いてもまた空、また雲なんさ。
空の中にぽっかり一つ自分だけが浮いてるみたいで広いけど、
でも、俺っちの手の届くのは狭い、コーチと二人の世界さ。俺っちは飛べないんでね。
どー考えても無茶な世界なんだけど、まあこーゆーもんさと落ち着いちまうから妙なのさ」
兄はわかるように話そうとしてくれている、それはわかる。
だがしかし、これでわかるか、と言われてもそれは困る。
いや、兄が言っていることはわかるのだ。それはわかるが仙界がどういうところなのかはそれではやっぱりわからない。高くて、寒くてまぶしくて広くて狭いから、だから?
たぶんそこにはもう半歩ぐらいの溝がある。
「やっぱりわかんないけど、兄さま。どうして仙人さまたちはそんな高いところにいるの?」
その質問に、天化は不意に考え込んだ。そして数瞬後に、笑って言った。
「そういえば、俺っちも前にそれ聞いてみたことあるさ。ひどい答えだったさ」
それは何年目のことだったか、もう天化がすっかり崑崙の暮らしに、その高さに慣れた頃。
青峯山に押しかけ客が二人も揃うのは、そんなにしばしばあることではなかった。
天化がお茶を出したとき何気なく耳に入った言葉に反応して、ふっと口をついて出たのだ。
「高所恐怖症の私がわざわざはるばる飛んできたんだから、歓迎してよね、道徳」
「太乙さん、どうして高所恐怖症なのにこんなところにいるさ?」
太乙が高所恐怖症だというのは知っていた。けれど太乙が、自分たちがこんなところにいるのは当たり前で、疑問はなかった。だから口にした時にはただの戯言でしかなかったのだけれど、言葉に出したら、天化の中でもはっきりと疑問になってしまった。
「そういえば、俺っちたち仙道はどうしてこんな高いところにいるのさ?」
必ずしも答えが返るとは思わなかった。
けれど天化のその無意識に反して、三人の仙人たちはそれぞれにきっぱりと答えたのだ。
「それはなっ、天化。高いとろこは気持ちがいいからだぞっ!」
「馬鹿だから、だねぇ」
「どうしてって・・・私は仙人だもの」
この話にも天祥は首を傾げている。俺っちも、あの時は答えになってねえと思ったさ。
けれどいま思い出して、そしていま理解する。彼らは彼らで、答えはこれしかありえないと思っていたのだ、きっと。
その時にだって意識していなかった、答える直前に三仙が目を見交わして面白げに笑った表情までが、鮮やかに思い出された。
「そうさね、高いところにいる馬鹿な人たちが、仙道なのさ、きっと」
ここよりちょっと冷え込んで、ちょっとまぶしくて、空気が薄くて、澄んでいて。
人の世でいえばいまだ喧騒を知らない早朝のような気配が一日漂っているところ。
その気持ちのよさを当然のものとしてわずかな存在が暮らす。
たとえ寒いのが嫌いだろうが高いのが嫌いだろうが、仙道とはそういうものなのだ。
非常識にも人の力を超えた修行や研究に明け暮れながら、小さな洞府で淡々と静かに暮らすことに価値を見い出し、
果てしなく上を見ながら、日々自身の内面と対話する。
上も下も空。広い空。
仙界っていうのはそんなふうに高いところが好きな人たちが居るところだと、
天化はもういちど天祥に答えはじめるのだった。