とっぷりと日が暮れた森のなか、よくよく知った道を走る。
もっとも道を知っているのは俺だけで、斜め後ろの子には行き先を告げてはいない。
走りながら様子を窺ったら、ついと他所を向かれた。
それでも離れずに付いて来るのだ、律儀だよな。
天化とだったらこうして黙っているなんてことないから、それもなかなか新鮮な感覚だ。
不意に、そう、彼にとっては不意にのはずだ、木々が切れる。
ぱっと開いた夜空にその子は少し眉を上げた。
それなら森の中を飛んで来させた甲斐があったってもんだ。森の上じゃなくってな。
風が涼しくなってきた。
「それでオレに何をさせたい」
森を抜けたら青峯山の涯の岩場はすぐだ。
夜空に対する岩の果てに立ち止まり、そして腰を下ろした俺を見下ろしてその子は聞いた。
「もう少しだけ待ってくれないかっ?俺がキミにして欲しいことはあとそれだけだっ!」
訳が分からん、というように今度彼は眉を顰めたが、反論はなかった。
素直にすうっとその場に浮かぶ。
口数だけならこれほど対照的な師弟も珍しいが、これで釣り合いが取れているんだろう。
「あっちに浮いているのが乾元山だぞっ!」
返事はなかったがその子が目を遣ったのは分かった。
まったく、ここの師弟は仲が悪いと思っているのは本人たちだけだろう。
いや、もしかすると師匠だけか。
いずれにしても太乙の愚痴は惚気と変わらないのだから、誰も気にしてはいないのだが。
今日この時刻にこの場所に、ナタクを連れてきてほしいというのは太乙からの頼みごと。
しかもその理由をナタクには言わずに、だとさ。
それで「負けた方が勝った方の言うことを聞く」なんて古典的な賭けで目的を達したところ。
俺の仕事はこれでおしまい。後は太乙の出番だ。
「いつまで、」
待つのか、と多分そう聞きたかったのだろうその子の言葉は、鈍く大きな爆音に遮られた。
ぱん、と。
今度は少し高い破裂音。
ぱららら、と火の音。
音の解説をしてもはじまらない、闇夜には眩しい金色の花が広がった。大きな大きな金の菊。
どん、どん、と続けて花火は上がる。
赤い花、色を変えて青い花。
枝垂れ柳。
花火を見るのは初めてではないが、太乙が自信作だと言っていただけのことはある。
留守番の天化にも教えておいて正解だったな。いままで見た太乙のどの花火よりもきれいだ。
尤も、この位置から見るのが一番きれいなように太乙が作っているのは確かで、
そこのところは天化には悪いがまあ仕方ない。
ナタクは花火初めてのはずだよな。
そう思って隣を見ると、彼は睨みつけるようにそれを見据えていた。
感嘆の色は隠せない。それ以外に混じっている感情は何だろう。
機嫌が悪いようではなかったが、結構複雑な顔だ。
「凄いだろ?」
声を掛けたらこれにはこくりと頷いた。
そしてまたしばらくの沈黙。
花火の音が途切れて何拍か置いてから、その子は口を切った。
「これはアイツがやっていることなのか?オマエはアイツに頼まれたのか?」
「そうさっ!」
もう隠す必要はないからはっきり肯定すると、ナタクの表情は複雑さを増したようだった。
さらに何拍かの間、ナタクは言葉を探していた。
「アイツの考えていることはさっぱり分からん」
へえ。
俺は興味を引かれる。
それはいつもの台詞と言ってもいいものなのかもしれなかったが、
だからといって分かりやすい台詞ではない。
再び間を置いてナタクは続けた。
「アイツのやっていることは矛盾している」
あー、うん。それは俺もそんな気がするぞ。
どこが、と聞かれても説明できないが。
太乙の考えていること、やっていること、それはひどく単純で、そして、どこか、どこかそうではない。
「・・・帰る。」
その子は唐突にそう言い、俺もこの会話からそれが自然だと思った。
ふと天化はどんな顔でこの花火を見ているだろうと思い、そして納得する。
俺は案外と鋭いこの親友の弟子を見直した。
彼も何が矛盾かを説明することはできないに違いないけれど。
けれど確かに太乙のことをよく知っている。
「ああ、気を付けて帰れよっ!」
多分まだ花火は全部終わっていないから、いま返すと後で太乙に恨まれるかな、などとちょっと思わないでもなかったが、この子が帰るのは正しい。
間に合わない、かも知れないけどな。
そしたらまた次をねだっとけよ、ナタク。
さすがにそれは無理かもしれないなあ、と独り言を呟きながら、俺もいまのうちにと洞府へ急ぐ。
花火が終わる前に帰れればいいけど。
「あれ、コーチ、早かったさね」
喜んでくれる相手の顔を見ながらなら喜びが倍だ。
周知の事実と隣の師弟を思いながら道徳が洞府に帰り着いたとき、ひときわ大きな花火が鳴った。