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【常套句】(蒼月柊香)
ついこの間まで日差しがキツイなどと思っていたのに今日はやけに冷え込む。煙るような霧雨と微かに髪を揺らす風のせいかもしれない。こんな日は客の入りはいまいちだろう。
開店の準備をしながら普段あまり店ではかけないレコードを手に取った。マレーネ・ディートリッヒ、伝説の域にはいるような女優であり、歌手。低く、嗄れたような独特の歌声が退廃的な雰囲気を作り出す。ちょっとアンニュイな日にゃぴったりだ。
歌声に耳を傾けながらグラスを磨いていると、店のドアが遠慮がちに細く開く。まだ、開店前なんですよと声をかけようとして、俺は入ってきた人物が零一であることに気付いた。
「なんだ…お前かよ。寒いから早く入れ」
零一の髪にもコートにも霧雨が作った細かいビーズのような水滴が吹き付けられていて、ライトの光を受けてキラキラと小さく反射した。
「なにか暖かいものをもらえるか」
「酒がいいのか? それとも酒じゃなくてもいい?」
零一はちょっと考えて、酒じゃなくてもいい、と小さく答えた。
「んじゃ、レモネードな。思い出の」
からかうように言葉を投げたがのってこない。黙って頷くだけ。ケンカでもしたんだろうか?
「彼女元気?」
「ああ…元気だ…」
「なんだよー。もっと景気のいい顔しろよ。こんな天気の日に図体デカイ男がしけた面すんなって!」
少し強い口調でそう言うと、零一は驚いたように顔を上げて俺の目を捉え、それからまたふうっとため息をつく。なんなんだ、いったい。
「…明日、彼女の家に行く」
今までも何回も行ってるだろうに…。なにをいまさら?
「なんだ、デートか? うまくいってるならいいじゃないか。俺はてっきり大ゲンカでもしたのかと思ったよ」
「…お前の両親って恋愛結婚だったか?」
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