絶対安全剃刀

<作>高野文子
白泉社

 これは確かに衝撃的だったろう

才媛・高野文子の初期短編集。「田辺のつる」など、伝説的な作品が収録されている。彼女自身、いろいろな漫画表現や題材なんかを試している時期のものであるので、今では見せない側面を発見できたりする。「あぜみちロードにセクシーねーちゃん」のような時代の空気を読んだ作品もあれば、「アネサとオジ」にみられる毒気、妙な面白みが残る不条理漫画的作品まで、かなりバラエティに富んだ内容である。

この単行本を読んでいるうちに、彼女の中に女性であるということへ拘りのようなものがあるのに気づいた。所収されている作品であげれば、「うしろあたま」や「はい―背すじのばしてワタシノバンデス」 などはかなり明確にそれがでている。全体でも、表題の「絶対安全剃刀」などの一部を除いて多くの作品にそれが見て取れる。
最初それは、若い女の子がもつ、フェミニズムっぽい思索なんだろうと思っていた。だが、それはちょっと、このごろ違うように思えてきた。私は、初期の彼女の作品には大まかに分けて三面性があると考えている。私の言う三面性というのは、一つは若者特有の生活全般への不安感、二つ目は不可思議さ、そして三つは女性であるということへの関心、というものである。「絶対安全剃刀」、「ふとん」、「うしろあたま」がそれぞれ作品としては当てはまるだろうか。この分類自体が間違いであるとは、今でも思っていない。しかし、彼女の作品を読み解く上で、より上位の概念というものを用意すべきではないかと考えたのである。彼女の中には、その三つがばらばらに存在しているというよりかは、むしろ一つの根源的な関心がいろいろな形で我々に見えているのではないだろうかと思ったわけである。

で、いろいろ考えてみたわけなのだが、やはり最初にあげた女性であることへのこだわりに多くが集約されているように見える。これだけであるならば、多くの女性作家がそれを各々の方法で自らの作品の主題としている。彼女が多少特異だったのは、それをもっと根源的な部分から問うてみたということなのだろう。つまり、人間の感情面そのものという、より核心的なものへの眼差しが常に作品世界の中に存在しているのである。先にあげた彼女の三面性は、大体それで説明がつく。
そして、こういったことに関心のある彼女がどういう方向に自分の作品世界を持っていったかというと、それは漫画表現というものの追求というものだった。人間の感情をいかに漫画的表現の中で見せるか。そこに彼女の興味は移っていくのである。「玄関」などを見ていると、もうその片鱗をこの単行本の中からも見出せる。
もちろん、こういう風に分類不可能な作品もある。「早道節用守」なんかは、上記の方法で強引に分類できないものになるだろう。

漫画史のなかのニューウェーブとよばれる潮流と、矢野顕子・大貫妙子なんかの音楽方面でのそれとの間に、なんとなく共通要素があるなあ、などと考えたりもした。あんまり音楽には詳しくないので憶測ですが。

全体的な評価としては、一般向けは全くしないことだろうが、極めて良質で野心的な短編集という感じ。
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