「38.2度…」
あたしは体温計を握り締めて、はぁとため息をついた。
思えば、気分は昨夜から悪かった。
でも、今日はどうしても学校に行きたかった。
熱の功名
「オイ、お前顔色悪いけど大丈夫かよ」
学校に着いた途端、昇降口でそんな事を言われた。
同じクラスの男子だった。
「ン……平気。ありがと」
「平気って面じゃねーだろ…。午前で帰れば?午後は銀八の授業しかねぇんだし」
「冗談言わないで」
あたしはキッとそいつを睨みつけた。
「に、睨むなよ。お前ってホント真面目な」
そう言って彼はそそくさと教室へ向かった。
そう、冗談じゃない。
久しぶりに銀八先生の授業があるんだ。
授業でも何でも、姿を見たい。
声を聞きたいし、話だってしたい。
「……まるで依存症じゃん…」
「…煙草でも始めたのかァ?」
背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、そこには日誌を持った銀八先生がいた。
相変わらず眠そうな目をして、廊下だというのに煙草を咥えている。
「た、タバコなんか吸わないもん」
「そんな風に慌てるあたりが怪しいねェ」
先生は煙草を左手に持ち替えると、顔をあたしの首筋に近づけた。
「……今日はまだ吸ってねェみたいだな」
先生の吐息がかかり、あたしの体がピクリと反応した。
こないだ屋上でキスして以来、妙に意識してしまう。
熱のせいもあるのか、あたしの顔は火が出そうなほど熱くなった。
「だ、だから…っいつも吸ってないってば」
あたしは先生の胸を押しやり、顔をそむけた。
そんなあたしを見て、先生はニヤリと笑って言った。
「オヤオヤ、ちゃん、顔真っ赤ですけど?」
「!!!」
「意識しちゃった?」
「し、しないもん!きょ、今日は暑いから!」
「そーかい。じゃあこのマフラー貰ってイイ?」
「だ、ダメ!!」
必死に抵抗するあたしの姿を見て、先生は声を出して喉を鳴らして笑った。
「お前、ホントおもしれェな」
けらけらと笑う先生を、あたしは悔しさのこもった目で見上げた。
「遅刻しないように、早く教室行けよ、」
先生は日誌であたしの頭をポンポンと叩くと歩いて行ってしまった。
昼休みを終え、午後の授業を迎えるころにはあたしはすっかり体力を失っていた。
授業受けたいのに!!
でも頭が回る…
「ー銀八迎えに行ってきてくんねぇ?」
毎度の注文だ。
「でも、気分悪そうだけど大丈夫?」
「俺代わりに呼んできてやろーか」
「ううん、行くよ」
あたしはゆっくりと立ち上がって教室を後にした。
そしていつものように階段を昇る。
屋上への最後の階段を上ろうとした時だった。
窓から差し込む光の前に、黒い人影を見た。
見間違えるはずもないシルエット。
「せん、せ…」
そう言葉を吐いた瞬間、目の前が真っ白になった。
遠くで、名前を呼ばれた気がした。
「……………」
うっすらと目をあけると、真っ白な天井が見えた。
保健室、かな。
たぶん、倒れたのを銀八先生が運んでくれたんだろう。
今、周りに人がいる気配はない。
「……ん…っ」
身体を起こそうとしたけど、思うように体が動かない。
結局、先生の授業受けられなかった。
「あーもう…最悪…」
ポツリとそう呟いた時、頬を涙が伝った。
ダメ――――もう、止められない。
こんなに好きになってる。
「………銀八のアホ」
「だーれがアホですって?」
「!!」
ぱっと視線を移すと入口に銀八先生が立っていた。
あたしを起こすまいと音を立てないようにドアを開けたらしい。
「お前ね…倒れた生徒を保健室まで運んでやったばかりか、授業後にこうして様子を見に来てやった優し〜い先生に対して、アホはないんじゃないの?」
先生は悲しいよ、としくしく泣く真似をしながら銀八先生はこちらに近付いてきた。
「こ、来ないで!」
泣き顔を見られたくなくて、あたしは思わず叫んでしまった。
案の定先生はきょとんとした顔をしている。
あたしは何とか身体をよじり、先生に背を向けた。
ベッドのシーツをギュッと掴んで涙を止めようとしたけど、先生の姿を見たせいか、また止めどない思いが溢れてきてしまって、堪えようとすればするほど、肩が小刻みに震える。
ギシ、とスプリングが揺れ、先生がベッドの端に腰かけたのが分かった。
「」
あたしの名前を呼びながら、先生はあたしの髪をさらりと撫でる。
「お前は、泣くほど俺の事が好きなの?」
少しいたずらっぽく、そんな事を言う。
実際その通りだということを、分かって言っているんだろうか、この男は。
「そうだよ、ばか」
「ちょっとちょっと、アホの次はバカですか。先生傷ついちゃうよ?」
いつでも先生ははぐらかす。
いつだってあたしの想いはちゃんと届かない。
「ホラ、も―すぐ下校時間だから、そろそろ起きろ」
そう言って先生はあたしの手首を掴んでぐいっと引っ張った。
「や…っ」
体勢を仰向けにされ、涙を流した顔が光に晒される。
先生はそんなあたしの顔を見て掴んだ手を少し緩めた。
「せんせいの、ばか…っ」
目を潤わせて睨みつけると、先生はあたしからゆっくりと手を離した。
「」
次に発せられる言葉は、悲嘆だろうか、軽蔑だろうか。
怖くなって、先生から視線を逸らした。
突然、先生の手に顎を固定され、無理やり視線を合わせられる。
「その顔は、児童ポルノ法違反です」
訳の分からない言葉を吐いたかと思うと、いきなり口付けられる。
口の中にねっとりとしたものが入ってきて動きまわる。
熱のせいか、屋上でした時よりも頭がくらくらした。
その熱はゆっくりとあたしの歯列をなぞり、
あたしの舌を絡め取り、最早やりたい放題。
先生の銀色の頭が離れ、代わりに銀色の筋が残る。
先生の唇へと繋がるその光景が妙に妖艶に見えた。
「お前、ホントに高校生?」
突然、先生がそんな事を言った。
「な、にそれ、いきなり」
「マジで今日、朝から、色っぽすぎんだけど」
「意味、わかんない」
あたしはボーっとした頭で、そう答えた。
ただもう一度、あの熱が欲しくて、あたしは先生のネクタイを引っ張る。
「ちょ、コラコラコラ、待て待て」
再び唇が触れる寸前で、先生は踏みとどまる。
「……これ以上近付いたら、もう止めらんねーぞ?最初がこんなおっさんでいーの、お前」
火照った顔で、あたしはゆっくりと頷く。
熱を出すのも、たまには良いのかもしれない。
そんな事を考えながら、四度目のキスをした。