「んあ、」
夕暮れの昇降口。
名前を呼ばれて振り返ると、オレンジと黒の混ざりあったその空間で、同じクラスの平古場が「よっ」と手をあげていた。
相変わらずシャツは半分ズボンから飛び出て、そのズボンの裾は中途半端にたくし上げられているというだらしない格好で。
その長い髪は前髪だけ無駄に可愛らしいゴムで括っている。
「どうしたの、その頭」
「あい?…お、っと」
平古場はきょとんとして自分の頭に手を伸ばし、その時初めて頭上のゴムに気付いたようだった。
「付けっぱなしなん忘れてたさ」
シュッと音を立ててゴムを取ると重力に逆らっていた髪がばさりと垂れる。
少しだけ跡のついたその前髪をわしゃわしゃと掻き乱して軽く横に流す平古場の姿がなんだかおかしくて、私は少し笑った。
「ん?何?」
「んーん、別に。平古場、今日部活は?」
「サボタージュっしょ」
「また?」
平古場が部活を休む日は、決まって甲斐くんが木手くんに怒られるらしかった。
「同じクラスなのに何で連れてこないの」って凄まれてる姿を一度見かけたことがある。
その時の甲斐くんは頭を垂れ文字通り小さくなっていて、あとで私が「大丈夫?」と声をかけにいったら「うん…」と全然大丈夫そうじゃない返事をされ、哀れに思ったのを覚えている。
目の前でいけしゃあしゃあとサボりを宣言する平古場に呆れて「甲斐くんも可哀想に」と言ってやると、平古場は大して反省した様子もなく、乱雑に靴を投げ出してハハッと笑った。
「まーまー、たまには一緒に帰るさあ」
「なにそれ」
「裕次郎はどーせ大好きなマネージャーにあとで慰めて貰うんやっし」
「え?甲斐くん彼女いたの!?」
「あらんよ。片思い」
私の腕を掴んでぐいぐい引っ張りながら平古場は少しだけ口を歪めた。
まるで「アイツに告白する勇気なんてない」と示唆しているような。やっぱり甲斐くんは哀れだ。
「は、カレシいんだっけ?」
「いない」
「好きなやつは?」
「…いない」
平古場はそんな私の反応を見て「へえー」とニマニマ笑っている。
私の腕から手を離し、両腕を頭の後ろで組んだそのポーズがまた妙にむかつく。
正直に答えておいて何だけど、自分がとてつもなくつまらない人生を送っているように思えてしまった。
…いやいやいや!リア充がなんだこのやろう!
「なに!平古場だって何もないくせに!」
「んー?わんはいるさあ、好きなやつ」
平古場はそう言って腕を組んだままゆっくりと方向転換し、私の前を歩いていく。
私は少し驚いてその後ろ姿を見つめた。
「へえ!好きな子、いたんだ?」
「んん、まあ、」
歯切れ悪そうに相槌を打つと、平古場は腕に付けた先ほどの髪ゴムをくるくると弄び始めた。
それを見て私の中に一つの仮説が芽生える。
「その髪ゴムの子?」
「んー?まあ、ある意味そうかも」
「ある意味?」
意味が分からず聞き返すと、平古場はこちらを振り返り意地悪く笑った。
「気になるや?」
「べ、別に、そういうわけじゃ、」
「隠すな隠すな」
平古場はけらけら笑いながら私の肩をポンポンと叩くとまた腕を組んで歩き始める。
私の横に並んで、ゆっくりと歩調を合わせながら。
チラリと横に目をやると、私の視界に入ってきたのは平古場の肩だった。
男子の中ではそんなに大きな方ではないけれど、やっぱり私と比べると身長は大きく違う。
女子の間では「可愛い」と専ら評判の平古場もやっぱり男の子なんだなあと、意外にしっかりしたその肩のラインを見て思った。
平古場はそんな私の視線に気付く様子もなく口を開く。
「つーかこの髪ゴム、俺んさあ」
「え、うそ」
「姉貴がくれた。どっかの店で買い物したら貰ったって」
「…つまり、お姉さんが好きなの?」
「ばぁか、そんなわけあるか」
ゴツン、と拳がこめかみに叩きこまれる。
冗談に決まってるのに何だこの仕打ち。
睨みつける私には目もくれず、平古場は細めた目で夕日を見つめ、ゆっくりと呟いた。
「わんの好きなやつに、似合いそうなんし」
「へえ…そうなんだ」
平古場はモテるけど、特定の彼女は作らないことで有名だった。
好きな人がいるという噂が流れるも、本人がまた上手にかわすものだから、女子からしてみれば謎の多い人物。
それがミステリアスに見えて更なる人気を呼んでいるのだと思う。
そんな平古場にこんな風に想われている人が、少しだけ羨ましく感じた。
「つーか、やーさ、髪肩に掛って暑くねーの?」
「自分だって掛ってるくせに」
「ははっ」
次の瞬間、少しだけ笑った平古場の手が私の髪に触れた。
髪を触られた時の独特の感覚が一瞬にして身体中に広がる。
驚いて平古場を見ると、夕日に照らされた少しはにかんだ表情が目に映った。
どうして、そんな顔をして私の髪に触れているの?
訳が分からなくて、私はただ平古場を見つめていた。
その指先で何か魔法でも掛けられたかのように動かなくなった身体を感じながら。
「りーん!」
数秒の沈黙を破るようにして後ろから聞こえた声に肩が震えた。
それを合図に、止まってしまった身体に再び力が戻る。
同時に、胸の鼓動がとても速く、激しく刻まれていることに気付いた。
自分の身体の異変に戸惑いながらも声のした方向を振り向くと、帽子を被った影が向こうの方から駈けてくるのが見えた。
見慣れたその姿に、少しずつ心臓の音が大人しくなっていく。
「あれ、甲斐くんじゃない?」
「ヤベッ!悪ぃ、行くさ!また明日な!」
「うん、って…え、ちょっと!」
平古場の手が離れても肩を通り抜ける風の感触は変わらなかった。
慌てて手を伸ばすと、私の髪はサイドでふんわりと結われていた。
先ほどまで平古場の手首に付いていた筈の髪ゴムが姿を消し、そこでようやく自分の髪を結っている正体に気付く。
その行動が指し示す意味が分からなくて平古場を引きとめようとすると、声をかける前に平古場は一瞬だけこちらを振り返って結われた私の髪に狙いを定め「BANG!」と撃ち真似をした。
「やっぱ、似合ってるさ」
ニッと笑ってそのまま駈けていく平古場の背中から私は目を離すことが出来なかった。
後ろから近付いてくる甲斐くんの声もただ耳をすり抜けていくだけ。
ああ、神様仏様シーサー様。
夏は終わりのはずなのに、どうして私の体温はこんなにも上昇しているのでしょうか。
どうしよう、あんなクサイ行動で私はまんまと撃ち抜かれてしまったらしい。
平古場を追いかけていた筈の甲斐くんに、立ち止まって「どうしたんさ?熱射病?」と聞かれてしまうほど、その時の私は真っ赤な顔をしていたんだと思う。
「俺はいるよ、好きな奴」
(不意打ちすぎる…!平古場のあほ!)