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Main Scenario 午前1時の55分。ささめくネオンが髪を撫で、黒い艶髪に天使のわっかが出来ました。 私が天使なら、周りの人は何だろう? どうして人間って天使とか神とかが好きなんだろう。 神はおろか、天使にすらなれやしないのに。 ねぇ? ルビーの目の人? どうして私なんかに天使って云えるの? ううん、わかってるよ。出合った女の人みんなにそんな事云ってるんでしょ? ――そう云おうと振り向けば、貴方はどこかへ消えていた…… 午前も午後も、2時前後の住宅地など大して変わりはしない。せいぜい暗いか明るいかの違いだ。 今は暗いから、午前の1時55分。空を見上げる真っ黒に淀んだ瞳に、生気は感じられない。歪に削れた月光を鈍く瞳に反射させるだけであり、さながらすぐ真上に浮いた雲である。 ターミナル“レベェ・ヒル”、午前の1時55分。空は曇りかけ。ぼやけた月明かりと共に過ごす湿気っぽい夜。湿気に似合わない、綺麗なカッターナイフ。 脚の低いテーブルの周囲には、生活感をまじまじと感じさせるようなゴミが少しばかり散乱し、空のペットボトルは、蓋を無くしてポッカリと空しく口を開けていた。 ベッドに腰掛ければ、薄明かりに照らされた狭苦しい部屋を一望できる。 今宵も血を捧げねば。生きるために血を捧げねば。許されるために血を捧げねば。 なぜなら―― 「私は不要な人間だから」 世界の歯車に弾かれて、路頭に迷った幼少時代。 それでも何とか入ろうとして、背徳を咎める視線に耐えた学生時代。 そして絶望し、“何者か”に血を捧げて毎日を過ごす現在。 来世もきっと爪弾き。こんな私を誰が必要とする? 仕事はろくにできやしない。誰とも関わる事も無く、膝を抱える手が震えた。 さあ前置きは終わった。今宵も血を捧げねば。 精神安定剤を勢い良く、ミネラルウォーターと共に流し込み、蓋をして放り投げる。 空のペットボトルの群れに、質量のある音が混じった。 チキチキチキ。よく聞く音。カッターナイフの音が高らかに響き、シリコンの肉体から、金属の牙が延びる。 月明かりに、自らの左腕が白く照らされた。どこを斬ればいいのか。もうそれも把握している。 いくつもの切り傷が道標となる。あとは刃を決まったところに押し当てて、ゆっくりと斬ればいい。 スラリと走った刃が、皮膚に冷たい感触の電撃を与え、其の後は烈火の様な鮮血の熱がジワリジワリと燃え上がるのだ。 未練がましい! 己の無価値を知りながら、生に執着するというのか! あさましい! 己の無価値を血に染めて、生を謳歌しようというのか! それでも、血さえ捧げれば許される気がしたんだ。 私のような人間でも、こうすれば許される気がするんだ。 だからお願い、止めないで。毎日手首を斬らせてよ。 私が私である為に。私がこの世で生きる為に。 じゃないと私はきっと、 きっと、 きっと、 きっと、 きっと、 きっと、死んでしまう。 きっと、 きっと、 きっと、 ウェットティシューで綺麗に血を拭いて、綺麗になったカッターナイフは、ベッド沿いの棚の上、ベッドライトの足元に。 月と星の世界はひとまずの終わりを告げ、太陽が昇った。あいも変わらず晴れている青空に、そして太陽に傷口を見られぬよう、そっとパジャマの袖で手首を隠す。 携帯端末の液晶を見やり、仕事の情報が来ていないかを確認する。ああ、今日も着ていない。 でも着ていなくて良かったのかもしれない。仕事に使うAC(アーマード・コア。10mクラスのヒト型兵器)が修理中なのだ。 何もしないで過ごす事には抵抗があるが、何をしていいのだろう? 余計な事をしてヒトノココロを汚染するわけには行かない。醜く地面を這うしかない。蛆虫のように。 この真っ黒な自分を誰にも見せたくないのに、隣人のチャイムが鳴った。髪を後ろに流し、ヘアバンドで固定。左腕の傷跡も、リストバンドで隠さねば。 瞳に仮初(営業用)の輝きを宿し、散らかったペットボトルを足先で廊下の端に寄せながら、ドアを開ける。 もちろん、左手でドアノブを回してはならない。右手で開けて、下げた左手と左足を用い体重をかけ、物理的に非効率な方法で徐々に開けてゆくのだ。 「キャシー?」 玄関先でチャイムを鳴らしていた金髪の女性を見やると、リストカッターはそうぼやいた。 キャシーとは、この金髪の女性の名前だろう。キャサリンの愛称か何かか。やつれて髪が傷んでいる辺り、男に振られでもしたのだろうか。 「ねぇ、聞いて……ルンファ、私ね、フられちゃったよぉぉ……」 予想は的中だったか。酒の匂いに鼻を歪めながら、リストカッター――ルンファは愛想笑いでキャシーを抱きしめた。 その内心は良いものではない。仮初の瞳の輝きは鈍って、いつものプライベートな濁った魚の眼に戻っていた。 どうして私のようなヒトに、自分の不幸を自慢しに来るの? 私が吹き溜まりだから、迷惑しないって事? そう。負の感情を排泄するための“愚痴便器”なのね。 「そう、大変だね……」 「どうしよう、私もう生きて行けないっ!」 軽々しく絶望を演じやがって。悲劇のヒロイン演じればかまってもらえると勘違いしやがって。 一人で悩みを処理する術も知らないくせに友達面して寄ってきやがって。軽々しく抱きついてきやがって。 ――でも、可哀想だからかまってやるよ。こうやってヨシヨシしてやればいいんだろ。 そうすればご機嫌取りは至って簡単だった。ルンファの口から、優しい言葉が流れ出る。 「よしよし……新しい男を探さないとね。別れは新しい出会いの為にあるんだもんね」 キャシーは、そんな優しい声につられ、涙を捻り出した。ルンファの黒い寝巻きが濡れる。 その度にルンファは嫌な顔をするのだ。「この勢いで鼻もかんだりしないよな」と。 流石にそこまでするほど下品な女ではないが、せっかくなけなしの好意をくれてやったと云うのに、 「男にフられないと、私の苦痛なんて判らないわよ!」 などと抜かすこの女は何様のつもりだ。これで4回目になるが、未だに慣れる事はできない。 あてつけのつもりだろうか? こちらは一度も男と付き合ったことすら無いというのに。 暗さを帯びた表情が、更に暗黒へと沈んでゆく。雨でも降ってくれればいいのだ。玄関先にいるこの直情馬鹿女をずぶ濡れにして、家に返してしまえばいいのだ。 その首を切り落として、電子レンジで暖めたい衝動に、思わず両腕が痙攣してしまう。 「うん、そうだよね、ごめんね。今日は家でじっとしていたほうがいいと思うよ」 一人にさせてやればいいのだ。こんな奴。不幸自慢に付き合わされてしまうと、こちらの精神が余計に病んでしまう。 それをよりによってコイツは。 「今日は泊めてくれない? あの部屋にいると、あの人との思い出が蘇ってきちゃうのよね……」 「でも、私の部屋汚いよ? それに仕事で部屋を空けなきゃなんなくなるし……」 必死に追い返す言訳を紡ぐ。この女、三流詩人じゃあるまいし。何より、私はレイヴンだ。 ルンファの抵抗も空しく、キャシーは眼を輝かせて哀願する。さぞやその人生は幸せに満ち溢れている事だろう。 無いものねだりをするつもりはないが、こうして目の前で誇示されると、虫唾が走る。 「お願い、ね? ね? ハートブレイクした日の夜は、一人ですごしたくないの。お酒も持ってきたわ」 「でも、私、下戸だし……」 「慣れればどうにかなるわよ。ね? ねっ?」 「……」 それはフられもする筈だ。ヒトの顔見てモノを云うという能力が欠如しているから、そういう事になるのだ。 だが生憎、説教などというガラでもない。それに彼女といざこざ起こして面倒になりたくも無い。 だから放っておきたいというに、この女は……ッ!! それでも、この鉄のような愛想笑いの仮面にヒビを入れてはならない。 男同士だったら喧嘩の一つでもするのだろうが、女はそこまで馬鹿な生き物では無い。クレバーに問題を解決するものだ。 流石に、堪忍袋の尾は、今にも千切れそうではあるが、我慢せねば、このバカ女が何をするのかが。 ルンファは結局押し負けてしまうしか無いらしいので、部屋に入れることにした。 「そこでテレビでも見て、適当に休んでて。今ちょっと部屋片付けるから」 居間でテーブルにでも座らせておけば、これといって問題は無い。 携帯端末の中身やライセンスさえ見られなければ、とりあえずはレイヴンという事はバレずに済むのである。 バレてしまえば大変だ。人殺しである事がバレてしまう。このアパートにはいられなくなる。 手首を切る部屋が無くなってしまうと、死んでしまうのだ。カッターナイフもしまっておこう。見られたら騒がれる。 それは避けねば。 「ところでさ、こんな気温なのに、なんでリストバンドなんて巻いているの?」 ――無 駄 に、 目 ざ と い !!!!!!!!!!!!!!!!! しかも律儀に、こちらの腕を掴んでバンドを取ってくれまでした辺りだ。 いくら病院で看護士の仕事をしているからと云って、差し出がましいにも程がある。 お前は補佐であって、外科ですらない。 ましてや精神科医でも無いクセに。 「ちょ、これ……」 「見ないで」 愛想笑いは霧散した。飛び散り、溶けて、崩れ落ちて、蒸発してしまった。 進んでトラブルを作りたがる奴に、余計な気遣いは要らなかったのだ。 「出てって」 「で、でも、治そうよ。痛いじゃない、それ」 「アンタにゃ関係ないでしょ。出てってよ! あんたの鬱憤のはけ口になるくらいなら、不要なまんまでいいッ!!」 顔中に熱が篭るのが判るくらい、頭の中は冷静だった。 心と頭はやはり別物なのだろうか。ルンファにはそれを知る術が無い。 とりあえず今は、目の前の頭の弱い奴を追い出さねば。家に入れといて直ぐにこれでは、あまりにアレかもしれないが、知らない。 「どうして隠してるってのがわからないの……? ヒトの秘密覗き込んで面白い? 勘違いしないでよ」 ペットボトルは、キャシーの顔に命中した。まだミネラルウォーターがそこそこ入っているそれは、鈍く「ベゴッ」という音を立てる。 苦痛と恐怖にキャシーの顔は歪んでいた。今更自分の浅ましさを理解したか。 「ま、まぁちょっと聞いてよ、ルンファ、謝るけど……リストカットなんてしたって、気持ち悪がられるだけよ? やめようよ」 ウェーブのかかった金髪をひっ掴み、静かに告げる。 「私の事、何も知らないくせに……」 あああああああああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHGUHHHHHH!!!! 癇癪に身を任せて部屋を破壊する。 黒い長髪を振り乱して暴れるその姿は、はたから見れば狂人だった。だが知った事ではない。こうでもすれば彼女も耐えかねて逃げ出すだろう。 !!!!! モ !!!!!!!! ウ !!!!!!!! 来 !! !!!!!!!!! ル !!!!!!!! ナ !!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!! 息が上がる頃には、金属製のドアが重たい音を立てていた。 いらない子だと確認したワケではなく、ひょっとして―― いらない子を 演じていたい だけなのかもしれない…… 背中から黒い翼が生えるような錯覚に襲われる。 それでもいいのだろう。どうせ、ロクな用途に使ってくれないのなら、不要な人間でいさせて欲しい。 無駄に酸素を貪って、無駄にヒトを殺して、無駄に今日のためのパンを頬張るのだ。 カッターをポケットにしまい込み、黒いセーターと安いジーンズで外を歩く。 このターミナルは何も無い為か、泥棒やレイパーがうろつく事も無い。下手をすればシティ内部よりも治安のいい場所かもしれない。 その為に、AMを廻るこの時間帯であっても全く問題が無いのだ。 ネオンささめき、頭を照らす。 「またお会いできたね。浮かない顔に磨きがかかったようだけども」 「私、天使じゃないよ」 ……私が天使なら、周りの人は何だろう? どうして人間って天使とか神とかが好きなんだろう。 救いを求めたって、結局は自分自身でどうにかしなくちゃならないのに。 どうして、神や天使を名乗りたがるヒトが湧いてくるのだろう。神はおろか、天使にすらなれやしないのに。 ねぇ? ルビーの目の人? どうして私なんかに天使って云えるの? こんな気持ち悪がられるような、廃人寸前の女を目にして、それは皮肉なの? 「皮肉なんかじゃないさ。私の目は、嘘で隠す事はできない」 「ううん、わかってるよ。出合った女の人みんなにそんな事云ってるんでしょ?」 「酷いな……私はそんな落ちぶれちゃいないよ。世の中にはね」 「誰かを否定する事でしか自分を保てない人や、 何かを誇示しないと自分を保てない人が山ほど居るんだ。でも君は違うだろう?」 「……自分自身のどこかを押し殺して、自分を保とうとしている。それはすごく難しい事なんだ。それでいて殊勝な事でもある」 ルビーの目の男は立ち上がり、ルンファに歩み寄った。 「だから、自分を傷つける必要が無くなるまでは、ずっと切り続けるといい。AM0155から、夜明けまではここにいるよ。またお会いしよう」 「ありがとう。でも、約束する代わりにこれを見ていて欲しい」 カッターナイフを用いて、血管を引きずり出す。 「これを見てもヒかないって約束してくれるなら、またここに来るね。でも顔見ながらやるから、嘘ついても駄目だよ……」 噛み千切った。 ネオンがピカピカチラピカチカロ。真っ赤な鮮血明るく照らす。 ルビーの目の男は、それでも笑顔を崩す事は無かった。 ゆっくりと歩み寄り、ルンファの左手首に包帯を当てる。 「約束を破らない事だけが、私の取り柄でね」 キラキラと赤く光った男は、いくつもの蝶の形になり、夜空へ舞って消えた。 今はまだ、不要なままで居させて欲しい。 そのワガママと引き換えに、血を捧げるのだ。 夜空を眺めるAM0155に。 処女の血を贖罪に。 La La La GOTH are living in erth of hell. Over...... |