| しあわせの島 |
そこはただの秋島でしかなかった。
半日もあればひとまわりできる島の一番高い丘の上からは、舗装されていない土の道や点在する質素な民家が見えた。道の端のところどころにコスモスの群れがあり、手入れの行き届いた庭には薄い紫のリンドウや柔らかなクリーム色の秋のバラが咲いていた。ほとんどの家は農耕を生業とし、人手は家族と親戚で賄われる。休日に子供達はバスケットを手に島の東側にある林へ行き、笑い声を響かせながら熟した果実を山盛りに摘み取った。空は高く遠く、厚みのない雲が細長く風に吹かれていた。
海軍基地からも遠く、商船の航路からも外れていて、極彩色の酒場が海賊達を待ち構えるでもない。 淡い色彩の風景が、久しく見ていない故郷を旅人に思い出させ、その口元に笑みを浮かばせることしかとりえのない、そんな島だった。
ログは一日で溜まった。 市場はなかったが、ごく少人数の麦わら海賊団にとっては、島民が日常物資を購入している個人が営む商店で事足りた。 この島は通過点。 麦わら海賊団の誰の記憶にも留まらず、わずかにナミの海図の片隅に、細く小さい文字でその存在を書き記されるだけだろう。
必要な荷物も積み終わり、船員達も全員無事に乗船した。後は錨を上げて出航するばかり。外洋に出たら、この島で騒ぎにならないようにしまいこんでいた麦わらのジョリーロジャーを大きく広げ、旅を続ける。
ゴーイングメリー号は船着場からゆっくりと離れ始めた。ほんの一日だけ滞在した名もなき島の景色が徐々に小さく広がって行く。 素朴で退屈だった島を振り返っていたウソップの眉が、何かを見つけ出した形へ動いた。少し慌ててゾロを呼んだ。錨を仕舞う作業をしていた剣士は、心当たりがあるのか、ウソップに呼ばれると意外なスピードで彼の元に歩み寄った。ウソップが顎をしゃくって港を指すまでもなく、ゾロの視線は港へ、そこへ立ち並ぶ数名分の小さな人影へ向かった。
人影は8つ。子供独特の細く頼りないラインが、手に手に持っているのは竹刀だろう。巻き起こす風がゴーイングメリー号へ届きそうな勢いで、それぞれが精一杯に手や竹刀を振り回している。そして潮風が甲高い声を運んできた。
「師匠ー、ありがとう!」 「俺言われたとおりに稽古して強くなるよ!」 「俺も!」 「あたしもいっぱいご飯食べて大きくなる!」 「俺たち、強くなるから!」
だんだんと海に吸い取られていく声に、ゾロはニッと笑って腰の剣を一本取り、軽く掲げて見せた。高く突き上げたわけではないが少年達にはきっと見えただろう。 手すりに体半分預け、港を振り返っているゾロを見て、その場に居合わせたナミとウソップは事情を悟った。 先の島にはきっと小さな剣術の道場があったのだろう。そこへ見知らぬ男が迷い込んで来て、子供達は男の腰にある刀を目ざとく見つけたに違いない。あんな島には今後ずっと訪れないかもしれない「旅の剣士」。子供達は強面にびくつきながらも千載一遇のチャンスを逃すまいと、稽古をつけてくれるよう頼んだのだろう。剣士は少し不愉快そうな顔をしながらも、そのまま通り過ぎてしまわずに、道場の片隅にある芝生にどかりと胡坐をかいて座り込み、随所で的確な助言をしていった…。
そんなところだろうと思った二人の推測と違わぬ話がゾロの口から語られた。
「ふーん」
ナミが口角をきゅっと引き上げてゾロをからかうように笑いかけた。ナミに向かってゾロは口元をゆがめたが、それも持続せず、穏やかな表情で船が作り出す白い道を目で追った。 ウソップはさも感心したようにふんふんと頷いていたが、
「おいゾロ、意外と町の道場の先生って人生もありなんじゃねぇの?」
と、秘伝のアイデアを教えるような口調で言った。
「そうよ、動物と子供の扱いは上手いみたいだし」
ナミも同意する。
小さな道場を開き、キンモクセイの香りに包まれながら子供達に剣術を教える。自らも白い胴着を着て、凛と声を張り上げ、時に叱り時に誉め、師として慕われながら竹刀を握る日々。三本の刀は鈍い光を鞘の内に閉じ込めたまま、道場にしんしんと供えられている。
「馬鹿言え」 「まんざらでもないって顔してるぜ」 「考えてみたら?道場主」
「ま、そーなったら俺はまっすぐに鷹の目を殺しに行くけどな」
声が上から降ってきた。振り仰いだ三人の視線の先に、いつの間にかキッチン前の手すりにもたれてこちらを見下ろしているルフィの姿があった。 ルフィは三人へニパリと大きく笑顔を見せたあと、「サンジィー、メシまだー?」と言いながらキッチンへ入っていった。
いつの間にか島影は見えなくなり、デッキに佇むクルーたちの間を潮風が吹き抜けていった。
そこはただの秋島でしかなかった。
麦わら海賊団の誰の記憶にも留まらず、わずかにナミの海図の片隅に、細く小さい文字でその存在を書き記されるだけだろう。
(031007:完)
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