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| あかつきまで |



その夜はとても空気が甘く濃く、特別を思わせる夜だった。
いつもと同じメンバーでいつもと同じように羊の船に揺られながら、誰も口に出すことはなかったけれど、きっとみんなこの特別な夜をひとりひとりの心の中でかみ締めていたに違いない。
そんな夜だった。




だから、ロビンは驚きはしなかった。
目の前に探して探して求め続けた遺跡がある。
それはロビンを満足させる高貴さや気高さを持って目の前にあった。レッドラインを思わせる頂上の見えない崖を石板がびっしりと埋め尽くし、崖の下の地面にも深く埋まっている。表面には失われた時代の文字が刻まれている。


夢にしてはとてもよく出来ているわ。


夢。
眠るロビンの枕元に訪れた夢魔は、なんの気まぐれか、ロビンにまさに言葉どおりの夢を見せることにしたらしい。









細い指先で石板の文字の凹凸を辿ろうとして、自分の指先が震えているのに気づく。心臓が激しく揺れ、その余波が体の末端にまで及んでいる。
嫌だわ、夢だとわかっているのに。
頬に羞恥の赤をのせながら、拳で胸を押さえて高まりを押し沈めようと試み、すぐにあきらめた。
気がつくと先ほどまでは素手だった手は白い手袋に包まれていた。几帳面な夢魔に感謝し、ロビンは石板を愛しくなでさするしぐさで、手当たり次第に書かれている文字を読み解き始めた。左右の端も上下の終わりも見えない石板の、目に触れるほんの一部を読んだだけで、呼吸は一層速くなり、体内を流れる血がざぁざぁと音を立て始めた。


何分か何時間か何年か、とにかくロビンの時間が進んで、読み進む先の石板が地面に埋まっている箇所に至った。いつの間にか手にあった道具で無我夢中で土を掘り始め、みるみる泥にまみれた。興奮と疲労とごちゃ混ぜになった荒い呼吸がロビンの肩を震わせた。


「あんまりむりすんなよ」


しんとした世界に自分ひとりだけだと思っていたので、上から降ってきた聞き慣れた声に驚かされた。
石板はどこまでも深く埋まっているので、ロビンももう自分ひとりがすっぽりと入ってしまうほどの穴を掘っていた。暗い穴の底から見上げると、見下ろす人影は逆光で影にしか見えないけれど、聞こえてきた声や帽子の形の影で、夢への闖入者は自分達の船の船長だとロビンに教えていた。



どうしてここへ?という問いは無駄である。夢を見ているのは自分なのだから、自分へ向けるべき質問であろう。自分が彼をここへ登場させた理由を考えようとしたけれど、その前に猛烈に彼の顔を見たくなった。とたんにゴムの手が穴底のロビンへ延びてきて、素晴らしいタイミングに感動しながら腕に抱きついた。ゴムらしい勢いで穴の外に引っ張り出されて座り込んだ先に、めったに見ないあぜんとした顔のルフィがいた。


「どうしたの?」

ロビンの声でどうにか我に返ったルフィは

「お前、それはもう、すげーことになってるぞ」

すげーこと、というのは、彼の視線から察するに、ロビンの泥だらけの顔や髪や服のことらしい。
ルフィは普段とまったく変わらない格好をしていて、何もかも現実の彼と同じように見えたが、先ほどまで触れていた体の温度が現実の彼より相当低く設定されていたので、やはり夢なのだと思った。ロビンにとっては、砂漠でそして葬祭殿で触れた、熱を奪われて冷たくなっていきつつあった彼の体温の印象がとても強く、その後どんなに子供のように高い体温の彼に触れても、凍えゆく肉体の記憶を消すことが出来なかった。目の前のルフィは、だからロビンの夢にふさわしく、冷たい体を持っているのだろう。



改めて彼を見ると、彼も同じようにロビンを見た。そしてとても上等な笑顔で笑った。
息が止まるような思いがする。
目を眩ませる光を放ちながら存在しているくせに、眩んだ目を細めて光を掻き分けるように目を凝らすと、輪郭がぼやけて消えてしまうような彼は、眠るときに見る夢のような生き物だと思った。あぁ、だから彼は今ここにいるのだろう。


「お前はここに向かって歩いてんだな」

彼が言葉にすると、自分ひとりで描き続けてきたものが、ぐんぐんと形を取り色を持ちはじめるような気がした。
「えぇ」
一度頷き、それだけでは足りないような気がして、もう一度頷きなおした。えぇ、ここに向かって。

「じゃあもう、死ぬなんてことは言わねーよな」
「アラバスタでのことを言っているのね」
「うん、ずっと気になってる」
夢を求めて生きてきた者の末路を、成り行きで見るはめになり、それは彼に暗い記憶として残っていたのか。
「あのときはもうほんとうに疲れていたのよ。20年も追いかけて、一つの国まで壊して探していたのに」
また何も無くなってしまった。絶望の底から爪を立てて這い登る気力も失われ、目にすることの出来なかった夢を抱きながら、瓦礫に押しつぶされる自分を思い不思議に安らいだ、あのとき。
死の国の憩いから自分を力ずくで引きずり出した少年が、今、目の前にいる。

「お前があんなとこで死ななくてよかった」

二人佇む世界を薄い霧が包み始めた。目の前の少年の姿も、石板も穴も全てがぼんやりとかすみ始めた。目覚めが近い。
「今のお前に会えてうれしい。だからお前があんなとこで死ななくて、本当によかった」
さっきよりも遠くから聞こえるようになったルフィの声にロビンは懸命に耳を傾け、そこに立ち尽くしていた。





目を開くと、まだ夜は続いていて、航海士の安らかな寝息を聞きながら、そっと寝所から出る。闇は確かな密度で、キッチンまでの短い時間でもロビンに優しくまとわりついた。
とても印象が強い夢だったのでなかなか眠れそうにないと思い、温かいミルクを飲むことにした。船のコックの願いはまだ聞き入れられず、冷蔵庫には鍵がない。ミルクパンを火にかけようとしたところで、ぺたぺたと裸足の足音がした。まっすぐにキッチンへ向かってきた足音の主の顔を見たのは今夜二度目だ。目の下を少し赤くしながら入ってきたルフィは先客に特に驚くこともなく、寝起きのかすれた声で挨拶をし、自分も何か飲みたいといいながらテーブルにだらりと体を沿わせた。

「ミルクを温めようと思っているけど?」
「俺もそれ」

軽くオーダーしながら、何かを思いついたようにルフィは顔を起こした。

「お前が夜中にミルクなんて」
「似合わない?」
「うーん、お前いつもはコーヒーが多いだろ」
「今まで寝ておいて言うのも変だけど、なんだかへとへとなのよ」
「あんだけ穴掘りすりゃ、誰だって疲れるさ」
「あなただけじゃなくって長鼻くんも出てきたらよかったかしら?」
「おう、ウソップだったらぜってー穴掘りマッシーンを作って、あっという間だ」
「それは素敵だわ」

とても自然に会話を続けることができたのは、この夜にはそんなこともあるだろうと頭のどこかで納得できたから。

「二人で見たのね」

一つの夢を見たのね。

「うん、たまにあることだから、お前は気にすんな」
「たまに、あるの?」
「そーだよ、不思議夢」
「・・・不思議夢、ね。どっちの夢だったのかしら」
「お前だろ」
「そうかしら」
「うん、お邪魔しました」
「どういたしまして、お構いもいたしませんで」
「まぁ今から牛乳温めてくれるということで、甘くしてくれ」
「ふふ」


怪奇現象に直面したにしては、心穏やかで、まだあのまま夢の中にいるような会話だった。

二人で黙って温かい牛乳を飲んだ。

ゆっくりとゆっくりと体に落ちていく温かい液体は、先ほど遺跡の前で味わった気持ちに似ていて、本当に陳腐で単純だけれど、今自分が生きていることに純粋に感謝した。テーブル向かいの少年を見るとちょうど目があってしまい、彼はいつもより小さく柔らかく笑った。




「お前が生きて道を歩き続けてることが俺はうれしい」

この先どんな断崖絶壁崖っぷちから落っこちてさらには焼野を埋め尽くす数の修羅に対峙したとしても、それさえ思い出せたら、暗闇の中で照らされる一条の光を目指すように惑い無く足を前へと進めることができる。
目覚める前に聞いた彼の言葉は、そんな魔力を持つ呪文だった。




気がつくとルフィはテーブルへ突っ伏してくぅくぅと寝息をたてていた。航海士が置き忘れているブランケットを彼にかけた時、目の端にさっきまでとは違う色合いがあることに気づき、顔をあげた。丸窓を埋め尽くしていた濃い闇が淡く青みをおびはじめていた。もうあとちょっとで白い輝きがこの窓を埋め尽くす。

今、スペシャルな夜が終わろうとしている。



(030906:完)

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