○NBAスターへのきっかけ インディアナペイサーズの伝説の3ポインターになる ずっと前、レジー・ミラーは別のチームの中心的存在 であった。 リヴァーサイド・パッカーズ。。。 パッカーズは、ミラーのホームタウン、リヴァーサイド のリトルリーグの野球チームである。 ミラーの父親であるソール・ミラーによれば、若き ノーラン・ライアン(有名なピッチャー)であった といっても過言でなかったという。 ☆ソール・ミラー 「誰もレジーから打つことができなかった」 「バッティングだって6割台だった」 「右利き左打ち」 「その当時まだ8歳だったから、そのままやってれば どんな選手になったか知りたいくらいさ」 レジー・ミラーは9歳から15歳まではバスケよりも 野球の方がずっと優れた選手だったという。 この現象はレジー・ミラーだけの珍しい現象ではない。 多くのインディアナの選手が他のスポーツを幼少期に やっており、その後バスケットに出会うケースがある。 ジェフ・フォスターは色々なことをちょっとずつやって いる。 水泳やらフットボールやら・・高校でバスケ一本に絞る ことになる。 フレッド・ジョーンズはインラインスケートやフット ボール。 アンソニー・ジョンソンはフットボールや野球、そして バスケにおいても州で賞を取るほど優れたスポーツ選手 であった。 ジャーメイン・オニールはNBAだけでなく、フットボール でプロになることも考えていた。 ○夢のフィールド レジー・ミラーの野球同様に別のスポーツでも出世コース にいた選手は多い。 ミラーが子供の頃、ミラーの兄、ダレルはカリフォルニア エンゼルスでプレーしていた。 それがミラーの興味をひきつけた。 ミラーは当時兄のようにメジャーリーグを目指していた。 ☆ミラー 「俺は歩いているときにザッザッとなるのがうらやまし かった」 「野球をするように誘惑された理由の一つさ」 「俺も大リーグの一員になりたかった」 「ロッド・カリューが当時好きだった」 しかしミラーの大リーグへの夢は、高校に入るのと 同時に大きく道を外れていくことになる。 ☆ソール・ミラー 「彼が高校に入ったとき、コーチはレジーにピッチャー として野球をさせたかった」 「レジーはショートかセンターを希望した」 「コーチはピッチャーをやらないなら、ポジションは ないといった」 レジーは高校のピッチングがリトルリーグと違うことを 理解していた。 ☆レジー・ミラー 「リトルリーグならば100マイルだって投げれる」 「しかし高校のマウンドはリトルリーグよりマウンドが 遠い」 「高校に入って、投手しかやれない野球がつまらなく 感じるようになった」 野球を失い、バスケに重きをおくようになり、ミラーは 高校、大学で活躍し、1987年の1巡目9位でインデ ィアナにドラフトされ、NBAに入ることになったのは、 バスケ界にとっても大きなことだった。 ○フットボール フットボールはジャーメイン、そしてジョンソンにとって 最初に選択したスポーツだった。 サウスカロライナ大学があるコロンビアで育ったオニール にとって、フットボールへの情熱はいまだ消えていない ほどだ。 インディアナ・コルツがプレーオフに出場している際に、 ジャーメインは冗談で、レッドゾーンワイドレシーバー (フットボールにおけるゴールライン内にたって、ボール を受けるだけの役割)をやってくれというオファーを 受けてもいる。 とはいうものの、ジャーメインは自分自身をジョン・ エルウェイ(デンバー・ブロンコスの名QB)になれる ことを夢見ていた。 ☆オニール 「兄貴がゴミ箱を置いてくれて、俺はそれにボールを投げ いれて練習していた」 「フットボールが大好きで、いつも兄弟で周りの連中を 集めて、フットボールしていた」 しかしフットボールから抜け出すのにそう時間はかからな かった。 ハイスクールの2年の時は6−4というプロのQBとして は理想の身長であったが、その夏の終わりには6−9まで 大きくなっていた。 周りの人々がバスケットにおいての彼の可能性にざわめき 初めていた。 ☆オニール 「2年生の時は理想的な身長だったんだけど、気がついた ら、フットボールというものが俺の構想から消えていた」 「ともあれ、俺はいまでもバスケよりもフットボールを 見るほうが好きなんだ」 アンソニー・ジョンソンはジャーメイン・オニールよりも NFLに近い存在だった。 高校時代、QBとして州のチャンピオンシップにまで 進出している。 しかし彼は自分の身体がフットボールにおいて、高いレベ ルに戦っていけるものではないということを理解していた。 ☆ジョンソン 「高校時代、いつも土日は痛んでばかりだった」 「膝ははれあがり、ベットから出るのも辛い日々だった」 「それが大学ではもっとひどくなるだろうし、今後も それを続けていく気持ちになれなかった」 「バスケットボールが俺にとって上にいくチャンスである と理解していた」 サンアントニオ出身のフォスターもフットボール出身で ある。 しかしタイトエンドとディフェンシブエンドをたった 1試合しただけでフットボール生活を終えた。 最初の試合でいきなり左腕の複雑骨折。 ☆フォスター 「5人の男が私にタックルしてきて、倒れた際に地面 に押し付けられた」 「すぐに飛び上がり、ハドル(フットボールの陣形)に 戻ったが、レフリーが大丈夫かって聞いてくるから、 大丈夫さって答えたんだ」 「でも、その後、手を見たら、骨が俺の腕にぶら下がって 変な方向に曲がっているのに気がついた」 「それが俺のフットボールキャリアさ」 フォスターはサッカー、野球、水泳をバスケを始める前に やっていた。 ☆フォスター 「全てのことをちょっとずつやろうとした」 「ただバスケットが他のスポーツより少し上手く出来た だけでバスケを選んだのさ」 極限のスポーツ ジョーンズはオレゴン、そしてアーカンソーでインライン スケートをやったりする中で、アクロバティックなプレー を身につけていった。 それがスラムダンクコンテスト優勝にも役立ったといえる かもしれない。 ☆Fジョーンズ 「1週間に1回、リンクの上で培ったものさ」 「いつも俺のスケーティングを見て、いろいろな人が スピードスケート選手にでもなるのかいって聞いてきた ものさ」 「6歳から8歳までの2年間」 「それで足腰が本当に強くなった」 ポートランドにおいて、ジョーンズは多くのスポーツを やっていた。 その中でもフットボールが好きだった。 クォーターバック、そしてセーフティーでプレーしていた が、毎日の練習、たった週末に1試合の試合・・にウンザリ してしまった。 ☆ジョーンズ 「ちょうどその頃、バスケットにはまった」 「いつもプレーしていたし、色々な試合に出たりもした」 「フットボールは練習ばかりで好きになれなかったから、 やめたんだ」 「やめたりするのは好きじゃないんだけどね」 「その当時は好きなスポーツだったし、やれる自信も あった」 もしもそのままやっていたら、コルツの一員として セーフティーとしてプロボウル(NFLのオールスター) に出場できていたかい? ☆ジョーンズ 「もちろんさ」