カストラチュラ

<作>鳩山郁子
作品社

 何となく村上春樹の小説を思い出した 

ところはおそらく中国、革命により肉食が蔑視される世界で紡がれる、去勢歌手(カストラート)と少年たちの「肉」をめぐる幻想譚。寄宿学校に生活する涓茅(ジュエンマオ)とグアン【フォントなし】舒力(シェーリー)は、ある日、旧王朝の宮廷去勢歌手だった夏洛帯林(シャーロット・リン)の劇場公演を見る。擬成肉しか食べることのない新興勢世代の涓茅は、なぜか夏洛帯林の歌声に抑えがたい魅力と不安感を掻き立てられ、彼に強い興味を抱いていく。
面白い。これはかなり面白い作品だ。いや、読み解き甲斐があるというべきか。主人公は上記にあげた二人の少年なのだけれども、この話に十代の少年という設定を持ってきたのは上手かった。この世代は身体性と心理面の微妙なずれに戸惑う頃である。それと、纏足をし去勢をしているために、本来の部位が歪められている去勢歌手を絡めることによって、より物語性が増している。(少々悪趣味な気はするけど。)

この漫画からは、人間の社会生活が肉体性を喪失しつつありながら、実は自分自身がその「肉」により構成されているというテーマを見いだせると思う。それとはまた別個に、他者を食べずに入られない人間の業というものは、たとえ代替物があっても根源的に容易に変化しないだろうという、彼女の持つ考えも見え隠れする。それは舒力の伯母の鳳梨(フォンリー)が持つ、自分たちの世界を守ろうとする凄まじい意志の力に見て取れる。その二つに共通しているのは、人間の持つ原罪性だ。この漫画では、そのような重いテーマを、彼女の持つ退廃的な美的感覚の中に溶け込ませている。

けれども、そういったテーマ性よりも、この漫画の大きな魅力は、むしろ、その中国的仮想世界の妖しさだろう。セーラー服姿の目の切れ上がっている中性的な少年、でっぷりと太ったカストラート、王朝時代の華麗な衣装に、各種の肉を扱っているらしい分断市場の阿片窟のような雰囲気。仮想的中国世界の革命に、菜食主義思想を理念として据えているのも意表をつく設定だ。(緑色革命とでも言うのかも)これらの設定がどれもよく考え込まれて配置されており、そのため読者の側は彼女の作りだした物語の中に自分がいるような臨場感すら覚えるのだ。この臨場感こそが、この漫画の生命線だと言えるだろう。
この手の幻想的な世界観を表現した漫画というのは、どうも失敗する確率が高いような気がするが(というかもともとあまり描ける人がいない)、これは十分にハードルをクリアしているように思う。ただ、やはり万人受けするとはとても思えない。難しい表現が多すぎるし、この耽美性は、かなりドライな部分を併せ持っているとはいえ、人を選ぶだろうことは間違いない。話の作りも漫画としては不親切であると思う部分もいくつかあった。しかし、それでも、話の完成度としては非常に高いように思う。
私はこの人の漫画を見て村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出したんだけれども、彼女は長野まゆみという作家さんの小説の挿絵をいくつも描いているらしいので、その作家さんの作品世界を連想する人が多いかも。
最後に茅が手に入れた紅宝石は、未分化の混沌に生涯を得た、夏洛帯林の精神性の結晶だったのだろうか。
 Top / What's new ! / Search / Links
Copyright (C) 2001.1 Iwashi Hachiman 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル