<作> 西原理恵子 小学館 全3巻 |
ところはどこにでもある地方都市。特徴と言えば、小さな漁港があるだけの何の変哲も無い町並み。その町に住む三人の姉と弟たちが、この話の主人公である。粗筋的には、一太、二太のところに何年もいなかった母ちゃんが帰ってきて、と思ったらまたいなくなってしまい、その代わりに神子ねえちゃんが二人のもとにやってくるようになる、というような流れ。それからは、神子ねえちゃんが体を張って稼いでくるいくらかの金で生きていく生活が始まった。決して豊かでない生活。でも、自分たちよりもっと底なしの生活をしてる人たちがわさわさ溢れている町の中で、なんとか彼らは生きている。
泣けますね、これは。でも、それは彼らが貧乏でひどい生活をしているからと言うよりも、もっと違う何かを感じているからのように思える。それは多分、彼らが身をもって実践している、生きていくということへの覚悟だ。どうしようもないつらい現実の中で、なんとか幸せに生きようとする人間の姿に、言いようのない感動と無常感を覚えてしまうのである。
読者はそれを見上げる少年の視線を通して、その世界を見るように設定してあるのだが、これを一太と二太の二つに分けたのはいい選択だったように思う。一太は大体14.5の設定だろうか。学校に行っている描写は多分無かったと思うが、それくらいだろう。一言で言えば青春まっさかり。この物語は、彼の青春譚でもある。この多感な時期に、彼は自分の幸せを探して四苦八苦している。一方の二太は、小学校の低学年だ。そのまなざしも態度も、まだかなり白紙に近い。純粋な疑問が彼の中によぎっては消えていく。そして二太も、その目に移る光景を通して、だんだん世界を理解していくのである。この二つの視点はどちらも子供のものであるんだけれども、なんとか大人になろうとしている一太と、まだ世界を認識する段階の二太の視線とは異質である。
画風も面白い。西原理恵子の絵は、はっきり言って上手いとか下手とか言う次元の絵ではない。絵本の絵のようでもあるし、言っちゃなんだがトイレの落書きの絵のようでもある。そこに水彩絵の具でカラフルに着色してある。絵の具の色使いは原色中心で、なかなかきれいである。そのコミカルな絵柄と色彩が、よく考えてみればシビアな内容の話を、妙な感じで和らげる。つらいことも楽しいことも、すべてがカラフルだ。
西原理恵子のエッセイ漫画(というかなんというか)なんかを読んでいるとわかるのだが、この漫画の凄みは、おそらくこれが底辺に生きる人間への「共感」でも「同情」でもなく、「実感」に根ざしているからのような気がする。それは貧しいとかどうとかいうよりも、むしろ世間的に認められない者が送る生活への実感なのだろう。
結局最後、この物語はハッピーエンドとはならないのだが、二太の言葉が感動的。そう、多分、それが人間が生きてく術としてはもっとも大切なことなんだろう。
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