幽霊

 ――ユウスケ――
 確かにそう聞こえた。
 退院したばかりの妻のために普段より早く店を閉めた。手伝うという彼女を「いいから、休んでろ」と半ば無理矢理店から追い出し、一人で片付けを終えた。
 最後に鍵をしようと入り口に近づいた雪村食堂主人は、最初は帰ってきた娘が誰かと少し前に死んでしまった幼馴染みの話をしているのだろうと思った。だが。
「じゃあね、幽助。ちゃんと晩御飯食べるのよ」
 娘は誰かを死んだ幼馴染みの名前で呼んでいる。ぞくりとした寒気が背筋を這い登った。
「螢子!」
 慌てて開いた戸は力を入れすぎて大きな音をたてた。
「どうしたのよ、父さん」
 見慣れた風景に見慣れた娘の顔。驚いた表情で父親である彼を見ている。いつもと変わった様子はない。
 聞き間違いかと胸を撫で下ろしかけた彼は遠ざかっていく人影に息を呑んだ。
 ――幽ちゃん?
 本人かと思うほど見慣れた背中によく似ていたのだ。すぐにその後姿は角を曲がり見えなくなったが追いかけて確かめることはできなかった。

 浦飯幽助という名の不良中学生が死んだ。その一報は少なからぬ衝撃を雪村家に与えていた。幼稚園の頃からずっと知っている少年の死。駆けつけた病院で既に少年が冷たくなっていたときの娘の取り乱しようは今まで見たことがないほどだった。
 さっきのあれはなんだったのだろう。まさか。
 彼は首を振って浮かんだ考えを打ち消した。
 幽ちゃんではない。そんなはずはねー。気のせいだ。
 まるで眠っているかのような穏やかな顔をしていたが確かに死んでいた少年がこんなところにいるはずはないのだ。
 幻を見たに違いないと彼は自分に言い聞かせ、食堂の椅子に座らせた娘を見た。最近は家では明るく振舞っていたが未だに現実を受け入れることが出来ずにいたのか。
「螢子、幽ちゃんにはもう」
 会えねーんだ。
 どんなに努力しても彼の口はその言葉を形作ろうとはしなかった。
 悲しくて遣り切れない。思い出は共有できる。だが死んだ者に対する思いは、もう受け取る相手がいない思いは、一人で抱え込むしかない。
 幽ちゃんもそうなのだろうかと彼は思った。死んでしまったあの子はもう生きている者には手が届かない。
 ――だから寂しいのだろうか。
 驚くほどするりと言葉が心の中に落ちてきた。
 辛いことがあっても誰にも言おうとしない子供だった。何かしてやれることがないかと家に連れ帰り、食事をさせ、ときには一緒に遊んだこともある。自分の息子のように可愛がっていたつもりだ。
 ああそうか。彼は気が付いた。どんなに否定しても先ほど見たのは「浦飯幽助」だと見間違いようもなく分かったからこそあんなに驚いたんじゃないか。
 あれは幽ちゃんだった。今もどこかで一人ぼっちで座っているのかもしれないのに、もう自分には何もしてやることはできない幽ちゃんだ。もうあの子の笑顔を見ることは二度とないのだ。
 幽ちゃんは――死んじまったのだから。
 結局何も言うことはできず彼は黙り込んだ。

 乱暴に戸が開かれ雪村親子は同時に入ってきた人間を見た。
「ゆ、幽ちゃん?」
 極まり悪げな表情で忘れ物だと娘の手提げを机に置いた少年にはちゃんと足があった。透けてもいなかった。
「あー……おっちゃん、久しぶり」
「父さん、大丈夫?」
 二人に呼びかけられても彼は目を見開いたまま固まっていた。
「ほらね、だから早く何とかしなさいと言ってるのよ」
 ため息をつく娘にはそれでも暗さはないことに彼は気づいた。
「でもよー、何て説明したらいいか分かんねえじゃん」
「あんたねー、自分のことでしょう。ったく、もう」
 幼稚園の頃から見守っていた二人が、また目の前で以前のような会話をしている。
「螢子、幽ちゃんは……」
 娘は彼に言った。
「父さん、あのね。幽助は――」

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暗い路線とほんわか路線のどちらにしようか迷いました。 「螢子を連れていかないでくれ」とか入れるかどうかも迷いました。 結局は螢子父に夢見ることにしました。 結果は夢見すぎました。幽ちゃん連呼で酔いそうだ(もちろん管理人が)。

2006/05/06



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