○ロン・アーテストの異なる一面 ラサール・アカデミー・バスケットボールの狭苦しいオフィス に少し入ると、チームのコーチ、アベラーがいる。 あの11月19日の事件以来、このオフィスにはアーテストに 関する電話が国中や元生徒から殺到している。 しかし、アベラーの答えは一貫していた。 その夜のロン・アーテストは彼の知るアーテストではなかった と。 ☆アベラー 「私はどんな答えを求めているのかは知らないが、もし彼を 悪く言う資料を求めているのであれば、ここに来るべきでは なかった」 「報道陣や大衆は、この高校でのロン・アーテストを理解して いない」 「テレビの彼を想像しているみたいだが、私はそんな質問に 我慢が出来なく思う」 「単なる間違いに過ぎない」 「そんな間違いをその人間の当たり前のことのように扱うのは 大きな間違いである」 「もちろん、スタンドに入ってそういった行為をしたことを 認めるわけではない」 「でも、そういった人間のように扱うのは理解できないし、 誰も彼の本当の人間性を伝えていない」 ○真実の彼 NBAコミッショナー、デヴィット・スターンのアーテストの 1シーズンに渡る長期サスペンドがかなり多くの人々に「真実」が印象つけられた。 アーテストが何度もいう「真実」とはNBAスターへの地位を 汚した喧嘩、そして長期サスペンションに対する大きな責任。 ロン・アーテストはラサール・アカデミーの卒業生として、 後輩達を毎夏のファイブスターバスケットボールキャンプに 招待するために、地元に戻り、彼がした経験を後輩達ができる ように尽力を尽くす人間であるのも真実である。 デトロイトのファンに立ち向かっていったのも真実であるし、 ファイブスターキャンプの最終日に30人の参加者にサンド イッチやソーダを差し入れしたのも同じ真実である。 ☆アベラー 「彼は、いつでもご飯が食べられるミリオネアであるので、 彼はターキーヒルまで行き、全ての少年たちのために食料を 用意してくれた」」 「とはいえ、コーチとして一緒に食事を取り、同じ寝床で眠り、 同じ時間におき、子供達と練習を行う」 「子供達もそれを喜んでいる」 「さらに彼は夜1時30分から2時ぐらいまで自分の練習を しているのだから、本当に驚異的である」 「そんな彼を知らない人間が彼をそういった人間じゃないように 扱うが、彼は決してモンスターではないのだ」 ○クィーンズビレッジコネクション 現在25歳。 いいことも悪いことも経験してきた。 ラサールアカデミーから地下鉄で3駅離れたところの アメリカ最大の国営団地、クィーンズヴィレッジで育った。 5000もの家族が住み、アーテストもしばしば薬物取引や 銃撃戦にでくわしたような地域で育った。 芸術家、事業家の人間の環境に、しばしば困難な生活や貧困は つきものではあるが。 アーテストやラッパーのナス、そしてラップデュオのモブ・ ディープがクィーンズヴィレッジで育った。 インディアナの選手では、シーン・グリーンやバーン・フレ ミングがクィーンズビレッジ出身であるが、それぞれが口に する言葉は大変だったことを物語る。 ☆アーティー・コックス(アーテストの元コーチ) 「あそこ(クィーンズビレッジ)はシャレにならない」 「今でもあそこで、彼の悪口をいう人間がいるのは、自分が 彼のような立場になれないことを理解しているからだ」 「それを認めたくないんだよ」 「できれば、私の周りでそういった話をしないことを望むよ」 ポランコはアーテストに規律を植えつけるために10試合 彼をベンチに座らせていた。 それがまだ14歳のやんちゃだった人間の粗い面を直すきっか けにもなった。 ☆ポランコ 「私は違うところ出身だったが、ニューヨークから来る人間は どんなにクィーンズヴィレッジが厳しい環境から育ったかを 知りたがる傾向にある」 「1度、ロンの家の近隣にいったが、どうやってトラブルから 生きるか学ぶのにはいい場所だと思ったほどだ」 「ロンはクィーンズヴィレッジでタフさを学んだと思う」 「彼は誰からも逃げたりしなかった」 「彼はいつも自分のやり方をしていた」 アーテストはベン・ウォレスに突き飛ばされても、立ち向かって いかなかった。 数人の人々は彼が我慢したことを疑問に思った。 しかしそう思った人間は本当に彼を知る人間ではないだろう。 ☆アベラー 「私はテレビコメンテーターがベン・ウォレスと戦わない 彼のことを臆病者というコメントをするのを聞いた」 「臆病者?」 「彼は正しいことをしただけだ」 「相手がシャックであったとしても臆病者なんかではない」 「私は彼が示した我慢強さを賞賛したい」 「残念なことに彼のそういった面は、愚かな人々からみんなに 伝えられないのだが」 ○生きるための挑戦 ラサールのオフィシャル達はアーテストが常にトラブルに 巻き込まれていたということにコメントを出す。 校長の兄弟マイケル・ファーレルはアーテストは優等生だったと いい、問題はなにもなかったという。 コーチたちも、練習の休みの時間に、他の選手がシュート練習 や休んでいる間に、アーテストは隅で宿題をやっていたという。 一生懸命な練習が功を奏し、アーテストはラサールアカデミー のスター選手となり、1996−97年シーズンに3年生と してチームを27勝0敗、そして都市のタイトルを獲得させた。 またマクドナルド・オールアメリカンにも選ばれ、地元の セントジョーンズ大学に進んだ。 元セントジョーンズ大学のコーチでアーテストを勧誘し、 1年次に彼をコーチしたフラン・フランシリアはアーテストに 23年間のコーチ生活で見たことがない特質を見たという。 彼はすでに18人のNBA選手を送りだしていたが。 ☆フランシリア 「アーテストにはチャートではあらわせないほどの闘争心が あった」 「セント・ジョーンズに常に必要だった、負けず嫌いな選手だ と感じた」 「ロニーはすぐにチームを動きださせてくれた」 フランシリアはクィーンズヴィレッジが彼をそうさせたという。 熱い誇り、そして失敗への恐れ・・・。 その両方が彼の熱心さとともに、特異な行動に現れていたとい う。 アーテストは彼のタトゥーに示される「QB(クィーンズ ヴィレッジ)is finest=クィーンズヴィレッジは素晴らしい」 という言葉を信じない人間にそれを示そうとしているんではない かと。 フランシリアはアーテストのそういった派手な振る舞いには 厳しく接した。 ☆フランシリア 「彼を叱り、練習から外した」 アーテストはまた、フランシリアが練習により激しさを求めた 際に、2軍や3軍チームの中でプレーさせられたりもした。 アーテストはそれを好んでいたみたいだが。 ☆フランシス 「より難しいものをさせると、より素晴らしい反応が返って きたよ」 フランシリアはアーテストの学校での2年間にオフコートでの 問題はなかったという。 コーチ陣などにたてつく事もほとんどなかったが、1度だけ コートで暴れたことがあるという。 10分ぐらい続いたというが、それ以外はなかったという。 ☆フランシリア 「私は、人々が彼の控えめで純粋な一面を知ろうとしないこと を悲しく思う」 「彼のコーチを再びしたいと思うし、みんなが彼にはできない と思っていることを彼ができるということを証明してほしいと 思っている」 「私はアーテストには本当に好感を持っている」 ○人生は今後も続く アーテストは、アメリカスポーツ史上最悪の出来ことといわれる 事件を乗り越えることができるだろうか? 彼はその汚点を一生背負いながら生きていくことになるだろう と、ポランコはいう。 アベラーは自分の考えも変えないので、アーテストについて 他の人々が変更しまいが気にしないという。 ラサールアカデミーの3年生、パット・トーマスは地元の英雄を 支援すると主張する。 ☆トーマス 「望もうと望むまいと、人生は進んでいく」 「既に事は起きてしまっているし、みなも進んでいかなくて はいけないし、ロンもまた進んでいかなくてはいけない」 アーテストは法廷弁護人の意見に従ってなにも語ろうとは しない。 ただ確実なことは、仲裁、そしてもしかすれば裁判があろう とも、人生は続いていくのだ。