○ポラードの奥さんは津波の救済を行う タイ人ハーフ、ポラードの妻であるミンディーは、先日の アジアでの大津波による災害が人事ではない。 12月26日の地震と津波の災害で、死者数が増える報道を 見ると、テレビのチャンネルを変えることもできなく感じる。 彼女は、幼少期にタイで過ごした。 ☆ミンディー 「テレビを最初に見た1週間は、涙が止まらなかったわ」 「そして、私の夫がこういうの」 「なんでテレビを見るのか?って」 「こういったわ」 「『見ずにはいられないの』と」 「被害者のことは知らないけど、身近に感じるの」 「まるで家族のように・・・」 5000人以上の人間がタイで無くなったと推定されている。 電話が普通の2日間、友人、親族に死者がいないか心配で 仕方がなかったという。 彼女は母、スピンがバンコクにいて被害を受けなかったこと を聞いて、ホッとした。 ミンディーの両親は、彼女の父がタイで働いていた時に、 交際を始めた。 家族は、インド、フィリピン、タイ、日本で生活していた。 ミンディーはアメリカで生まれ育ったが、タイの文化と遺産 を伝えることに誇りを持っている。 ポラードの6歳の娘のローリー、そして2歳の娘タルウラが タイにおいてスターの意味を持つダオというミドルネームを 有している。 ☆ミンディー 「私はいつもタイ人ハーフだといっているように、タイ人 ハーフであることを誇りに思っているわ」 タイはポラード達にとって特別な国で、5月の8度目の 結婚記念日に訪れる予定である。 最後に2人がタイに訪れたのは2003年8月プーケット 島でのバカンスだった。 ☆ミンディー 「本当に素晴らしいところだった」 「だから、今の状況なんて想像できない」 「地球の楽園だった」 ポラードは、自分たちもそこにいた可能性があったという。 タイのリゾートには逃げ場がないという。 ☆ポラード 「マグニチュード9.0の地震と30Mの津波を避ける 方法がないんだ」 「海岸線に多くの人間が貧相な住宅を建てて住んでいる」 「今後も変わらないだろう」 「本当に危険なんだが・・」 ポラードはカンザス大学2年の時に、タイに初めてミンディー と訪れた。 ポラードはタイ料理に問題がなかったが、ミンディーの ジョークで、父は母にポラードをバーガーキングにつれて いかせた。 ポラードのタイへの愛情はかなり強いものである。 ☆ポラード 「誰もこんなことになるとは思っていなかった」 「被害者のタイの人々は何にもない状況で、貧困の中、なん とか苦しい生活をしてきた」 「アメリカ人が想像している以上に」 「これは起こるべくして起こったのかもしれない」 ペイサーズ、コルツ、そして他の地方の組織は、救済支援の ために献金をした。 ミンディーは、基金のプレゼンテーションで、タイについて 話した。 ☆ミンディー 「みんながなにかをしようとする寛大さを見るのは 素晴らしいことだと思う」